世、妖(あやかし)おらず ー不定(さだめず)の魚(うお)ー

銀満ノ錦平

不定(さだめず)の魚(うお)


 泳いでいる。


 魚が泳いでいる。


 見たことのない魚が私の目の前を優雅に泳いでいる。


 多分…【魚〇】だ。


 鯛にしては、身体が赤すぎる。


 鮃にしては、余りにも太過ぎる。


 鯖にしては、光沢がとても輝きすぎているし、若干の青色の鱗も薄く見える。


 鮍にしては、おちょぼ口過ぎる。


 鰒にしては、膨らむ際の形が真三角に整っていてちょっと気持ち悪い。


 鯰にしては、異様にヒゲが長い。


 鮭にしては、卵の色の黒色がとても濃い。


 鱏にしては、尻尾の棘の毒がノコギリ状に整っている。


 鰻にしては、胴体が長過ぎる。


 鮪にしては、泳ぐスピードがとても遅い様に感じる。


 鯱にしては、身体の色は兎も角として、目の大きさがとてもデカすぎる気がする。


 

鯆にしては…愛嬌が無い。


 やはり【魚〇】である事に間違いない。


 今回で数度目撃している誰も知らない魚…。


 今現存し、様々な媒体の図鑑や資料にも載っておらず、 この海辺の片隅の大きい水溜りに住んでいる私だけの穴場。


 私を見つけると何故が笑いながら此方に海水を鰓(えら)の部分から発射してくる。


 おそらく構って欲しいのだろう…と思い、手を水の中に入れて魚と戯れたりと私も暇潰しとして…遊び相手として私と時間を共有していた。


 出会いも特に特別な遭遇体験…という訳ではなく、偶々人が消えたという噂があった村の跡地を検索していた際、海辺に向かうと片隅で異様に海水が噴き出ている場所があったので何となく立ち寄るとこの【魚〇】がいた訳である。


 名前だけは聞いたことはあったが、此処まで異様な姿をした魚を大勢に目撃される事もなく、目撃した人間もいたそうだが…見た目の異様さに嘘か妄想か幻覚か…等と信じてもらえず目撃した人間を馬鹿にした意味を込めて【魚〇】と名付けられ、その存在は幻や冷やかしのネタとして世間に植え付けられていた。


 私もその一人であった。

 

 知り合いからの酒の肴話とつまむ程度に聞いていただけなので、まさか本当に存在するとは…と正直初めて目撃した時は、本当に幻覚を見てしまったのではないか…と自分を疑ってしまう程であった。


 だが、その魚はそこにいた。


 私を見て微笑んでいた。


 魚なのに微笑むのかという疑問はあるだろうが…確かに私を見て微笑んだとしか言えない表情を向けて来たのだ。


 魚な環境に慣れる事はあるだろうが、懐くことはないと私は意識している。


 人が…というか何か知らない大きな不確定生物が餌を与えてくれる…ならそういう場所なのだろう…と認識が変わるだけなのだ。


 そこに愛情等はない。


 ただそういう環境がやってきた…というだけの事である。


 私もそれは理解をしている…しているのだが…この魚だけは憎めないし、放って置けない感情が芽生えた。


 そこから少し遠くてもこの魚〇と会うこととなった。


 一ヶ月に一度来るか来ないかの頻度ではあるが、それでも私が来ると嬉しそうに燥ぐ様に跳ね出す。


 餌も持っていくと更に跳ね出して私はいつも服が濡れてしまうがこれもこの魚の愛嬌という事で納得している。


 しかし、一体何なんだこの魚は…。


 いつも悩み出すがこいつを見ているとそんな気が忽ち消えてゆく。


 本来なら、この魚を捕まえて売り出せば私の名が売れたりするかもしれないのだが…そんなことは出来る筈がない。


 愛嬌…というよりは、初めて見た未知の姿をした存在を見せびらかすのは勿体無い…本当の未知の存在というのは目撃した本人が心の奥底に埋めておいてこその未知…でもあるのではないか…そう私は思う。


 だから私はここで友好を深める。


 いや、友好…と思い込んでいるのは私だけで、あちらさんは全くそんな気はしておらず、あくまで魚は魚、私に向ける視線は【餌を与えてくれる環境】が歩き回っているという認識なだけ、人の主観というのは、環境に応じての共存関係にどうしても情を入れたがる…それは感情表現が異常に発達している人間だから仕方ないにしても、生物側からしたら迷惑この上ない筈だ。


 それでも人は情を求める。


 相手にその気が有ろうが無かろうが…。


 そう思えば、人間でも他人の思考なんて分かる筈が無いのにコミュニケーションの仕方が別の生物の感情なんか余計知るわけがない…。


 解明されている事、説明できる事、目視でしか分からない事…全ては表面上の上で人間が理解してるだけであり、本当に行われているコミュニケーションは自身がその生物に成り変わらない限り知り得ないだろう。


 そもそも自分の存在さえ、自分には知らない未知の部分が多いのに他の生物の未知の部分…更にこの地球に住む生物の未知の部分を知ろう等とは、烏滸がましい…という話である。


 この魚もそうだ…。


 名も知らぬ、何処に住んでいたのか、何の魚の種類なのか、家族はいたのか、雌なのか雄なのか…全て謎に包まれすぎている。


 そんな謎の存在に情を持つなんて、人間という生物の異質で我儘な発達した知能と感情があったからこそなのだと、この魚を撫でながら思い込んでいく。


 魚は笑っている様な顔で此方を見つめる。


 色は赤く、身体は太く光沢が眩しく、所々に見える青色の薄い鱗が垣間見え、おちょぼ口に膨らむと三角形状になり、ヒゲが長く、時折産んでいた卵が黒く、尻尾の棘がノコギリの形をしていて、胴体は長く、泳ぎも遅く、目が異様に大きい…この様な異常な体質と姿をしている謎の…未知の魚の表情は常に微笑んでいる様にしか見えない。


 魚は何を考え私を見つめているのか…。


 そして何故この地域には人間が消えたのか…。


 この魚は知っているのだろうか…。


 いや、知るはずも無いか…。


 私は後ろを振り返る。


 あぁ…相変わらず変わった光景だ。


 誰もいない筈なのに…何故か生活感が取り残されている空気が漂っている。


 残された田んぼに刺さっているクワ、さっきまで稲を刈っていたのか、舌に落ちている鎌と持ち主の足跡、扉の開いたままの様々な一軒家、道の真ん中に止まったままのトラクターとトラック…全て人が突然消えたかの様な中途半端な生活感を取り残したまま…以前この地域の人間の捜索が続けられている。


 消えた証拠も無し、手掛かりの入り口さえ見当たらない…もう私達もお手上げの状態であった。


 だが…1つだけ消失後に起きた変化があった。


 海岸に、岩が増えた。


 それもただの岩ではなかった。


 成分は何かの生物が成分を吸い取られ、消化された成れの果て…という結論が告げられた。


 所々に血の形跡もあり、もしかしたら…という思いとその様な人を丸呑みにしてしまう程の大きい生物なんか見たこともない…という否定的な感情が渦巻いて、何度も当てのない証拠目当てに…そしてその岩でできた大きい水溜りに現れた謎の魚に会いにここに来ている。


 …だが消失の謎を解明できないのに来ているのは、もうこの魚に興味を唆られてしまったから…という理由の方が上回っているのかもしれない。


 何というか…この魚には色気を感じる。


 フェロモンに近いんだと思う。


 だからあの表情も微笑んでいる様に見えてしまうのかもしれない…。


 私は…今日もこの村を訪れる。


 あの魚に会いに…。


 だけど…何故あの突如現れた岩群に囲まれる形であの魚はいたのだろうか…。


 それもあの魚の特徴なのかもしれない。


 私は未知の魚に…きっとまた会いにゆく。


 未知に惚れたのか魚に惚れたのか…それともこの異様な状況の見届けたかもしれない村の最後の生き残りかもしれないという同情なのか…どの感情で動いているのか本当に分からない。


 それでも…あの魚に抱く感情は変わらない。


 あぁ…あの魚の中に…入りたい。


 今日も魚と目が合う。


 魚は微笑む。


 微笑みながら…。


 おちょぼ口の下から出てきた大きい大きい口で…私を包み込んだ。


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 

 




 


 


 


 


 


 

 


 


 


 

 


 


 


 


 


 

 


 

 

 

 

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