棒の話。~弔いすら遅すぎた土地で~

純友良幸

お題「棒」「実家」「しゃべる」

『なあ──帰ろうぜ』と棒が言った。


 男は、まただ、と思う。


 いつからか、部屋の隅に立てかけてある棒の声が聞こえるようになった。手になじむ太さで、長さ1メートルほどのこの木の棒は、昔から男とともにあった。


「帰ってどうする?」

『決まってるだろ、確かめるんだ』


 棒の言葉が、胸のどこかを引っ掻いた。


 二か月と少し前のことだ。仕事から帰ると、男の部屋の郵便ポストに古びた役所の通知が届いていた。住所不明で転送を繰り返し、数か月前にやっと届いた “相続放棄確認の書類”。


「父○○死亡の旨」と書かれている。


 男は読んでもピンと来ない。何年も前の通知だ。


 棒が言う


『なあ……。書類の期限も迫っていることだし、遅すぎた弔いでもしに行こうぜ?』


 今更行ってなんになるのか、と男は思う。届いたときに一度だけ目を通した書類には借金の相続の類はなかった。となればわずかな遺産のためにわざわざ10年以上も前に捨てた故郷に帰る意味を感じなかったのだ。


 男が渋っていると、棒はそれを見越したように


『俺もついていってやるよ』

 と言った。


 お前がそう言うなら。

 男は次の連休、故郷に帰ってみることを決意した。


      ※


 出立当日。実家へ向かうべく、まずは最寄りの駅へ向かう。しかし、そこで若い警察官に職務質問をされてしまった。


 無理もない。三十を過ぎた冴えない男が、長くてがっちりした棒を片手に歩いているのである。


 警官は男に「どこへ行くのだ」「何をしに行くのか」と訊いた。男はそれらの質問に「生まれ故郷の町へ」「実家を訪ねるのだ」と素直に答えた。警官は男の告げた地名に、ほんの一瞬だけ眉を寄せ、「……ああ」と、ため息とも納得の合図とも取れる声をもらし、しばらく言葉を探すように沈黙したあと話を切り替えた。


「その棒はいったい何なのか」


 男は、棒のことをどう説明したものかと言いよどむ。


『杖がわりだ』棒が代わりに答えた。


「ずいぶん太い杖だね。何の棒?」警官は棒の声を気に留めなかった。


「……昔、実家にあったものです。軽くて手に馴染むので、旅に持ってきました。」


 男の言葉に、警官は難しい顔をした。そして「法律で禁止されてるわけではないが、大の男がこんな太い棒をむき出しで持ち歩いてたら、周りの人間が不安に思うだろう。袋かケースに入れて運ぶようにしないとこの先も同じように止められることがあると思う」と、告げた。


 男はそれですっかり気持ちが萎えてしまい、来た道を引き返した。駅へ向かっていた足取りは、いつのまにか部屋へ戻るためのものに変わっている。


『まあ、今日はやめとくか』棒は軽く言った。


 男は何も答えなかった。答えなかったというより、答える言葉を探す気力がなかった。


     ※


 帰路の途中、唐突に背後から声をかけられた。


「おい」


 振り向くと、職場の班長だった。十歳ほど年上で、仕事では必要なことしか話さない男だ。パチンコの帰りででもあるのか、コンビニ袋を提げてサンダルをつっかけた気楽な格好をしていた。


「珍しいな、どっか行くのか」


 男はあいまいにうなづき、そのまま去ろうとしたが班長はさらに言葉を重ねてきた。


「その棒、どうした」


 男は一瞬、言い訳を考えたが、やめた。


「実家に持って行こうと思ってたんですが、むき出しはよくないと警官に止められました」


 班長は少しだけ眉をひそめ、それから鼻で笑った。


「そりゃそうだな」


 それだけ言って、しばらく考えるように黙る。男は、もうそれで終わりだと思った。


「うち寄れ」班長はコンビニ袋を持ち直して言った。「昔、剣道やってた頃の竹刀袋がまだ残ってる」


 男は断る理由を見つけられなかった。


 班長の部屋は、男のアパートと大して変わらない古さと広さだった。渡された袋に、棒はすっぽりと収まった。


「これでいいだろ」「ありがとうございます」


 礼を言うと、班長は軽く手を振った。


「返すのはいつでもいい」


 それだけだった。


 部屋を出るとき、棒が言った。


『世界も捨てたもんじゃないな』


 男は、否定しなかった。そしてそのまま再び駅へ向かった。今度は誰にも呼び止められなかった。


     ※


 在来線から新幹線へと乗り継ぐ。連休初日とあって自由席は満杯だった。


 仕方なくデッキに立ち、車窓から外を眺める。見える景色は、故郷に近づくにつれだんだんと色を失っていくようだった。


「……怖いのか?」


 肩にかけた竹刀袋の中の棒に問いかける。棒は答えなかった。

 聞いたことのある地名がいくつも、過去のもののように流れていった。


 男は、あの玄関先を思い出していた。


 高校生のとき。二人暮らしだった母が死に、頼るあてもなく、男は小学生ぶりに別れた父を訪ねた。


 父はとうに再婚していた。見知らぬ家族がいて、笑い声があった。


 玄関先の立ち話で大学への進学の希望を伝え、学費の話をしたとき、父は少し困ったように笑って、「もうすぐ養育費が終わると思ってたのにな」と、ぽろりと零した。


 それだけだった。


 だが男は、その一言に胸の中の何かが切れた。引き戸の脇に立てかけられていた鍬を掴み、父めがけて振り下ろした。


 鈍い音と重い手ごたえ。鍬の頭が外れ、手には柄だけが残った。


 男は、その棒を握ったまま逃げた。あのあと父がどうなったか確かめることもしなかった。


 ――棒は、それ以来男の手を離れなかった。


     ※


 新幹線からさらに地元の在来線を乗り継いだ。そしてようやく故郷の駅に降り立った男は、風が違っているのに気がついた。うっすら漂う潮の匂い。人の気配が薄く、音が吸い込まれるような空気だった。


 男は歩いた。記憶の中の道をなぞるように。


 だが、家はなかった。町もなかった。


 広がっていたのは、乾いた土地だけだった。何年か前に大きな災害がこの地を見舞ったことは知っていた。だが、男はあえて詳しいことを知ろうとはしてこなかった。あのあとの父に繋がる情報を意識的に避けてきたのだった。


 男は立ち尽くした。棒は、何も言わない。

 男はケースから棒を取り出し、荒れた地面に突き立てた。


 ここは、弔いすら遅すぎた土地だ。


 耕すための道具は、もう役目を終えている。せいを起こすことのできない場所で、この棒がなれるものは一つしかなかった。


 墓標だ。


 棒は、もうしゃべらなかった。


 男は、その場を後にした。


 帰り道、男は無意識に何度か手を握りしめた。何を掴むつもりだったのだと、空の手を見てから気づいた。


     ※


 翌日、男は竹刀袋を返すために班長の部屋を訪ねた。


「おう、飯でも行くか。ラーメンは好きか?」


 班長は、屈託なく笑った。


 男は、一瞬だけ間を置いて、「はい」と答えた。


(了)



 註:本作には特定の災害を想起させる描写がありますが、実在の出来事や被災者の方々を指し示す意図はありません。

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棒の話。~弔いすら遅すぎた土地で~ 純友良幸 @su_min55

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