第2話

 北朝鮮、元山ウォンサンおよび新浦シンポ一帯より、断続的な高エネルギー反応を検知。


 それは弾道ミサイルによる点の脅威ではなく、KN-25等の多連装ロケット砲による、面の制圧射撃であった。着弾地点は、日本海上の排他的経済水域境界線ぎりぎり。


 これは攻撃ではない。海という壁を使った、日米韓に対する "通行止め" の合図だった。


 内閣総理大臣官邸、地下危機管理センター。


「完全に連動している」


 小林防衛大臣が、報告書を片手で握り潰すようにしながら、ポツリと漏らす。


 センター内の巨大モニターは、今やインド亜大陸だけでなく、朝鮮半島、そして東シナ海へと赤い警告色を広げていた。


「北朝鮮の狙いは、在韓米軍と自衛隊の日本海側戦力の釘付けでしょう。彼らが暴発する構えを見せることで、我々はインド洋や南シナ海へ割くべきリソースを、喉元へ張り付けざるを得なくなる」


「北京の脚本通り、というわけか」


 茂木外相が呆れ返ったような顔で呟く。


「北の将軍様も随分と安く使われたものだな。中国からの食糧・エネルギー支援と引き換えに、鉄砲玉として最前線に立たされるとは。うちも総連を通して、支援と引き換えに水面下交渉でもしてみるか?」


「笑えませんよ、茂木さん」


 小林が心底嫌そうに返す。その間も彼の指は、タブレット上の海図を高速でスワイプしていた。


「……さて、問題は、この陽動が『あまりに効果的すぎる』ことです。米軍の空母打撃群は現在、ペルシャ湾へ向かうべきか、台湾海峡へ留まるか、あるいは朝鮮半島を警戒すべきか、完全に判断を迷わされている。戦力の分散、これこそが中共の狙いだと言える」


 小林の解説を聞きながら、小泉首相は無言でモニターを見上げていた。


 彼の脳裏では、移りゆく現況に関する膨大な情報と、それを理解するためのシナプスが盛大な摩擦を生み、激しく火花を散らしていた。


 ───これは、世界大戦の初期配置だ。


 インドとパキスタンという局地的な火種を、中国という巨大な送風機が煽り、ロシアと北朝鮮という薪がくべられた。


 だが、火はそれだけでは燃え広がらない。酸素が必要だ。


 その酸素の役割を果たしたのは、皮肉にも "信仰" だった。






 ★★★★★★






 中東の衛星放送アルジャジーラ、および多数のSNS上で、衝撃的な声明が拡散された。


 過激派組織ISIS、および複数のイスラム原理主義組織が、パキスタンへの支持を表明。同時に、インドとその背後にいる西側諸国に対する聖戦ジハードを宣言したのである。


『我々の兄弟であるパキスタンのムスリムに対し、異教国家インドと、それを操る欧米の悪魔が牙を剥いた。全ての信徒よ、立ち上がれ! 場所は問わない。お前たちの居るその場こそが戦場だ!』


 この声明は、国家間の戦争という枠組みを、瞬く間に文明間衝突へと変質させた。


 インド国内では、ヒンドゥー至上主義者とムスリム住民の衝突が暴動レベルに発展。


 欧州各地では、移民コミュニティの一部が過激化し、パリ、ロンドン、ベルリンで同時多発的な放火や暴動が発生。


 そしてホルムズ海峡では、国籍不明の武装勢力により、日本の商船を含むタンカー三隻が自爆ドローン攻撃を受けた。


 東京や大阪、名古屋などでは幸いにも問題は発生していないが、こちらはこちらで極右系インフルエンサーや一部の政治団体が声を大にしてイスラム教徒排斥を主張しており、在日ムスリムの抑圧と不満が、芳しくない結果を招くであろうことは容易に想像できた。


「原油が、入ってこなくなる……」


 経産省出身の秘書官が、青ざめた顔で呟く。


 エネルギー自給率の低い日本にとって、それは物理的な攻撃以上に致命的な兵糧攻めを意味していた。


「総理」


 高市幹事長が、静かに、強張りを含ませた声色で小泉を呼んだ。


「総務省と国家情報局の共同モニタリングによると、国内のネット世論は大きく割れているようす……『インドを助けろ』という声と、『アメリカの戦争に巻き込まれるな』という声。そして『中国に謝罪し平和を保て』という工作じみた言説も、爆発的に増えている」


「コグニティブ・ウォーフェア……」


「認知戦、ですね」


 小林防衛相が補足する。


「本物のミサイルが飛んでくる前に、国民の戦意と団結を挫く。現代戦の定石です。また既に国内の主要インフラ企業のサーバーに対し、中国・ロシア経由と思われるDDoS攻撃も観測されている。いつ電力や通信が落ちてもおかしくない」


 小泉は、深く息を吸い込んだ。


 肺に入ってくる空気は、空調によって管理されているはずなのに、鉄と血と硝煙の味がするように錯覚した。


「……ハリス大統領は、どう動きますか?」


「動かんよ。というか動けない」


 茂木が冷ややかに切り捨てる。


「彼女は選挙を控えているわけじゃないが、国内の分断が酷すぎる。リベラルは平和的解決を叫び、保守派は弱腰外交を叩く。アメリカという巨人は今、己が内臓疾患で蹲っている状態だ───今回ばかりは、米国騎兵隊は遅れてやってくるどころか、来ない可能性すらある」


 その言葉は、戦後日本の安全保障の前提……日米安保という、絶対神話の崩壊を意味していた。






 ★★★★★★






 事態は、さらに悪化の一途をたどる。


 中国海軍の原子力空母「上海」を中心とする機動部隊が、宮古海峡を通過。太平洋への進出を開始した。


 これに対し、海上自衛隊のイージスシステム搭載艦「はつゆめ」及び「てんりん」が緊急出港。日中の主力艦隊が、東シナ海という狭い海域で対峙する構図が出来上がる。


 指一本触れれば爆発する、極限の緊張状態。


 その均衡を破ったのは───日中のいずれでもなく、第三国による介入だった。

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