エピソード 2: アホな天才
ヒカリは決して社交的な人間ではなかった。ネット上での分析や執筆に明け暮れるあまり、そういった人付き合いの段階はずっと昔に通り過ぎてしまっていたのだ。テクノロジーに依存せずとも生きていけることを自分自身に証明するため、彼はあえて屋外で過ごす時間を設けていた。
カイトのグループとの一件以来、リョウタは「遊んでいてぶつけた」という単純な言い訳以外で顔を見せることを拒んでいた。学校中が真相を知っていたが、それをからかう度胸のある者はいなかった。そんな中、ヒカリは多くの生徒を感嘆させるほどの、ネイティブ並みの日本語で自己紹介をやってのけた。
生徒たちは、たどたどしい「ハロー」か、良くても気まずい沈黙を予想していた。だが、その予想に反して言語を完全に習得している転入生の姿は、彼ら、そして特に学校側を安堵させた。とはいえ、最強の一角を倒したという「ドジ」な転入生の噂が、無視されるはずもなかった。
「ピエロかよ。俺らに足りなかったのはそれだ、外国人のピエロ……」 カイトは机に足を投げ出し、あからさまに不機嫌な顔でそう言い放った。
教師は真顔で、しかしヒカリに対する明らかな侮蔑を込めて立ち上がり、定規で黒板を叩いた。
「注目。では、ちょっとした余興だ。特別問題を出そう」
そして彼はカイトの方へ視線をやった。
彼が書き出したのは複雑な微分方程式だった。積分と変数が入り乱れるその怪物は、とても高校のカリキュラムに収まる代物ではなかった。それは一種の追従であり、エリート生徒の誰かが自分の価値を証明するための機会として用意されたものだった。
ケンジロウはその方程式を見た瞬間、脳内で処理を終えていた。解法は見えていたが、手を挙げて目立つことを想像しただけで、凍りつくようなパニックに襲われた。彼は椅子に深く沈み込んだ。
スズキは待った。誰も動こうとしないのを見て、教室を見回した彼の視線は、新入りの上で止まった。見下すような笑みがその顔に浮かぶ。
「新しいお友達はどうだね? アキヒコ君、やってみないか?」
ヒカリは驚いて顔を上げた。 「え、僕ですか? いや、その……僕は数学が苦手でして」
「まあまあ、やってみなさい」教師は譲らない。
拒否できないと悟ったヒカリは、席を立って歩き出した。ぎこちない手つきでチョークを握る。一瞬取り落としそうになり、教室の後方からクスクスという笑い声が漏れた。彼は少しの間、まるで宇宙人の言語でも書かれているかのようにその数式を見つめていた。
「僕にできるとは思えないんですが……」 教師にしか聞こえないような小さな声で呟く。教師は笑って黒板を指差した。
観念して、彼は書き始めた。
それは悲惨な有様だった。書き出しの位置も間違っていれば、プラスとマイナスも混同している。計算の途中で基本的な法則を忘れたかと思えば、論理的に破綻した近道を選び、プロセス全体を台無しにしているように見えた。一行進むごとに、間違いが積み重なっていく。
だが、そこで奇妙なことが起きた。最初のミスである符号の間違いが、二つ目のミスである項の移し間違いによって打ち消されたのだ。非論理的な近道は、なぜか冗長な中間プロセスを飛ばす結果となり、着地すべき場所に正確にたどり着いた。それはミスの連鎖であり、無能さのドミノ倒しだったが、論理と確率のあらゆる法則に逆らい、容赦なく「正解」へと突き進んでいった。
ついに、彼は黒板の隅に最終的な答えを書き込んだ。そして、それは正解だった。
彼は振り返った。チョークの粉にまみれ、呆気にとられたような顔をしていた。
「たぶん……これだと思います。運が良かったのかな?」
教室は爆笑の渦に包まれた。あまりにも馬鹿げていたからだ。この間抜けは、つまずいて転んだ拍子に正解の上に顔面から着地したようなものだ。「マヌケな天才」――多くの生徒がそう思った。
だが、二人だけは笑っていなかった。
ハルナは本を置いていた。その目はヒカリに釘付けだった。仮面の下にある人間の本性を読み取る彼女の直感が、今見たものは偽りだと叫んでいた。あんな幸運な人間など存在しない。それは混沌を装ったあまりにも完璧で優雅な秩序であり、侮辱的ですらあった。彼女は脳内で彼を新たなラベルの下に分類した。『要監視対象:アノマリー』。
ケンジロウは息をするのも忘れていた。彼の脳に見えていたのは運ではなく、その裏にある数学だった。相互に打ち消し合う7つの致命的なミスを正確な順序で犯し、正しい結果を導き出す確率は、低いなんてものではない。天文学的に皆無に等しい。それは猿がデタラメにキーボードを叩いて、一発で『ドン・キホーテ』を書き上げるようなものだ。悪寒が背筋を走った。運なんかじゃない。あれは、意図された不可能性だ。
まるで単純なテレビゲームでも攻略したかのように問題を解いたその「ドジな少年」は、嘲笑を気にする様子もなく自分の席へと戻っていった。だがその顔には、彼にしか分からない微かな笑みが浮かんでいた。
授業が終わり、ヒカリが最後に教室を出ると、入り口には数時間前に彼が助けた少女が待っていた。手には植物の鉢植えを持っている。
「あの……これ、あなたに……」 彼女は床に視線を落としたまま、小さな声で言った。 「さっきの……お礼です。ありがとう」
ヒカリは二回瞬きをして、ポカンと口を開けた。やがて、ぎこちないが心からの笑顔が広がった。
「えっ! いや、お礼なんていらないよ。あれは酷い事故だったし! 君にまで怪我をさせるところだったんだから!」
彼は花を受け取ろうとしたが、指が彼女の指と絡まり、危うく鉢を落としそうになった。寸前のところで、慌てた動作でなんとか持ち直す。その光景はあまりにも「ドジ」として説得力があり、ユイも思わず小さく微笑んだ。
「それでも……」彼女は譲らなかった。「ありがとう」
彼女は素早く一礼すると、彼が何か言い返す前に走り去ってしまった。
ヒカリは花を見つめ――ほんの一瞬だけ、「ドジな天才」という仮面が剥がれ落ちた。 脳裏をよぎる記憶。コルドバの山並みにある母の庭で過ごした午後。それは一瞬の哀愁のきらめきであり、誰かが見ていたとしても気付かないほどの速さで消え去った。 彼はただその感情を振り払い、歩き出した。
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