第1話「血液学園」
一年前、彼はその卓越した知性を買われ、日本の学園に招かれた。それに加え、彼の両親がこの国で名声を博していたことも、その一歩を踏み出す大きな後押しとなった。
そして今、彼は「ケツエキ」——血液学園へと足を踏み入れた。そこは、彼でさえ理解しきれないほどの秘密を抱えた異様な場所だった。真の闇の背後には、常に人々が恐れる「本物の怪物」が潜んでいる。闇への恐怖は至極真っ当なものであり、この壁の中では、それこそが絶対的なルールだった。
彼は単なる「交換留学生」に過ぎなかった。組織の「骨格」に触れるためには、そのレッテルを覆す実力を示さねばならない。だが今はまだ、疑念を避けるために偽りの仮面を被り続ける必要があった。所詮は異質な社会の中で受け入れられようともがく、ただの「新入り」であり、「余所者(よそもの)」なのだから。
その一方で、壁の向こう側では、ヒカリが知る「ある真実」が映し出されていた。
石川カイトという少年は、歩いているのではなかった。滑るように移動していたのだ。制服は他と同じだが着こなしはラフで、それなのにまるで戴冠式の衣装であるかのような異彩を放っていた。その傍らを歩く佐藤ハルナは、生徒たちの無様な行進を、目の笑っていない冷ややかな笑みで見つめていた。
「無様だな」とカイトは呟いた。誰に聞かせるわけでもなく、自分自身に言い聞かせるように。
道を空けようと焦った一年生がつまずき、顔から派手に転んだ。誰も助けようとはしない。カイトは振り返りもしなかった。
ハルナは片眉を上げた。 「魚と同じね、カイト。サメの臭いを嗅ぎつけたら散り散りになるわ。生き残ろうとする彼らを責めちゃだめよ」
「生存とは、それに値する者だけに許される特権だ」と彼は断じた。
彼は決して模範的な生徒ではなかったが、今日に限っては、数日前に浮上したある可能性に突き動かされ、明確な目的を持っていた。その理由こそが、田中ユイ。実家の花屋のおかげで植物の世話や植え替えに従事している少女だった。
灰色とコンクリートの無機質な構造物を愛するカイトにとって、彼女の存在は自身の本質と世界観を乱すノイズでしかなかった。
その存在自体が彼への侮辱だった。彼の地位を脅かすからではない。ケツエキ学園の壁の外には、自分の姓が絶対的な法として通用しない世界があるという事実を、彼女が思い出させるからだ。
カイトの取り巻きが三人、本隊から離れた。その意図は遠目にも明らかだった。二階からは、眼鏡をかけた少年が恐怖に怯えながらその様子を見下ろしていた。
彼らが近づいてくるのを見て、ユイは身をすくめた。背も低く、言葉を選ぶのも苦手な彼女は、全身がさらに小さくなったように見えた。
「おいおい、何だこりゃ」三人組のリーダー格、粗暴なリョウタが言った。「可愛い花屋さんじゃないか。こんな掃き溜めに雑草が必要だとでも思ってんのか?」
ユイは言葉が出ず、ただ首を横に振った。手は激しく震え、じょうろの水が靴にこぼれ落ちた。
「ご、ごめんなさい……邪魔をするつもりじゃ……」
その言葉が彼らの神経を逆なでしたらしい。リョウタは彼女の手から植木鉢をひったくった。
「邪魔なもんは、根っこから引き抜かなきゃな」
リョウタが植木鉢を地面に叩きつけようと振り上げたその瞬間、新たな「変数」が舞台に現れた。
「すみません……迷ってしまって。図書館を探しているんですが、教えていただけませんか?」 恥ずかしそうな笑みを浮かべ、彼は不良たちに声をかけた。
リョウタが振り返った。「俺が観光ガイドに見えんのか? 失せろ」
「あ、すみません」彼は心底困惑した様子で言った。「ただ、もしかしたらと……」
邪魔にならないよう彼が一歩下がった瞬間、わずかに浮き上がった石畳の縁に踵(かかと)が引っかかった。
その時、宇宙が自らの法則を捻じ曲げた。
それは単なる転倒ではなかった。彼の体は前方に射出されるように飛び出し、リョウタへと突っ込んでいく。衝突を避けようとヒカリは両腕を伸ばしたが、ブレーキがかかるどころか、左手は不器用に不良の肩をつかんでしまった。同時に、存在しない支点を探してもがいた右足が、二人目の不良の足を払う形になった。
その連鎖は、二秒もかからなかった。
少年の手の動きと落下の重力が合わさり、呆気にとられるリョウタを傍らの木——ユイが毎朝水をやっていたその木へと突き飛ばした。鈍く湿った音に続き、くぐもった破裂音が響く。リョウタの肩が外れた決定的な音だった。
「ごめんなさい! なんてことだ、本当に申し訳ない! つまずいてしまって! 大丈夫ですか!?」
彼は痛みに体を折り曲げ、動かない腕を押さえているリョウタの方を向いた。
「肩が! すぐに保健室に行かないと!」
彼は弾かれたように立ち上がると、地面に転がっている他の二人を完全に無視して、硬直しているユイに歩み寄った。
「お願いします、彼を運ぶのを手伝ってくれませんか?」
返事も待たずに、彼は地面でのたうち回るリーダーから離れるため、実質的に彼女を盾にするようにしてその場を去った。
階上のPC室から、眼鏡の少年がその光景を注視していた。ケンジロウは一瞬たりとも動かなかった。彼の目は、踵が石畳に引っかかった正確な一点に釘付けになっていた。彼の脳は常人離れした速度で回転し、すべてを処理していく。
(確率……変数……)
あれは偶然ではない。角度、体重移動、存在しないはずの支点……すべてが、単なる転倒にしてはあまりにも精密に噛み合いすぎていた。
(これまでの人生で見た中で最も完璧な事故か……あるいは、あの少年が結果を書き換えたか、だ)
彼は一冊の本を取り出した。
(つまずきなんかじゃない。あれは「解答」だ。三つの変数を持つ方程式を、人体という楽器を使って解いてみせたんだ)
彼は本を閉じ、最後にもう一度視線を落とした。
(君は一体何者だ……あの「異邦人(ストレンジャー)」は)
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