第四部:神様との新たな契約
あの嵐のような夜から、一ヶ月が経った。会社では、原因不明のサーバーダウンと、その後の奇跡的な復旧劇が令和のミステリーとして語り草になっていた。
原因究明チームが出した最終報告書には、『局地的な落雷による一時的な電圧異常』という、もっともらしい嘘が記載されている。
俺の家のドアの修理費が三万円かかったこと以外は、すべてが元通りだ。
いや、一つだけ変わったことがある。
日曜日の午後。俺はスーツではなく、ラフな私服で神社の石段を登っていた。息を切らせながら鳥居をくぐると、そこには以前よりも清涼な空気が満ちていた。手水舎の水は透き通り、境内の木々は生き生きと葉を揺らしている。
俺は拝殿の前で一礼し、パンパン、と柏手を打った。そして、バッグから一束の書類を取り出した。
「株式会社高天原ホールディングス御中……なんてな」
苦笑しながら呟くと、拝殿の奥から鈴の音が響いた。スゥーッと風が吹き抜け、誰もいないはずの空間に、あの少年が姿を現した。
「遅いぞ、コンサルタント」
白兼だ。威儀を正した狩衣をまとい、その周囲には淡い光の粒子が舞っている。
本来の神様の姿は、息を呑むほどに美しかった。ただ、その手に最新型のタブレット端末が握られていることを除けば。
「Wi-Fiの調子はどうですか?」
「うむ、快適じゃ。おかげで動画配信もサクサク見られる。感謝するぞ」
「それは何より。……さて、お約束の業務改善案を持ってきました」
俺は持参したクリアファイルを開き、拝殿の縁側に広げた。題して、『白兼神社における参拝客対応の効率化および祭神の労働環境改善に関する提案書』。
「まず、願い事の選別です。現在、白兼様は全ての願いを真に受けすぎです。『宝くじ当てて』とか『あの子と付き合いたい』とか、努力不足な他力本願は、自動音声……じゃなくて、風の音でスルーするシステムを導入しましょう」
「ほう。無視しても良いのか?」
「構いません。神様だってリソースは有限です。本当に困っている人の声だけをピックアップする。これを『優先度付きキューイング』と言います」
白兼はふむふむと頷き、タブレットにメモを取る真似をした。
「次に、定休日の導入。毎月一日は『
「うむ。それなら白蛇もうるさく言うまい」
俺の説明を真剣に聞く神様の姿は、まるで研修を受ける新入社員のようだ。
俺は最後に、コンビニの袋をガサゴソと探った。
「それと、これが今月の報酬です」
取り出したのは、新発売のカップ麺『プレミアム濃厚ウニクリーム味』と、課金用ギフトカード。白兼の瞳が、黄金色に輝いた。
「おお……! 待っておったぞ!」
「食べ過ぎには注意してくださいよ。神様が生活習慣病になったら笑えませんから」
「分かっておる! ……大儀であった」
白兼は供物を受け取ると、柔らかく微笑んだ。その笑顔は、アパートで見た無邪気なものとは少し違い、どこか慈愛に満ちていた。
帰り際、俺は改めて賽銭箱の前に立った。
財布から五円玉を取り出し、投げ入れる。
チャリン、と重たい音がした。
「……また、来ますね」
「うむ。いつでも来い。愚痴くらいなら、優先度付きキューイングしてやるぞ」
(使い方、ちょっと違うけどね)
白兼がひらひらと手を振る。その横には、いつの間にかあの強面の白蛇も実体化しており、無言で深々と頭を下げていた。
石段を下りながら、俺は空を見上げた。抜けるような青空だ。明日からはまた、デスマーチが待っているかもしれない。理不尽な仕様変更があるかもしれない。けれど、以前ほど足取りは重くなかった。
俺には、帰る場所がある。そして、俺の帰りを待ってくれている神様がいる。誰かの役に立っているという実感。それは、システムエンジニアとしての仕事でも、神様のコンサルタントとしても、変わらない俺の原動力だ。
「……さて、帰ってビールでも飲むか」
独り言を呟き、俺は歩き出した。背後の神社では、微かな風が木々を揺らし、「お疲れ様」と囁いたような気がした。
翌日、神社の賽銭箱の横には、空になったカップ麺の容器がきれいに洗って置かれていたという。それを見た参拝客たちが「誰の悪戯だ?」と首を傾げたのは言うまでもないが、それはまた、別の話である。
神様、有給休暇をとる 森元博隆 @Morimoto_Hirotaka
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