第8話 気配と声と、島の精霊たち
ep.8『気配と声と、島の精霊たち』
朝。 かごを背負って、拠点の外へ出る。 風が強く、草の穂がざわざわと揺れていた。 その音が、どこか言葉のように聞こえる。
「……おはよう、ってことか?」
誰にともなくつぶやくと、 かごの中で干し実がひとつ、ころんと転がった。 風が吹き、実がぽとりと地面に落ちる。
拾おうとした瞬間、 風がそれをさらっていった。 草の間をすり抜け、どこかへ運んでいく。
「……持ってったな。食べるのか?」
返事はない。 けれど、風の音がくすくす笑っているように聞こえた。
森の縁を歩く。 足元の土はやわらかく、しっとりとしている。 ふと、小さな石が三つ、並んでいるのが目に入った。
しゃがんでみると、 そのそばに、干し実がひとつ。 けれど、よく見ると自分のものとは少し違う。 表面に、細かい筋のような模様がある。
「……返ってきた?」
そっと手に取ると、石がかすかに揺れた。 それが「受け取ったよ」という合図のように思えた。
かごからもうひとつ実を取り出し、 石のそばに置いてみる。
「……ありがとう、でいいのかな」
森の中へ、少しだけ足を踏み入れる。 一本の大きな木の根元に、 落ち葉が円を描いて積もっていた。
その円の中に腰を下ろすと、 枝が揺れ、一枚の葉がふわりと舞い落ちる。 それが、かごの中にすっと入った。
「……返してくれたのか。交換、か」
干し実と、葉。 分けあったものと、返ってきたもの。 言葉のないやりとり。 けれど、たしかに通じている気がした。
立ち上がると、風が吹いた。 枝が揺れ、葉が舞い、 足元の土がかすかに沈む。
風、樹、地。 それぞれの気配が、同時に重なったようだった。
音もなく、言葉もなく、 けれど確かに、見られていると感じた。
怖くはない。 むしろ、静かな注目。 ここにいることを、誰かがちゃんと見てくれている。
かごを背負い直す。 その重みが、少しだけ変わった気がした。
帰り道、風は穏やかだった。 草の穂が、さわさわと揺れている。
「……ただいま」
誰にともなくつぶやいた声が、 風に乗って森の奥へと消えていく。
拠点に戻ると、 屋根の下の器に、見覚えのない小さな実がひとつ。 かごの中の葉と並べてみる。
干し実、葉、そしてこの実。 言葉のないやりとりが、確かに続いている。
火を起こしながら、ふと思う。
この島は、ただの場所じゃない。 ここには、誰かがいる。 そして、見てくれている。
それだけで、 今日という一日が、 少しだけあたたかく感じられた。
【後書き】
島に住む精霊たちが、初めて姿を見せないまま登場しました。
風が実を運び、石が揺れ、葉が返ってくる。 それは言葉ではないけれど、たしかに“やりとり”でした。
この世界では、誰かと出会う前に、 まず「見られている」こと、「見ている」ことが始まります。
それが、暮らしの中で少しずつ重なって、 やがて“共にいる”という感覚に変わっていく。
そんな静かな始まりを、 感じ取っていただけたらうれしいです。
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