第3話

「聖女──ティア・マリアンヌ・セレモニア。それが、私の真名まなだ。……だましていて、すまない」


「聖女だなんだと持ち上げられることが、怖くなってしまったんだ。


 みんなの期待に答えなきゃいけない、みんなに寄り添うため、高潔でいなければならない。そのためにずっと考えを凝らし、私なりにやってきた。……でも、張り詰めてばかりではダメだった……。


 以前、私もお前のように、別の世界にいったことがある。


 と言っても、夢中、だったのだと今では思う。そこで、餅という食べ物を知った。醤油、なんていう甘くコクのある液体に浸して食べる、そんな食べ物。

 私はあの味が忘れられなくてな……どうにか、持ち込めないものかと策を弄したよ。──餅だけに」


 やかましいな。


「夢から醒めた私はただ、餅が食べたいなー、なんて世迷言を言っただけ。それがどうして、こんな波及の大事になってしまったんだ……」


 なんてこった。


「祟り、もしくは呪いなのだろう。私のこの姿は、聖女であることを辞めた、その証拠なのだと思う。……なら、そのバカげた思想を終わらせるしかなかった」


「え、えと……」

「聖女の言うことは絶対? 聖女をあがめていれば救われる? だからみんなで一斉に『餅を作りましょう』って? バカバカしいったらありゃしない!」


「きっと私でなくてもよかった。なりすましを用意しただけで、すっかりそっちを私だと信じ込んでいる。……私は、一体何を期待していたんだろうな」


 そこまで、ほとんど一息に語り尽くしたアイシャ──いや、聖女ティアは、


「ユウジ。お前はこの世界にいるべきでない。……帰る方法なら、当てがある。ただ、その前に……私の願いも、聞いてはくれないだろうか」


 俺の手を、か細い力で握った。


「この街の無知を、終わらせるんだ」


「聖女がすべてを救うなどと、絵空事に焦がれるこの街の人々の目を、覚まさせてやろうじゃないか」


「……身勝手ですまない。けれどこれは、よそ者であるお前にしか頼めない。この街の人々では、聖女に傾倒するばかりだからな……。断られたとしても、当然のことだと、思っている」


 俺は、少し考え。


「なんとなくですけど」


 そこまで聞いた俺は、笑みを浮かべ、ティアにひとつの仮説を提唱した。


「目を覚まさせるなら、とっておきのものがありますよ」

「なんだと……? ユウジ、それは本当か!」


「成功するかどうかは、正直未知数ですけどね……」

「それでもいい。やってみなければ何も変わらないのだから!」



 ──俺の提案を受け、聖女ティアは翌日さっそく、民衆をキュレア教会へと集めさせた。

 始めは小声だった噂話も、一斉に沸き立つとうるささが目立つ。喧騒に耳が痛くなるのをじっと耐えていると、


「よう。聖女様には会えたか?」


 隣にサンケイさんがやってくる。見知った影に少しホッとした。


「いえ、それが……」

「聖女様なら、もうすぐ会えるよっ!」


 と、俺の足元にしがみついたのはアイシャ。あざとい。


「アイシャじゃねぇか。なんだ、聖女に会えない代わりに懐かれちまったのか? お前さんよぉ」


 俺は愛想笑いで返しながら、アイシャの耳打ちに頭を傾けた。


「……始めるぞ」


 やがて喧騒は止む。全身をベールに包んだ女性が壇上に姿を表す──聖女ティア。

 みなが口々に「聖女様だ……」「我々に姿を見せてくださるとは……」などと漏らして感嘆の声をあげている。よほど信頼されているんだな……。流石は信仰対象。


「静粛に」


 鶴のような一声で黙する一同。


「今日集まってもらったのは他でもない。今、街で流行っている『餅』についてだ」


 ……字面だけ見ると、ホントヘンテコなこと言ってんなぁ……。苦笑いが漏れる。


「餅が……どうかされましたか?」「聖女様の御心のままに、進めていたものですよね?」


「……否定はしない。しかし、どうか聞いて欲しい。『餅』は! 危険だ! よって今日より、『禁止令』を出すことにする!」


 民衆の動揺が。手に取るようにわかった。


「ど、どういうことですか!」

「危険って! そんなはずないですわ! あんなにも美味しいのに!」


 まずい。予期していた事態ではあるけれど、ここまで反響が大きいなんて。

 おそらく禁止令、と言ったのがダメだった。

 それでも──彼女は強い言葉を選んだ。


「あ、いや、美味しいのは確かだ、しかしだな……!」


 聞き分けない喧騒にティアの声が無情にも遠くなる。



 時は少しだけ遡り、俺とティアが話していた側室でのことになる。


 ──俺が提案した方法。

 それは。


。その意識をみんなに植え付ければいいんです」

「太る? 何をバカな。現に私はどれだけ食べても」

「それは成長期だからじゃないですかね」


 俺はティアの背丈と胸を見比べ言った。少女らしい肉付きではあるけれど、食いすぎるくらいでむしろ丁度いいだろう。


「むっ」


 ……何か言いたげだったのを察し、早口気味にまくしたてた。


「と、ともかく。餅は適量じゃもちろん太りはしない、でも食べ続ければ普通に太ります。そりゃあもう餅が膨らむみたいに、ぶくぶくと」

「ぶくぶくと……!?」

「えぇ、お腹もたぷたぷです」

「ひぃ」


 怯えたように自身の体を抱くアイシャ。……事実は事実だ。だいぶ盛ってるけれど。


「ですから、この方法なんですよ」

「そうか……それはわかったのだが、本当に上手くいくだろうか……」


 俺の目の前には、アイシャの魔法で作った、『なりすましの聖女』ティアの姿。背丈は大人の男ほどはあり、優美なベールが顔を覆っていた。

 ただし、その図体はお世辞にも、綺麗というには不足があった……いや、過剰とも言うべきか?


「えぇ、十分ですよ。こんなにも太った聖女様の姿を見たら、誰だって信じると思います! だってこんなに太ってるし!」

「あ、あまり太ったと連呼するな! 不敬だぞ!」


 アイシャの恥ずかしがった声が響く。でも、この過剰さが効くと思うんだけれど。


「それにしても、よく出来てますね……マネキンというより、ドールみたいだ」


 ぺたぺたと触ってみる。質感なんてほとんど女性の体つきそっくりで、柔らかさがあって、本物そっくりだ。


「お、おい……あまり触るな……ひうっ」

「え、あぁすみません、魔法切れちゃまずいですよね……」

「違う……その…………。その身体には、えと、なりすましであることがバレないよう、私の感覚を一部共有してあって……だから…………」


 ………………。

 えーっと。


「つまり、実質聖女様と同等……?」


 変なとこは、触ってないけれど。でも女の子の身体を触ったことはほぼ事実という訳で。


 上目遣いと、見下した目が、俺を見つめ、言った。


「……不敬」

「へんたい」


 なりすまし聖女とアイシャから、同時に罵倒された俺は、その後しっかりと謝り倒した。

 えぇ、謝り倒しましたとも。しっかりとね。

 いや、そんなことはどうでもよくて。

 時を戻します。



「あぁ……いいだろう、ならば、私のこの姿を見ても、文句が言えるかっ!」


 聖女ティアは、全身に纏っていたカーテンほどのベールを剥がす。


『……!』


 民衆たちの息を呑む音がはっきりとわかった。聖女ティアの変わり果てた姿に、涙ぐむ人まで出てくる始末だ。


「わかってほしい。私は、貴方たちにこのようになって欲しくないだけなのだ」


 ただ食べすぎてるだけなんだよなぁ……とか思っているとすねを蹴られた。痛いっ!


「ばーか」


 なんでいま罵倒されたの? なんで? これあくまでイメージ図みたいなもんじゃん!

 聖女ティアは、1拍の呼吸をおいた後、ひとつ告げた。


「では、この日をもって……『禁止令』を……」


 ──これでいいのだろうか。

 聖女ティアではなく。アイシャは、本当に、これでいいと思っているのか。

 隣を見る。俯きがちになり、しかしそれでも『聖女ティア』として口を動かして、お告げを続けようとしていた。

 いい訳。ないよな。

 俺は、はっきり言って部外者だけれど。


「待ってくださいっ」


 部外者だからこそ、言えることもある。


「……なんだ。お前」


 その声はどちらから発せられた言葉なのか、なんてどうでもいい。

 ただ、衝動のまま、俺はもうひとつの提案を、彼女に投げかけていた。


「では、今日を『祝祭』とするのは、どうでしょうかっ」


 見開かれた目が。俺だけを見つめていた。


「確かに餅は、食べすぎれば害のあるものかもしれません。ですが節度を持って食せば、きっと幸運が待っていると思うのです」


 だって、街で餅を受け取る人たちは、あんなにも笑顔だった。


「ですから。一日だけ。いえ、数日でも構いませんが、解禁日を作っては、如何いかがでしょうか?」


「解禁日……」


 その声は確実に、隣から聞こえてきた。


「うん……うん! ねぇ聖女様! 私も、それにさんせー!」


 は元気よく手を挙げて、俺の提案に乗っていた。

 頷き合い、俺の提案に口々に賛否の声があがるけれど。釣られたように民衆のみんなが、手を挙げ始める。


 聖女ティアは、静かに瞑目めいもくし。

 笑みを浮かべていた。

 それは、ティアとしての顔か、アイシャの──。


「……それはいい、であれば。今日は、その『祝祭』として、盛大に盛り上げようじゃないか!」


 その一声を皮切りに、歓声が上がる。


 そこからはもう、お祭り状態だった。



翌日になり、俺は元の街へ帰ることが出来た。

アイシャの言う当て、それは『幸せ』であることが帰還の条件であるようだった。


「……餅でも買って帰ろうかな」


 小さく呟く。いつもの喧騒の中、俺はあの光景を思い返す。

 また、会えたらいいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未知は無知な街と餅にあり 鮎のユメ @sweetfish-D

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画