月光のヴェール

粉雪

第1話 月光のヴェール

 冬は雪に閉ざされる険しいエルド山脈のふもとに、深い森に囲まれた小さな国レスリックがある。


 エルドの霊水をたたえるユーリカ湖、そのほとりにある首都ベルニは、山脈越えの隊商が立ち寄る風光明媚な保養地としても人気だ。


 白壁に青い屋根のベルニ城が冴え冴えとした月に照らされ、鏡のような湖面にくっきりと映る夜はひときわ幻想的だ。


 城下町の酒場では今宵も誰かが、お目当ての娘の気をひこうと楽隊にコインを投げる。前もって打ち合わせたなど素知らぬ振りで、楽師はもったいぶって若者に聞いた。


「リクエストは?」


 コインを投げた若者はそれほど酒を飲まないのに、真っ赤な顔で大げさに亜麻色の髪をした娘を指した。


「〝月光のヴェール〟を彼女に」


 ワッとあがる歓声、突然主役になった娘は目を見開き、口元を両手で押さえ若者を見あげる。


 楽隊の奏でる物悲しい旋律に合わせ吟遊詩人は歌う。


 季節は秋、月が一年で一番大きく輝くという月輝祭、そこで起こった信じられない出来事を。



 月光の国と呼ばれるレスリックの王ルバルトはまだ若く、お妃様がいなかった。


 がっちりした体格で健康そのもの、王族に多い銀髪で瞳は母譲りの明るい青で、精悍でりりしい顔立ちだが、笑うと甘やかな色香もある。


 昨年、父王が急な病で倒れ、幸い回復したものの、すっかり気力を失った父から王位を譲られたばかり。


 深い森と湖に囲まれた首都ベルニは、交易のために立ち寄る隊商も少なく、平和だがそれほど豊かではない。


 王といえどのんびりできる訳もなく、国境の見回りや森での狩り……ルバルトがようやくひと息ついたのは秋だった。


 恋の季節は春から夏、すでに森での採集も終わり、出会いのチャンスはない。エルド山脈が雪をかぶれば隊商も来ない。城門を閉ざし、城下町ごと冬ごもりする。


 だが従者のギルと狩りにでかける彼を捕まえ、宰相のピカードはしつこく粘った。


「王よ、どうかお妃様を迎えられてください。せめて月輝祭までにはご婚約を」


「分かってる。だが鹿をあと二頭は捕りたいんだ」


「お妃候補は国外にもおられます。隣国のアライア姫はたいそう美しく、年のころもちょうどいいかと。ぜひ文を書き贈りものをなされませ」


 それでルバルトもその気になり、狩りでとらえた鹿の皮をなめして、アライア姫に求婚の文とともに贈った。


 返事が届いたのは月輝祭のひと月前、アーリャの押し花を漉きこんだ美しい紙に、紫露草から作った藍色のインクで流麗な文章がつづられている。


『レスリックには月光を編んだヴェールがあるとか……私を花嫁にとお望みならば、ぜひそれを月輝祭にお持ちくださいませ』


 いい香りまでする紙に美しい発色のインクでしたためられているが、ていのいい断り文句だ。だが逆に、ルバルトは感心した。


「いい香りがする紙だな。がぜん興味が湧いたぞ。ピカード、姫のいう月光を編んだヴェールとは何だ」


「月といえばおそらく……ナーロッシュの魔女でございましょう」


「エルド山に住み湖を守る魔女か」


 魔女は山腹にある粗末な小屋でひっそりと暮らす。山は生きる術を知る者には豊かな恵みをもたらす。ルバルトも子どもの頃から何日も森で過ごした。


 飢える者がいないレスリックにも、親を亡くした子や迷い子、親に捨てられた子は存在する。


 魔女は預かり子たちと暮らし、たまに山から街に降りて薬草を売り、必要な品を買って帰る。


「ナーロッシュの魔女は気難しいと聞く。いきなり行ったら気を悪くするかな」


 さして乗り気でなかったくせに、求婚するならば絶対に成功させたい。


「魔女を訪ねる人間はみな、困りごとを抱えて突然やってきます。向こうも慣れたものですよ」


 従者のギルは気楽にそう答えるが、念のため街で岩塩や香辛料に蜂蜜、ついでにブドウ酒なども用意させ、ラバの背にくくりつけた。


「では宰相、あとは頼む。父上もよろしくお願いします」


「ああ」


 病みあがりの父は痩せて、ひと回り小さくなった。


(なるべく早く妻を迎えるべきかもしれぬ)


 ルバルトは初めてそう思った。


 城壁をでてエルド山の道を、ラバの背に揺られのんびり進む。道は隊商により踏み固められているが、魔女の家は途中で道を外れて森を抜けた岩場にある。


 ラバでも二日かかり森で野宿した。ルバルトはギルと火を囲んで干した鹿肉をかじり、持参した酒でのどを潤す。月輝祭まではまだ二十日以上あり、空には糸のように細い三日月がかかる。


「なぜ魔女は人里離れた所に住むのかな。力を借りたい者は大勢いるだろうに」


「それが煩わしいのでは?」


 街の市場で見かけたナーロッシュの魔女は、黒髪の少年を連れ杖にすがるようにして歩いていた。


「だが子どもたちもいるのだ。住まいを用意し冬の間だけでも城へ呼ぼうか」


 口にだしてみればいい考えに思えた。森を知り薬草にも詳しい魔女が城にいるのは何かと心強い。


 翌朝ふたりが目を覚ますと山は霧に包まれ、視界に映る物は何もない。見回しても樹々の影すらおぼろだ。


「霧が晴れるまでヘタに動けないな。魔女のめくらましか?」


「ひぃ、ひき返しますか?」


 話すうちに髪がしっとりと濡れてくる。ルバルトが前髪から露をはらえば、湿った冷たい風にラバがぶるると身を震わせた。


「ひき返すより魔女の家に向かう方が早い。日が昇りきれば霧も晴れるだろう」


 だが森を抜けたところで、ギルが濡れた岩で足を滑らせた。ケガは軽いが歩けない。ルバルトは自分のラバに二人分の荷物を積み、もう一頭にはギルを乗せた。


「治療を頼むついでに、月光のヴェールについて聞こう」


 ようやく昼すぎに魔女の小屋にたどり着き、ホッとすると小さな女の子と男の子が、岩の上からヒョコっと顔をだす。ルバルトと目が合うとまた引っこみ、まるで野生のリスかウサギだ。


「サム、おっきな男の人がふたり!」


「ラバといっしょだよ!」


 甲高い声が走っていき、澄んだ声がそれに応える。


「二人とも家におはいり」


 やがて黒髪の少年が姿を現した。十三、四ぐらいか、澄んだ水色の瞳はユーリカ湖の湖面を思わせる。


 警戒するように目を細めた少年は、伸びかけた黒髪を頭の後ろで一本に髪ヒモで束ねていた。


「魔女は留守だ。何の用だ」


 ルバルトは少年へ親しげに呼びかけた。


「市場で魔女といっしょにいた少年だな、サムというのか。俺はルバルト、レスリックの国王だ。魔女が留守ならば伝言を頼む。ギルの手当てもしたい」


 サムはギルを見てから、ルバルトをじろりとにらむ。だが治療は必要だと判断したらしい。


「こちらへ」


 すると閉ざされていた小屋の窓から、またヒョコっと小さな頭がふたつのぞいた。子どもたちは七歳ぐらいで、そろいのベストを着ている。


「お客様?」


「あやしい人?」


「レスリックの王様と従者の方だよ。パブロ、ラバに水を。ジーナ、手当ての道具を持ってきて」


 サムが子どもたちに話しかける声は、安心させるためか柔らかい。はしゃいだ声で二人が叫ぶ。


「王様だって!」


「サムを迎えにきたの?」


「ちがう!」


 頬をさっと朱に染め、サムは焦ったように言い返す。迎えが来るというからにはサムも預かり子のひとりなのか。


「いいや、魔女に相談があってね。そうしたらギルが足を滑らせてケガをした」


 ルバルトの説明に、髪をおさげにしたジーナがくすくす笑う。


「大人はケガをしやすいの。体が大きくて重いから」


「僕らならへっちゃらだけどね!」


 つばつきの帽子をかぶったパブロが小屋から飛びだし、ギルが座れる椅子を持ってきて、ラバの手綱をひったくるようにして預かった。


 二人のスカートやズボンには、大きなポケットがついている。


「このラバ、名前は何?」


「ゴーシュにネロだ」


 ルバルトが教えてやると、手綱を握ったパブロは偉そうに二頭のラバに話しかけた。


「ゴーシュ、ネロおいで。おいしい水に干し草があるよ!」


 手当てのための道具箱を持つジーナは、うらやましそうにそれを見る。


「ねぇ、私も後でラバに触っていい?」


「いいとも。少しだけなら乗せてやろうか」


「ホント?」


 顔がパアッと明るくなったジーナにサムが告げる。


「ジーナ、お客様にお茶を用意して」


「はーい!」


 スキップで駆けていくジーナを見送り、ルバルトは頭の後ろをポリポリとかいた。


「大歓迎だな」


 年老いた魔女を訪ねたつもりが、子どもたちに囲まれるとは。


「王様は女性にはからっきしだが、子どもや老人にはモテますからねぇ」


「ほっとけ」


「子どもたちは客人が珍しくて人懐っこい。礼儀知らずな所もあるが許してほしい」


 そう言ってサムはギルのブーツを脱がせ、骨の様子を調べてから薬を塗り、足首にきっちりと包帯を巻いた。


 礼儀知らずどころか子どもたちは賢そうだし、きちんと世話もされているように見える。


 それは年長であるサムも同じで、ルバルトはギルを治療する手つきを感心して見守った。


「骨に異常はない。腫れがひいたら歩けるだろう」


「ありがとうございます」


 道具を片づけてサムが立ちあがると、ジーナがポットと木のカップを載せたお盆を手に小屋からでてきた。


「おまたせしました。サムの分もあるわよ!」


 隊商が運ぶ茶葉ではないが、数種のハーブを使った薬草茶らしい。リラックスする香りの湯はとろりとしてほのかに甘い。ルバルトはひと口飲んで目をみはる。


「これはうまい!」


「体を温めるユリカズラの根を使った」


 サムは簡単に言うが、ユリカズラの根は大人の腰の深さまで掘らなければ採れない。だが砂糖も手にはいらない山間の暮らしで、この甘味は子どもたちが喜ぶだろう。ルバルトはサムに興味が湧いた。


「君も預かり子なんだろう、迎えがこなければどうなる」


「十六になれば独立する決まりだ。その時になったら考える」


「俺の所にきたらどうだ。君ならよく気がつきそうだし、薬草の知識や手当の心得もある。きちんと考えてから話す所も気にいった」


「え?」


 顔を赤くして戸惑うサムは、不愛想だが可愛い顔をしている。城でもきっと人気が出るだろう。いい考えだと思ったルバルトは、うんうんとうなずいた。


「ギル以外の従者もほしかったんだ。返事は魔女が戻ってからでいい、考えてくれないか」


「従者……」


 サムがぼうぜんと呟き、横で聞いていたギルは情けない声をだした。


「王様、それじゃ私はお払い箱ですか」


「そうじゃない、姫はサムみたいな子がいたら喜ぶんじゃないか?俺たちはどちらかというと、うっそうとした山男だし」


 そこまで言ってルバルトは、本来の用件を思いだした。


「そうだ、姫だ。俺がここまで魔女に会いに来たのは」


「姫?」


 首をかしげたサムに、ルバルトは簡単に説明した。


「隣国の姫君に求婚したい。そのために月光のヴェールが必要なんだ」


「きゅうこんって?」


 ラバを連れて戻ってきたパブロが口を挟む。サムが黙っているとジーナが澄まして答えた。


「プロポーズよ。お姫様とけっこんするの。ねぇ、お姫様ってどんな人?」


「知らん。会ったこともない。だが手紙をもらった」


 ジーナの問いにルバルトが答えると、パブロが目をぱちくりした。


「王様、会ったこともないお姫様にプロポーズするの?」


「ああ、そうだ」


「なぜ月光のヴェールが必要に?」


 不審そうにたずねるサムに、ルバルトは懐にしまっていた手紙を差しだす。


「この手紙に書いてある」


「見てもいいのか?」


「たいした内容じゃない、かまわないさ」


 アーリャの押し花を漉きこんだ美しい封筒と便箋にサムも目を見張り、慎重に手紙を開いて文面に目を通し……二、三度くり返し読んでからようやく顔をあげた。


「これ、あなたフラれているよね」


「サムは字も読めるのか。魔女の教育はすばらしいな」


 肝心なことを気にしていない王様に、サムは口を尖らせて指摘した。


「いや、そうじゃなくて。『月輝祭までに月光を編んだヴェールを持ってこい』なんて無茶ぶり、ていのいい断り文句では?」


「ああ。だがヴェールがあれば顔を見る口実にはなるし、話もできるだろう。それに月光のヴェールを目にしたら、気位の高い姫君がどんな反応をするか気になるじゃないか」


 サムはますます分からない、という顔になる。


「ええと……あなたが姫君に会いたいのは綺麗な便箋だったから?美しい藍色をした紫露草のインクだから?それとも封筒からいい香りがしたから?」


「ぜんぶだ。月の魔術を使う魔女ならば、ヴェールを編むこともできるだろう。魔女はいつ戻る?」


「魔女が戻るのは月の力が満ちる月輝祭ギリギリだ。とても間に合わない」


 サムが困り顔で答えても、ルバルトはさして残念がるでもなくうなずいた。


「そうか、月輝祭の前に改めて訪ねることにしよう」


「やってきてもヴェールは渡せないよ」


「かまわないさ。君たちにまた会いたいし、ギルを手当てしてくれた礼がしたい」


 朗らかに言うとルバルトは約束通り、ジーナをラバに乗せてひと回りしてから、足に包帯を巻いたギルと一緒に帰っていった。




 シェーダと呼ばれる寒風が吹くと、植物たちはみな枯れて大地に還る。作物のなくなった畑は冷たい風の領域となる。


 夜空には先日よりも太くなった月が光を増し、月輝祭が刻々と近づいていた。約束通りルバルトは、ふたたび魔女の家を訪れた。


「魔女はまだ戻らない」


 不愛想なサムに彼は明るく笑う。


「いいんだ、君たちに会いに来たんだから」


「私たちに⁉」


 サムの後ろからジーナが顔をのぞかせて、緑の瞳を輝かせた。


「こらジーナ!」


「あぁ、そうだ。君たちへの贈り物を持ってきた」


「僕の分もある?」


「もちろん。パブロには新しい弓、ジーナにはナイフ。そしてサムには本だ」


「わぁ!」


「すごい、刃がピカピカ!」


 子どもたちはすぐに夢中になり、サムは異国の童話を押しつけられた。


「見たらここには魔術書しかないようだ。冬の間退屈だろう、君が二人に読んでやるといい」


 綺麗な挿絵の童話はルバルトが隊商から手に入れた。お城の図書室で姫君が読むようなぜいたくな装丁だ。サムはこんなに美しい本を今までに見たことがない。


「綺麗……」


「気にいったか?」


 つかのま本に見入り、我に返ったサムは屈託なく笑うルバルトをにらんだ。


「これは姫君にやった方がいい。きっと贈り物にふさわしい」


「アライア姫に?考えもしなかったな。それに彼女が望んだのは月光のヴェールだ。月輝祭が終わったら春まで城に来ないか、従者の件も考えてほしい」


 サムは硬い表情で首を横に振った。


「ここの暮らしは快適だ。それと従者にはならない」


「残念だなぁ」


 心底惜しそうなルバルトに、サムは目を合わせない。


「会ったこともないくせに。姫君が本当は鼻も眉毛もひん曲がってたらどうする」


「どうもしない。こんな手紙を寄越すぐらいだ、きっと機転が効いて話も面白いさ。何より俺が今まで会ったこともない女性だ」


「手紙ぐらいでバカだろ」


 怒ったように呟くサムに、ルバルトは苦笑して首をすくめ、ひらりとラバにまたがった。


「ちがいない。月輝祭には手ぶらで行って振られてくるさ」


 子どもたちはルバルトを見送り、サムは小屋から出ずに本を抱えたまま動かなかった。


「月光のヴェール……」


 あんなヤツ、振られて帰ってくればいい。


 ヴェールは花嫁を幸せにする力を持つ。けれどそれは花嫁が自分で願いをこめて編むからだ。


 それを欲しがる姫君もどうかしてるが、会ったこともない姫のため、手にいれようとする男もたいがいだ。


「似たもの同士、よろしくやればいいさ」


 扉を小さく叩く音がして、ジーナがひょっこり顔をのぞかせた。


「サム、王様帰っちゃったよ」


 パブロも弓を持ちあげてみせる。


「王様、次はいつ来るかな。弓をちょっとだけ教えてくれたんだ」


「もう来ないよ。それより王様にもらった本を読んであげる」


 サムが本を見せると、二人はパッと顔を輝かせた。


 子どもたちが寝静まった晩、サムは魔女の戸棚を開け、長くて細い棒を二本取りだした。


 扉を開けて外に出れば、吹き荒ぶシェーダがサムの小さな体を飛ばしそうになる。


 エルド山から突きだすようにそびえる岩場にある魔女の家からは、月を映すユーリカ湖と城下町がよく見えた。


 白壁と青い屋根のベルニ城には明かりが灯り、ルバルトがそこにいると思うと胸が騒ぐ。


 ここに魔女はいないけれど。の自分ならいる。


 ユーリカ湖の水源たるエルドの霊水を桶に汲み、サムはひざまずく。水に映した月へ編み棒をさして呪文を唱えれば、月光が輝く細い糸へと紡がれる。


 糸が切れることのないように、慎重に指を動かす。スルスルと紡げる糸は朝になれば、沈む月とともに消えてしまう。ヴェールにするには夜通し編まねばならない。


 吹き荒ぶ風で体はどんどん冷え切り、髪だけでなく全身がしっとりと露に濡れた。


「なんでこんなことしてるんだろう」


 本をもらったから?


 子どもたちが懐いたから?


 ほめられたのがうれしかったから?


「顔も知らない姫君に贈るって知っているのに」


 月光を溶かしたような、ヴェールよりも美しい銀髪をなびかせ、屈託なく笑う男。


 ホッとしたように笑うところも、照れくさそうに頭をかくところも、日差しを浴びて輝くユーリカ湖より眩しかった。


 でもずっと他の女に求婚する話をしていた。


「従者になれ、だって」


 サムは自嘲気味につぶやく。動きやすいとはいえ少年にしか見えない格好だったことを、少しだけ後悔する。


 指がかじかむが、体が冷え切る前にヴェールを編み終えなければ。


「編んだって幸せになれないと、知っているのに」


 それでも彼女は自分の手を止めず、必死に指を動かした。


『ヴェールがあれば、少なくとも顔を見る口実にはなるし、話ぐらいできるだろう』


「チャンスをやるだけだ。アイツにチャンスを……」


 なんとか夜明けまでに編み終えると、明るい月の光を紡いだヴェールは、暁に照らされて冴え冴えと輝いた。彼女の体はすっかりと冷え切り、そのまま崩れるように倒れこんだ。




 月輝祭はレスリックでも隣国ザイドラでも同様に行われる。姫に月光のヴェールが渡せないことを、ルバルトはそれほど気にしなかった。


 実物のアライア姫は想像以上に美しいが、求婚者たちに囲まれる姿に気持ちがすっと冷めた。


 ルシアの王子は紅玉のチョーカーを持参したという。ルバルトの心をとらえたレターセットやインクは、あのうちの誰かから贈られた物かもしれない。


 思えば求婚騒ぎで楽しかったのは、魔女の家を訪ねて黒髪のサムや子どもたちと出会ったことだ。


(山から下りぬのであれば、春まで会いには行けないが、仲良くなりたいってのは変かな?)


 優しい甘さのとろりとした薬草茶はあそこでしか飲めない。


(サムは子どもたちに優しい声で語りかけても、俺にはにこりともしないんだよなぁ……)


 そこへ小さな子どもに挟まれ、仲良く左右の手を繋いだギルが、困った顔でやってきた。


「なんだギル、そうしていると子持ちみたいだぞ」


「陛下のせいですよ」


「俺の?」


 恨めしげな従者が連れている、子どもたちをよく見て、ルバルトは目を丸くした。


「パブロ、ジーナ!」


 月輝祭に合わせ銀糸で刺繍した揃いのベストを着て、二人はルバルトに包みを差しだす。


「王様、忘れ物を届けにきたよ」


「違うわよパブロ、お届け物よ」


 ジーナが注意し、パブロは慌てて言い直す。


「そうそう、お届け物。受け取りのサインはえっと……ここだ!」


「私たちサムの代わりに届けにきたの!」


 だがそこに記された差出人の名に、ルバルトの目は釘づけになった。


「……?」




 サムが目を開けるとそこには魔女がいた。


「ようやくお目覚めかい、


 意識がはっきりしたサムはガバリと起きあがる。魔女に申し開きをしなければ。だが魔女は全部お見通しだった。


「お人好しにも程があるね。男が他の女に贈るヴェールを編んでやったって?見習いとはいえ魔女失格だよ」


 まさしくその通りで、サムはうつむくしかない。しかもノドが激烈に痛い。声も出せず落ちこむ彼女を魔女は鼻で笑う。


「ふふん、情の強さが魔女らしいっちゃらしいけど。色恋には全然興味がなかったサムがねぇ」


 美しい装丁の童話をパラパラとめくり、魔女は残酷な宣言をした。


「お前は言いつけを破り、勝手に編み棒を持ち出し、編んだ月光のヴェールを人にやった。魔女になることは認めない。月輝祭で十六になるお前はここを出ておいき」


 はらはらと涙をこぼしながらサムはうなずく。魔女の跡を継ぎ湖を守るために薬草や医療、さまざまな知識を身につけた。そのすべてがムダになった。


 分かってやったことだし、パブロとジーナに別れを告げなければ。けれど小屋を見回しても二人の姿はどこにもない。


「あの子たちは使いに出した。お前は預け主に返すが、その前に自分のしでかしたことの結末を見届けな。それが罰だよ」


 青ざめるヒマもなかった。月が一年で一番大きく輝く月輝祭、ナーロッシュの魔女の力は最も強くなる。


 次の瞬間、サムは魔女と城の大広間に裸足で立っていた。灯された無数の燭台に煌びやかなドレス、大きなテーブルにずらりと並べられたご馳走……初めて見る光景に目をみはる。


 そこではルバルトが月光のヴェールを広げていた。女神のように美しい女性が鈴を転がすような軽やかな声で彼に話しかける。


「まぁ!これが月光のヴェール……なんて美しいのかしら!」


 月光のように澄んだ光を放つ、輝くヴェールを姫君はうっとりと見つめている。


 魔術が効いているのか、広間に突然現れた魔女とサムを気にかける者はない。サムは夜着ひとつの姿で、ぎゅっと唇をかみしめた。


(見たくない)


 姫の手がヴェールへと伸ばされる。


 けれど見届けるのがサムに与えられた罰。


 ルバルトは銀糸で月と星の刺繍がほどこされた月輝祭の正装で、王族らしい威厳と華やかさだ。これなら求婚を断られないだろう。見惚れると同時に胸がじくじくと痛む。


(イヤだこんな感覚)


 だがこれが罰なのだ。覚悟を決めたその時に、ルバルトの声が広間に響いた。


「このヴェールの持ち主は別にいる」


 ヴェールに伸ばしかけた手を止め、アライア姫は信じられない、というように目を見開いた。


「私への求婚はウソでしたの?」


「ウソではない。私は姫の求めに応じてナーロッシュの魔女を探し、ヴェールを編んでくれと頼もうとした。だが魔女には会えず、私は手ぶらでここにやってきた。だから姫に求婚する資格はない」


「ではそのヴェールはいったいどなたのだと?」


 アライア姫がまばたきをする。


「二日かけて魔女を訪ねた私を薬草茶でもてなし、ケガをした従者の手当てをしてくれた者がいる。私の戯言にもつき合い、贈り物も受けとってくれた。このヴェールを用意したのも……だからこれはサマンサのものだ!」


「その言葉……確かにナーロッシュの魔女が聞いたよ。間違いはないね、レスリックの王!」


 魔女の割れるような声が響き、大広間にいた全員がサムたちに気がついた。ルバルトまでもが目を丸くする。


「サム⁉」


 薄い夜着ひとつの姿で身を震わせる彼女に駆け寄り、ルバルトは光り輝くヴェールでその身を包むと、折れそうに細い体をしっかりと抱きしめた。


「サム……サマンサ、従者になどと言ってすまない。きっと城の者たちはきみを好きになると思ったんだ。このヴェールはきみの物だ!」


 涙の跡があるサマンサのほほに触れ、ルバルトはすまなさそうに眉を下げた。


「ジーナとパブロから、君が命がけでヴェールを編みあげ、倒れたと聞いた。急ぎレスリックに帰ろうと、いとまごいの挨拶をしていた。ヴェールよりも何よりも、君が生きている方が大事だ」


 サマンサは訳が分からない。ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるルバルトがいつもより近すぎて、頭が沸騰しそうだ。


 魔女はふん、と鼻を鳴らすとザイドラ国王に吠える。


「ザイドラの王、預かり子を返すよ」


「預かり子だと……まさかザックの娘か?」


 輝くヴェールに包まれて震える娘は、王の弟ザックの面影がある。忘れ形見は両親を失い、魔術の素養があるからと魔女に預けられた。アライア姫はサマンサを振り返った。


「あなたは私の従妹ということ?」


「知ら……ない」


 何も知らないサマンサはかぶりを振るしかない。


「サム!」


「王様がサムにプロポーズした!」


 はしゃぐ声に聞き覚えがある。なんとジーナとパブロがおめかしをして、ギルと並び彼女に手を振っている。


 何もかもお見通しの魔女は、知っていて彼女を連れてきたのか。


 サマンサをすぐに連れ帰ろうとしたルバルトは、結局アライア姫に止められた。


「このままこの子をお嫁にだす訳にはいきません。まずは保養地で磨きをかけましょう。いい温泉があるのよ」


 少し落ち着いたサマンサは、輝くばかりに美しい姫君にそっとたずねた。


「あの……」


「なあに?」


「手紙の書き方、教えてくれる?」


 そのひと言にアライア姫は花がほころぶように笑った。


「あら、私のコレクションも役に立ったのかしら。可愛い従妹ができてうれしいわ。いいわよ、いっしょに便箋を選びましょうね」


(それなら王様が喜ぶ手紙が書ける)


 サマンサは姫の申し出にこくりとうなずいた。

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