第三部:神使の強襲と、サーバーダウンの危機

限界だった。精神的にも、そしてアパートのドアの強度的にも。


「開けぬか! 白兼様! そこにいるのは分かっておりますぞ!」


ドガァン! という音と共に、安アパートの鉄扉が悲鳴を上げた。鍵がかかっているにも関わらず、蝶番ちょうつがいの方が先にギブアップしそうだ。


俺は震える手でドアチェーンをかけたまま、少しだけドアを開けた。


「あ、あの、どちら様で……」


隙間から見えたのは、岩だった。いや、岩のように厳つい顔をした、巨漢の男だ。身長は二メートル近いだろうか。黒いスーツにサングラス、角刈りという出で立ちは、どう見てもその筋の人である。


「……貴様が、我が主をかどわかした不届き者か」


男がサングラスをずらし、ギロリと俺を睨んだ。その瞳孔どうこうが、爬虫類のように縦に裂けているのを見て、俺はヒッと息を呑んだ。


「ひ、人違いです! ここには貧乏なシステムエンジニアしかいません!」


「嘘をつけ! 中から極上のカップ麺の香りと、主の『あと一回でガチャの天井じゃ!』という邪念が漏れ出しておるわ!」


白兼のやつ、こんな時までガチャを回していたのか。


巨漢の男——白蛇の化身であろう彼は、ドアの隙間に強引にねじ込まれた丸太のような腕で、チェーンを引きちぎらんばかりに力を込めた。


「待ってください! 話せば分かります!」


「問答無用! 白兼様、おたわむれはこれまでです! 直ちに社へお戻りください!」


男の咆哮に、俺の背中にへばりついていた白兼が叫び返した。


「嫌じゃ! 断固拒否する! 我はまだ有給中じゃ!」


「有給などという制度は神界にはございません! 貴方様が不在の間、誰が地域の穢れを祓うのですか!」


「知らん! たまには其方そなたがやれ!」


「私は物理攻撃しかできません!」


物理攻撃。なるほど、この筋肉なら穢れも物理で殴り倒せそうだ。


俺たちの押し問答が続く中、アパートの廊下の電気がバチバチと火花を散らし、完全に消灯した。周囲の空気が重く、冷たくよどんでいく。


霊感ゼロの俺でも分かる。ヤバイものが集まってきている。


その時だった。俺のポケットに入っていた社用スマホが、けたたましい警報音を鳴らした。それは、システム障害を知らせる緊急アラートだ。最も聞きたくない、地獄のファンファーレ。


「……うそだろ」


俺はドアを体で押さえながら、震える手で画面を確認した。表示されたのは、俺が担当している病院予約システムのサーバー監視モニターだ。画面は真っ赤に染まっている。


『Critical Error: Database Connection Failed』

『Unknown Error: 666』


「なんだこれ……」


通常、エラーコードは定義された数字が出るはずだ。しかし、ログ画面を流れる文字列は、文字化けを通り越して異様だった。アルファベットや数字に混じって、見たこともない記号や、まるでお経のような文字列が高速で流れていく。


直後、会社の上司から電話がかかってきた。


『やばい! データセンターがダウンした!』


「えっ、データセンターごとですか!? 予備電源は?」


『落ちた! 原因不明だ! 現場からの報告だと、サーバールームの空調が急に止まって、室内温度が異常上昇してるらしい。それにな……』


上司の声が震えていた。


『現場の人間が、黒いモヤを見たって言って逃げ出したんだ。お前、家近かったろ!? 確認して来てくれ!!』


「そんな無茶な……」


そこでハッとした。データセンターの場所。それは確か、白兼神社の裏手にある工業団地の一角だ。俺は恐る恐る、ドアの向こうの巨漢——白蛇に尋ねた。


「あ、あの……もしかして、神社の裏にある工業団地も、お宅の管轄ですか?」


白蛇は眉間のシワを深くし、重々しく頷いた。


「いかにも。あそこは昔、鬼門を封じるための要石かなめいしがあった場所。白兼様が常日頃、神威で抑え込んでおられたのだが……」


俺は背後の白兼を振り返った。白兼はバツが悪そうに視線を逸らし、タブレットの画面をタップしている。


「……一週間。我がおらぬ間に、抑えが効かなくなったようじゃな」


「ようじゃな、じゃないですよ!」


俺は叫んだ。事態は深刻だ。病院の予約システムが止まれば、明日の朝、数百人の患者が混乱する。救急の受け入れにも支障が出るかもしれない。それが、俺の家にいるガチャ狂のせいだなんて。


「おい、聞いてるか!?」


「あ、はい! 部長、すみません、すぐかけ直します!」


電話を切り、俺は白兼の両肩を掴んだ。


「白兼。帰るんだ」


「……嫌だ」


「頼む。お前が帰らないと、俺の仕事が、いや、たくさんの人が困るんだ」


「嫌だと言っておろう! 帰ればまた、終わりのない労働の日々じゃ! 我はもう疲れたのだ!」


白兼が俺の手を振り払った。その目には、涙が溜まっていた。


「人間はいいな。疲れたら辞められる。死ねば終われる。だが神は死ねぬ。忘れ去られるその日まで、何百年も、何千年も、ただそこにいて尽くさねばならん。……お前なら分かるであろう? この苦しみが!」


言葉が胸に突き刺さる。永遠のブラック労働。ゴールのないマラソン。


俺は彼に、カップ麺とゲームと、ささやかな休息を与えたつもりだった。でも、それは彼にとって絶対に手放したくない甘い蜜になってしまったのだ。


「白兼様……」


ドアの隙間から、白蛇が悲痛な声を上げた。その時、俺のスマホが再び鳴った。今度は上司からではない。病院のシステム担当者からだ。今頃、現場はパニックになっているはずだ。


俺は深呼吸をした。エンジニアとして、いや、社会人として、ここで俺がすべきことは何か。同情してかくまい続けることか? それとも。


「……分かった」


俺は静かにスマホをポケットにしまった。そして、白兼の前に膝をつき、目線の高さを合わせた。


「白兼。取引をしよう」


「……取引?」


白兼が警戒するように眉をひそめた。


「ああ。俺はお前の有給休暇を延長させてやりたい。でも、今すぐ帰ってもらわないと困る。だから、妥協案を提案する」


俺は営業スマイルを貼り付けた。SEだって、客先折衝で鍛えた交渉術がある。


「今、神社に戻ってトラブルを解決してくれ。そうすれば、俺がこの先ずっと、お前の代理人になってやる」


「代理人……?」


「神様だって、効率化が必要だろ? 俺がコンサルタントになって、お前の業務負担を減らしてやる。無駄な願い事はフィルタリングして、必要な祈りだけ届くようにする。週に一回の定休日の導入も、俺が氏子総代うじこそうだいたちを説得してシステム化してやる」


白兼の目が丸くなった。ドアの向こうで白蛇も口を開けている。


「ま、まさか、そのようなことが可能なのか……?」


「現代の社畜を舐めるなよ。業務改善は俺たちの十八番だ」


俺は力強く断言した。


「だから、今だけは働いてくれ。俺のために、あのサーバーを直してくれ!」


一瞬の沈黙。白兼は、俺の顔と、ドアの向こうの白蛇、そして手元のタブレットを交互に見た。やがて、彼はふっと小さく笑い、立ち上がった。


「……良かろう。その提案、乗った」


白兼の全身から、眩い黄金色の光が溢れ出した。狩衣が風もないのにはためき、幼い少年の姿が、神々しい威厳を纏った神のそれへと変わっていく。


「白蛇! 先導せよ! これより帰還し、不浄を一掃する!」


「は、ははっ! お待ちしておりました!」


白蛇が感涙しながらドアを押し開ける。白兼は振り返り、ニカッと笑って俺にウインクした。


「馳走になったな。——後の業務改善、期待しておるぞ!」


次の瞬間、二人の姿は光の粒子となって消え失せた。


後に残ったのは、壊れたドアと、静まり返ったアパートだけ。そして、俺のスマホが震えた。


『奇跡だ! 急に温度が下がって、サーバーが再起動したぞ! データも無事だ!』


上司の興奮した声を聞きながら、俺はその場にへたり込んだ。


どうやら、俺のデスマーチ案件は解決したらしい。代わりに、神様の業務コンサルという、とんでもない副業を抱え込むことになったけれど。

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