​第2章:鉄の掟と、高速の証拠隠滅

 翌朝。

 目が覚めて最初にしたことは、知らない天井を見上げて「夢じゃないよな」と確認することだった。

 夢じゃなかった。俺は今日から、この橘(&黒澤)家の住人なのだ。

 制服に着替え、リビングの扉を開ける。

 そこには、戦場のような朝の空気が張り詰めていた。

「おはよう」

「…………」

 返事は無言。

 ダイニングテーブルには、不機嫌そうにトーストをかじる瑠奈と、スマホでニュースをチェックしている詩織先輩がいた。

 詩織先輩は裸眼だ。あの冷徹な眼鏡がないと、少しだけ幼く、そして無防備な美人に見える。……まあ、視線の温度は絶対零度のままだが。

 俺の席には、一枚のプリント用紙が置かれていた。

 『学校生活における基本協定』。

 第1条:校内では半径5メートル以内に接近しないこと。

 第2条:会話は一切禁止。視線も合わせないこと。

 第3条:家での出来事を他言した場合、即座に抹殺する。

「……厳しいね」

「当然です。同級生が父親だなんて知られたら、瑠奈の高校生活は終わりますから」

 詩織先輩がスマホから目を離さずに告げる。

 瑠奈もカバンを背負いながら、俺を睨みつけて念を押した。

「絶対だからね! もし話しかけたら、マジで呪うから! 一生『パパ』なんて呼ばないから!」

「いや、それは今も呼んでないだろ」

「うるさい! 行くよお姉ちゃん!」

 そう言い捨てて玄関へ向かおうとするふたりの背中に、キッチンから遥さんが声を張り上げた。

「待って待って! お弁当! 今日は三人分、早起きして作ったのよ〜!」

 遥さんが三つの包みを抱えて走ってくる。

 嫌な予感がした。遥さんの料理の腕は……まだ「発展途上」だ。それに何より、その包みの柄が――。

「はい、これは詩織の。これは瑠奈の」

「……どうも」

「あんがと」

「はい、これは聖次さんの分! 愛妻弁当よ♪」

「あ、ありがとうございます……」

 俺が受け取った瞬間、瑠奈の顔が引きつった。

 瑠奈が持っているのはピンクのチェック柄。俺が渡されたのはブルーのチェック柄。

 どう見ても「カップル用」か「親子ペア用」のデザインだ。

「ふ、ふざけないでママ! 学校でこれ広げたら『お揃いじゃん』ってバレるでしょーが!」

「えぇっ!? そ、そうかしら……?」

「もういい! 中身だけ持ってく!」

 瑠奈は乱暴に包みを剥ぎ取り、弁当箱だけをカバンに詰め込んだ。

 詩織先輩もまた、小さく溜息をつき、冷静に指摘する。

「……母さん、気持ちは嬉しいですが、リスク管理が甘すぎます。学校では、別の場所で食べてくださいね。中身が似ていると怪しまれますから」

 そう言い残し、ふたりは嵐のように去っていった。

 残された遥さんがショボんとしている。

「ごめんね聖次さん……私、張り切りすぎちゃった」

「いいえ、嬉しいですよ。俺は堂々とこの包みで持っていきますから」

 俺は遥さんを慰めつつ、心の中で冷や汗をかいていた。

 ……中身、大丈夫だよな?

 ***

 昼休み。事件は起きた。

 購買パン争奪戦に敗れた俺は、仕方なく教室で弁当を広げようとしていた。

 間の悪いことに、隣の席では瑠奈もまた、弁当箱の蓋を開けていた。

「わー! 瑠奈のお弁当、今日めっちゃ美味しそうじゃん!」

「へへ、でしょー? ママが張り切っちゃってさ〜」

 女子グループが瑠奈の机を囲む。その中の一人が、ふと俺の手元を見た。

「あれ? 雨宮くんのお弁当も手作り……ってゆーか」

 女子生徒の視線が、俺の弁当と、瑠奈の弁当を何度も往復する。

「……ねえ、中身のおかず、全く一緒じゃない?」

 空気が凍った。

 俺と瑠奈の動きが同時に止まる。

 そうだ。遥さんは今朝「三人分作った」と言っていた。中身は完全に同じ。

 特徴的なタコさんウィンナー。ブロッコリーの彩り。そして何より、遥さんが俺との特訓で編み出した渾身の作――「ハート型の卵焼き」までもが、無慈悲にリンクしていた。

「え、ホントだ! 卵焼きの形も一緒!」

「配置も左右対称っぽくない? え、まさか二人が付き合ってるとか!?」

 教室内がざわつく。

 瑠奈の顔面が蒼白になり、そして次の瞬間、真っ赤に染まった。

 彼女の視線が、助けを求めるように俺に向く。

 『なんとかしてよパパ(仮)!』と、瞳が悲鳴を上げている。

(……やるしかないか)

 俺は覚悟を決めた。

 幸い、今は女子たちの視線が瑠奈に集中している。俺の手元は死角だ。

 俺は音もなく箸を構えた。

 発動するのは、遥さんとの料理特訓で培った「食材への理解」と「箸使い」のスキルだ。

(卵焼きを右へ回転! 裏返してハートの切れ込みを隠す! ウィンナーは米の中に埋め込み、ブロッコリーを粉砕してふりかけ状にする……ッ!)

 目にも止まらぬ早業だった。

 俺はわずか数秒の間に、弁当箱の中身の「緊急リフォーム」を行った。

 キュートなハート型の卵焼きは、ただの黄色い塊に見せかけられた。

 愛らしいタコさんウィンナーは、米の海に沈められた。

「……あー、これ?」

 俺は平然を装い、カモフラージュの完了した弁当を持ち上げた。

「偶然だよ。ほら、中身は似てるけど、配置とか全然違うし」

 俺は弁当を女子たちに見せる。

 そこにあるのは、彩り豊かに整列された瑠奈の弁当とは似ても似つかない、**「男らしく雑多ざったに詰め込まれた茶色い弁当」**だった。

「え? あ、ホントだ」

「雨宮くんのはなんか……雑だね」

「卵焼きも形崩れてるし。なんだ、ただの偶然か〜」

 女子たちは「なーんだ」と笑って散っていく。

 危機は去った。俺の弁当の美観という犠牲を払って。

 すれ違いざま、隣の瑠奈が、誰にも聞こえないような小声で呟くのが聞こえた。

「……あんがと。……あとでジュース奢るし」

 それだけ言うと、彼女はまた「赤の他人」の顔に戻り、安堵のため息をつきながら卵焼きを口に運んだ。

 俺は心の中で遥さんに謝りながら、形を変えられた愛妻弁当を噛み締めた。

 味は同じだ。……少ししょっぱいのは、冷や汗のせいだろうか。

 前言撤回。

 この同居生活、スリルがありすぎて胃に穴が空くかもしれない。


(続く)




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