第2話

「え、えと……」


 声が枯れる。首元に当たった果物ナイフのような刃物。こ、殺される……?


「よそ者であることはわかっている。ならばこそ答えろ」


 眼光が鋭く、俺を射抜く。


「ゆ、勇治ゆうじです! 不入山いらずやま勇治!」


 とっさに、普段から名乗るだけで聞き返される名前を叫びあげた。


「……いらず、……なんだって?」


 ほらー! 絶対そうなの! 不思議な名前だよねホント!


「不入山! 勇治! お、覚えました!? これ以上名乗れる名前なんてないんです!」

「……怪しいが、まぁいいか」


 やっと少女はナイフを引き、俺を立ち上がらせた。小さいのに、どこにその力が眠っているのだろう。


「それで。何をしにここへ来た」


 俺は言葉に詰まった、というより、どう伝えるべきか迷ってしまった。信じてもらえそうもないよなぁ、なんせ俺もまだ疑っている訳だし。


「えと……」

「早く答えろ、でなければ」

「わーわかったわかった! それしまって! 怖いから!」


 目を離した隙にまたナイフで脅してくる少女。物騒にもほどがある。


「信じてもらえないと思うから、話半分で聞いてほしい……」


 俺は弱弱しい声をあげる。少女は俺の情けない様子を見て、目を伏せ、ナイフを持つ手を下ろしていた。よかった、話は通じるみたいだ。


「俺、別の世界からやってきたんだ……だから、この街のこともまったくわかんないし、何がなにやらで。だからさっき、サンケイって人に、教会に行けば聖女様に会えるかもって、それで」

「……」

「あわよくば元の場所に帰る方法の手がかりにでもならないかなって。ほら! 聖女様だったらそういう『奇跡』とか知ってそうだし? 召喚魔法がもしこの世界にあるなら、その逆だって!」

「そんなものはない」

「あーそっかーないのかーじゃー振り出しだなー……えっないの、本当に? だったら本格的にどうやって帰ればいいんだ……助けてー神様ー」

「ついでに言うと神などというものも存在しない。『奇跡』なんて以ての外だ」

「少しは夢を見させちゃくれませんかねぇ!?」


 くそぅ、なんて残酷なほどに現実的なんだこの世界。


「……お前が何の力も持たない役立たずということは重々理解したよ」

「し、辛辣……事実だけど、なんか悔しい……」

「教会に行くんだろう? 着いてくるといい。私も一応、関係者だ」


 そう言うと少女は、すたすたと歩き始めた。俺もその背にならい、歩みを進めた。


「関係者……ってことは、信者とかですか?」

「……そんなとこだ。もっとも私は、聖女に心を売ってはいないがな」


 どういう意味だろう。信者なのに聖女を崇めてない? 反逆者?


「言っておくが、誓って殺しはしないぞ」

「あんなに俺に刃物むけてたのに!?」


 あれは演技だ、とからかうように口に手を当て嗤う少女。演技にしては迫真すぎませんかね……。

 そんなふうに話しているうちに、教会の外観が露わになってきて息を呑んだ。

 白を基調とした外壁は厳かな雰囲気を存分に醸している。容易に立ち入ることを許さないような神聖な空気が、肌を刺すようでピリッと痛い。


「……どうした? 入らないのか」


 俺が固まっているのを見て、気遣いなのか、少女は俺に話しかけてきた。


「え!? ああいや、行く、行きます……」

「……緊張しなくても大丈夫だ。取って食われたりはしない。中には妄信的な信者もいるだろうが、全てに害がある訳じゃない」

「一部はあるんですね……」


 少女とともに教会に入ると、正面の祭壇に神父らしき人物がいた。


「ん……おや、アイシャかい。今日も祈りを……そちらは?」

「じっちゃん、この人ね、教会に興味あるんだって」


 先程まで俺と話をしていた声とはうってかわり、明るい声で対応する少女。くいくいと、袖を引っ張る仕草まで見せて、まるで別人だった。

 俺は俺で、この子アイシャって言うんだとか反芻はんすうするばかりだったけれど。


「ほう? なるほど……」


 戸惑う俺をほっぽって、アイシャと呼ばれた少女はさらに続ける。


「聖女様のお話聞きたいって言うから」

「ほう……そうかそうか! ええ、ええ、幾らでも語ってみせましょうぞ! かの聖杯を拝領なさったあの日から! 聖女はこの街、ひいては世界のお御子となった伝説まで! 語りつくせぬことが」

「じっちゃんのは長いからいいよ」

「そ、そんな……!」


 意気揚々とした語り口から一転、およおよと泣き崩れる神父。憐れ……。


「奥の部屋、借りていい?」

「……いいとも。ささ、お客人、アイシャに付いてってやってくださいな……」

「ありがと、じっちゃん! じゃ、行こっ」

「えっ、あの、アイシャ……さん?」


 奥へ進もうとする彼女を思わず呼び止めるが、静かに俺の手が引かれるのが先だった。な、なんなんだよもう……。


「いいから。来て」


 俺にだけ聴こえる小声でアイシャは言う。仕方なくついて行き、側室のような部屋へ急いだ。


「……さて」


 扉をガチャリと閉めると、アイシャはやっと息を漏らす。


「あのおじじはただの聖女狂いだから。聞くだけ無駄」

「……仲は良いんですよね?」

「……まぁ、私がこの姿になってからも親身になってくれた人では……」

「この姿?」

「──! ……なんでもない」


 ごほんと咳ばらいをし、アイシャは言った。


「ひとまず、先程は済まなかった。最近、街に良くない風潮が流れているから、用心深くなってしまっているんだ……許して欲しい」


 ぺこりと、アイシャは頭を垂れる。


「いや、むしろ助けてもらってありがとうございます……」

「聞きたいことは、この街の聖女のことについてだろう?」


 そう言うと、ひとつ息をつき、アイシャはこの街の歴史を語り始めた。


「このクルレスという街は、聖女信仰が根強く残る街だ。……けれど、私はそれが、とても危ういと思っている」

「と、言うと?」

「聖女信仰とは、聖女による『知見』と『啓示』を、民のために使い信心を得るもの。言ってしまえば統率を取るための手段に過ぎない。聖女には昔から癒しの力など特殊な能力が備わっているが、それはごく限られた者だけ」

「……」

「聖女になった者はみな一様に、迷える子羊の対応に追われることになるが……敬虔なる信徒にのみ与えられた特権なのだから致し方ない」

「詳しいですね」

「……、私も随分長いことやってきたからな……」


 俯き、ぽそりと言ったアイシャの声。途端に切り替えたように頭を振るから、俺は聞かなかったことにした。


「と、そんな話を聞きたいのではなかったな、すまない」

「あ、いえ! とても興味深かったですよ! 聖女って、本当に優れた人なんだなぁって」


「……聖女なんて、別に。大したことではないよ」


「んえ?」

「天啓をもたらすだとか、救済だとか。信じたいなら勝手にすればいいが、そんなのはただの気休めにしかならないし、現実を先送りにしてるだけの、言い訳だ」


 なんだろう。アイシャの周りの空気が変わったような。そんな異質な感覚が俺の肌を撫ぜていた。


「……ひとつ、謝っておきたい。聖女を探していると言ったな」

「え、ええ……」


「それは、私のことなんだ」


 突然の告白に、俺は声を失った。

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