ある幻覚
佐野夏月十八歳は、六年前から専門学校の寮に入り、目の前で自殺した幼馴染の幽霊の幻覚と二人暮らしをしている。
両想いで手を繋いだことだけはある設定で、彼女がねだったものはなんでも買ってしまうので、食器や衣類が一通り揃えてある。
ビジネスホテルのような狭い個室の一人用ベッドで添い寝するにはまだ勇気が足りず、毎日、備え付けの勉強机の椅子に座って寝ている。
彼女は学校にはついてこないが、家事をするでもなく、ペットのようにいつも部屋にいて、休日になると「散歩や外食に行きたい」と言うので連れて行く。
かなりタイトなアルバイト生活の夏月にとって、貴重な休日と給料が一緒に消えていく時間だが、彼女を見ているとどうでもよくなる。
愛しい笑顔を守るためならなんでもすると誓ってもいいくらい、夏月は彼女が好きだった。
しかし、彼女は実在しない。
なぜなら彼女は六年前に、目の前で自殺しているからだ。
夏月は死体になった後の彼女の姿も、火葬後の骨も見たことがあるし、墓参りもする。
彼女の幻覚は「自分は確かに死んだが、幽霊となって夏月に会いにきた。なぜなら好きだから、ずっと一緒にいたい」と言ったことになっている。
墓参りにもついてきて、「ありがとう」と微笑みながらお供え物を食べていた。
彼女は夏月以外の人には姿は見えないし声も聞こえないが、人が見ていないときは現実にあるものに手を触れて動かし、ものを食べることもできる。
しかし、彼女は実在しない。
なぜなら夏月は霊視ができるようになったわけではないからだ。
彼女以外の霊的なものを見たことも、聞いたことも、感じたこともない。そもそもオカルトを信じていない。
いくら彼女に「二人の気持ちが通じたことによる奇跡」だと言われても、喜んで信じようとは思えない。
彼女は『夏月にしか感じられないものであること』にこだわりを持っており、それは幽霊として戻ってきた特例を許されるためのルールだと、都合よく説明していた。
頑なに第三者に存在を確認させようとしない。
部屋に招いた友人が信頼できることを伝え、机に食べ物を置き、彼女がそれを食べれば実際に減るのかどうかという実験をしようとしても、「そんなことをしたら死後の世界に連れ去られてしまう」などと、謎のルールを出して嫌がる。
写真を撮っても夏月にしか見えないのは、肉眼のときと同じ仕組みで当然だと言い張る。
しかし、彼女は実在しない。と夏月は思っている。
普通、人は死んだら二度と再会できることはない。
都合よく望んだ人だけが知覚できる幽霊になることもない。そんな話は聞いたことがない。
もしも他の人々も死んだ後に身近な人と会話できていたら、本や映画でもっと紹介されているはずだ。
彼女だけが特別であるわけはない。あってほしくない。
でなければ、彼女は生きていたのだ。
今さらありがちな運命を脱して、あり得ない望みが叶うことになったら、どうしてそれが生前にできなかったのかという思いがやりきれない。
だから彼女は実在しない。と夏月は思っている。
彼女の幽霊がいると思い込んでいる自分の幻覚であると思い込んでいる。
それでも彼女のことは好きだから、不愉快でもないのだ。
何気ない会話で笑い合える日常は、ずっと前から嘘だった。
積み重なっていた嘘が、これからも積み重なっていくだけだ。
次の更新予定
ある日常 motsugu @motsugu
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