ある兄弟

 俺には歳の離れた、勉強も運動もそこそこできるがちょっと抜けたところがある、常に眠たげな顔をした、超能力を持つ弟がいる。


 夢物語でも厨二病でもなくごく普通に超能力が使える弟が生まれ、それを隠しながら生きているわけでも恐ろしい人体実験をしそうな研究機関に狙われているわけでもない。



 世界は思ったより平和なんじゃないかな、と俺は感じた。


 もちろん、環境に恵まれているから言えることだろうが、弟には映画やアニメの主人公のように悪の組織と戦ったり世界崩壊の危機を救ったりするのは正直向いていないと思う。

 だから恵まれていてよかった。

 どちらかといえばおとなしめな、でも男子の悪戯ノリにも参加できるし、なんでもできる完璧超人ということはまったくない弟には、平穏な暮らしが似合っている。

 断じて皮肉でもない。



 普通に学校に行き、普通に宿題を面倒くさがり、普通に辛い食べ物や虫が苦手な弟を見ているのは、微笑ましく心地よい時間だ。


 これを溺愛と呼ぶのだろうか。



 俺は弟が稀代の天才やら英雄やら教祖やらとして崇められないような、平和な世界が好きなんだ。


 朝、弟は眠そうな目でトーストを齧りながら、牛乳を倒した。グラスは机の端で止まり、牛乳の一滴もこぼれない。


 俺がそれを見て笑うと、弟は「んー?」と首を傾げた。どうやら本人はやった覚えがないらしい。

 「お前、たまに便利だな」


 「なにが?」


 「いや、なんでもない」

 そんなふうにして、何事もない日々は過ぎていく。


 弟が小学生、俺が専門生。

 朝と夕方はいつも一緒に登下校している。

 同じ道を歩くのは、弟にとっては、少し恥ずかしいらしい。でも、俺がいないときに、あいつがまた何か起こすのではないかと思うと、どうしても離れられないのだ。


 ある日、信号が変わる前に飛び出した子どもがいた。


 次の瞬間、トラックが急停止した。まるで空気が一瞬固まったように。


 その子は無傷で、トラックの運転手も何が起きたのかわからず青ざめていた。

 弟は人混みの中で、眉をひそめていた。

 「……気のせいかもな」


 俺が笑って言うと、弟も笑って頷いた。

 それで、すべて終わる。そういうことにして、終わらせる。


 夜。


 弟が寝静まった頃、俺はベランダに出る。ポケットから古い携帯を取り出すと、すぐに着信がある。

 『――こんばんは。交換屋です』

 「今日も、特に問題なし。弟は……元気です」


 『それはなによりです。交換は、まだ、続けられますか?』


 「ええ。できれば、このまま」


 『あなたがそう望むなら』

 短い通話。


 携帯を閉じ、空を見上げる。星の数を数えるふりをして、何も数えていない。ただ、今日も平和だったと、自分に言い聞かせるだけだ。


 弟の寝息が聞こえる部屋に戻り、目を閉じた。


 『交換』を続ける日々がいつか終わることを恐れながら。

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