第三部:白い闇への抗いと、悲しい諦念

第七話 『研鑽の刻』 新緑の魔女との出会い

 少年少女が丘の上で無垢な誓いを立てていたあの日から、数年の月日が流れた。


 里の若者たちは、幼き日に丘の上で交わした『秘密の誓い』を胸の奥深くに秘め、やがて訪れるはずの凄惨な運命に抗うべく、それぞれのやり方でその身に力を蓄えてきた。


 カイとドゥカの二人は、わずか七歳の頃から、熟練の戦士たちによる苛烈な修練を叩き込まれていた。師となったのは、『護り手まもりて』の筆頭として里の絶対的な盾となるカイの父・イルト、女性ながら一線の『護り手』として鮮烈に槍を振るう母・カナル、そして同じく『護り手』の重鎮であり、重厚な力業を得意とするドゥカの父・カドゥらである。


 当初は親から与えられる過酷な試練を、ただ必死にこなすだけの日々だった。しかし、十歳になったある日を境に、二人は自ら『さらなる死線』を求めて懇願するようになった。リリィの瞳が捉えた、あの救いのない『白い絶望』を、自らの力で、力ずくで捻じ伏せるために。


 泥にまみれ、拳を血に染めながら、漆黒の刃を持つ重い木剣を幾万回と振り抜く日々。赤黒色の短髪を汗で濡らすカイと、年齢以上に逞しく成長した体躯を躍動させるドゥカにとって、強さを求めることはもはや単なる若者の憧れや義務ではなかった。それは、共に育った一人の少女を運命の淵から救い出すための、祈りにも似た絶対の使命へと昇華されていたのである。


 一方で、幼馴染のミルトは十歳の時から、仲間たちとは異なる道を志していた。誰かが病に倒れた時、あるいは戦いで傷ついた時、その消え入りそうな命を自分の手で繋ぎ止められるように。彼女は行商人として各地の知識を持ち帰る『支え手ささえて』の父・トレルと、村の薬師である『支え手』の母・ルトナに頼み込み、禁忌に近い高度な薬学の門を叩いたのだ。


 穏やかで柔和な外見に反して、彼女の芯は驚くほどに強かった。釜から立ち上る調合の熱気や、希少な薬草が放つ独特な苦い香りに包まれながら、彼女は献身的に知識を蓄えていった。ミルトにとっての『強さ』とは、傷ついた者に寄り添い、再び立ち上がらせるための慈愛の力。それが、予知で視た惨劇を塗り替えるための、彼女なりの武器であった。


 そんな研鑽の日々の中、カイだけは言いようのない焦燥に駆られていた。リリィが怯える『白い闇』を打ち払う唯一の手がかり――『飛翔の魔女』という存在の正体を求め、彼は度々、里の厳格な禁を破って外の世界へと密かに足を運んでいた。


 当然、里の秘匿性を軽んじるその振る舞いは許されるものではなく、戻るたびに大人たちからは烈火の如く怒鳴り散らされていた。しかしカイは、その都度「事前に外の危険を確認し、予知にない不測の事態を排除しに行っていただけだ」と、強引で屁理屈に近い言い訳を繰り返し、不遜な態度を崩さなかった。


 本来なら厳罰に処されてもおかしくない反逆行為だったが、いつしか里の大人たちも、カイの独断専行を半ば黙認するようになっていた。一つは、カイの実力が既に並の『護り手』では太刀打ちできないほどに磨き上げられていたこと。もう一つは、彼がリリィの「予知に危険がない」と判断されたタイミングを正確に、狡猾に突いて境界を出ているため、実質的な被害が出ていなかったことだ。さらに、彼が戻る際には、里の近辺では決して手に入らない希少な素材や外の薬草を土産のように持ち帰ってくるため、それが結果的にミルトたちの『支え手』の助けになっているという事実も、大人たちの口を重くさせていた。


 そんなある日のこと。カイは人里を遠く離れた、古びた地図にも記されていない未踏の聖域へと足を踏み入れていた。大陸の片隅に広がる原生林『迷いの森』。かつて迷い込んだ旅人が、誰一人として出口を見つけられずに消えたという、生きた迷宮。


 カイがこの禁忌の地へ赴いたのは、たまたま耳にした、里の古老たちの間で密かに囁かれていた「森の最深部には、万象の理に通じた魔女が棲んでいる」という、不確かな噂に縋ったからだった。


 里を抜け出し、外の世界で情報を集めても、『魔女』という存在は伝説の域を出ず、具体的な所在など誰も知りはしなかった。この『迷いの森』に纏わる不気味な噂こそが、彼がこれまでの探索でようやく掴み取ることのできた、唯一の『魔女』に繋がる細い糸だったのである。例えそれが死に直結する罠であったとしても、リリィを救う可能性が僅かでもあるのなら、カイにとって迷う理由はどこにもなかった。


 数日間にわたる、死闘に近い行軍の末。カイはついに、その場所に辿り着いた。


 鬱蒼と茂る巨木のカーテンが途切れた、名もなき泉のほとり。そこには、森の湿り気や暗鬱さとは無縁の、鮮やかなエメラルド色の光が満ちていた。大樹のうねるような根の上に腰掛け、退屈そうに足を揺らしていたのは、森の静寂にそぐわないほど華やかな装いの少女だった。


 深緑色のウェーブのかかった長い髪。そこには繊細な植物の髪飾りやアクセサリーが散りばめられ、新緑を編み込んだような不思議なドレスが、彼女の肢体を鮮やかに彩っている。頭には不釣り合いなほど大きな魔女の帽子を浅く被り、カイの気配を察すると、彼女は楽しげに瞳を輝かせ、鈴を転がすような声で笑った。


「ちょっ、何? 迷子のネズミちゃん? それともウチの魔力に釣られちゃった感じ? マジウケるんだけど」


 植物の魔法を自在に操る彼女――『新緑の魔女』ヴィーヴィは、太い蔦を蛇のように気だるげに蠢かせながら、不遜な笑みでカイを煽り立てた。その口調は里の人間とは全く異なる、独特の軽薄さと万能感を孕んだものであった。


 この時のカイは、既に里の護り手を凌駕する実力を手にしていた。だが、リリィを救いたいという一心が彼から冷静さを奪い、未知の魔力を持つ相手に一人で挑むという暴挙へと駆り立てる。カイは一歩も引かず、漆黒の刃を抜き放った。


「お前が本物の『魔女』なんだな。里の外をどれだけ探しても見つからなかった、おとぎ話の中だけの存在じゃなく……。聞きたいことがある。『飛翔の魔女』を知っているか。知っているなら、その居場所を教えろ」


 その名を聞いた瞬間、ヴィーヴィの楽しげだった瞳が、一瞬だけ鋭く細められた。だが、彼女はすぐにそれを不敵な笑みで上書きし、カイの胸元で鈍く光る『虹の石のペンダント』に指を向けた。


「あー、マジでありえない。初対面でいきなり『あのババア』のこと聞くとか、勇者サマ、デリカシーなさすぎ。……いいよ。どうしても教えろって言うなら、その虹色の石、ウチにちょうだい。そしたらワンチャン考えてあげてもいいけど?」


 それは、あの丘で仲間と交わした『誓い』そのものであり、リリィの祈りが宿る世界に唯一無二の絆の証だった。カイの瞳に、極限の拒絶と闘志の炎が灯る。


「……貴様に渡すものなど、何一つない。死にたくなければ、さっさと吐け!」


「あは、交渉決裂? ざんねーん! じゃ、死なない程度に可愛がってあげる!」


 ヴィーヴィはわざとらしく自分の胸に手を当て、不敵に笑うと指先一つで周囲の植物を呼び覚ました。


 空中を自在に浮遊し、無数のとげを魔力の弾丸のごとく放つ彼女に対し、カイは文字通り泥を這い、全身を傷だらけにしながら立ち向かった。魔法の加護もない剥き出しの肉体が裂かれ、鮮血が緑の泉を汚していく。しかし、カイは折れそうになる膝を執念だけで叩き直し、一歩、また一歩と、死神のような速度で距離を詰めていく。


 数時間に及ぶ凄絶な激闘。魔力を枯渇させ、余裕の消えたヴィーヴィの一瞬の隙を、カイは見逃さなかった。防御を一切捨てた、相打ち覚悟の肉斬骨断にくざんこつだんの突進。その凄まじい執念が生んだ予測不能な一撃が、ついには彼女の足元を掬い、その喉元に鋭い鉄の剣先を突き立てた。


「……はいはい、ウチの負けー。マジでありえないんだけど」


 ヴィーヴィは降参とばかりに、気楽な様子で両手を上げた。喉元に突き立てられた剣先が、彼女の白い肌をわずかにかすめ、赤い筋を作っている。


「飛翔の魔女ぉ? ぶっちゃけ存在は知ってるけど、あのババアのアジトがどこかなんてガチで知らんわ。少なくともこの森にはいないよー。期待させちゃってごめんねー、勇者サマ?」


 悪びれる様子もなく、ヴィーヴィは舌をぺろっと出した。敗北したにもかかわらず、彼女は面白そうにカイを見つめていた。その瞳には、自らの喉を薄く裂く刃さえ厭わぬほど、強固な意志と、誰かを救いたいという狂気的な純粋さを持つ人間を見つけたことへの、深い好奇心が宿っていた。


 おどけて見せたヴィーヴィだったが、その瞳がふと、遠く空の果てを見つめる。そこには、どれほど魔力を研ぎ澄ませても辿り着けない『師』への、断絶された悲しみと、一筋の諦念が混じっていた。


「ウチだって、会えるもんなら会いたいっつーの……マジで」


 その小さな呟きは、森のざわめきにかき消され、カイの耳に届くことはなかった。カイは突き立てていた剣をゆっくりと引き、鞘へと収めた。肩で荒い息を吐きながら、彼は膝をつき、深く頭を下げた。


「……手がかりがないなら、お前に頼むしかない。お前が本物の『魔女』なら、『飛翔の魔女』を知るお前の知識が、どうしても必要なんだ。俺の大切な幼馴染が死ぬ未来に怯えている。それを変えられる可能性があるなら、俺はどうなってもいい。……力を、貸してくれ」


 誇り高い護り手の、あまりに無様な懇願に、ヴィーヴィは目を丸くした。


「あんたマジでウケる。さっきまでウチを殺そうとしてたクセに、いきなり土下座とかガチで情緒不安定すぎっしょ? ……ま、いいよ。そんなに必死なら、観察決定な。リリっちだっけ? その子の予知、ウチも興味あるし」


 ヴィーヴィを伴い、カイは里へと帰還した。しかし、千年以上の秘匿を守り続けてきた里にとって、外の人間を招き入れることは重大事であった。元来、里には外からの来訪者を受け入れる厳格な審査制度があったが、数年前の『ジグルの事件』以来、里は外の人間に対して極めて過敏になっていた。


 カイはまずヴィーヴィを境界に待たせ、一人で里の中枢へと報告に向かった。村の中央広場には、長老ジルをはじめ、『護り手』の筆頭イルト、『支え手』の筆頭ウカハら各役職の重鎮が集結し、深夜まで激しい議論が交わされた。


「ジグルの件を忘れたのか! あの時、奴が連れて来ようとした医者は、どこかの国の間者(スパイ)だったのだぞ! 慈悲に付け込み、里を売ろうとする者が外には溢れている。その恐怖を、今度こそ里の滅びにするつもりか!」


 大人たちの拒絶に対し、カイは四人の秘密である『飛翔の魔女』の件を伏せつつ、必死に食い下がった。


「彼女は、外の世界で孤立していた本物の魔女だ。魔女という存在自体が隠れるべき影であり、里を売れば彼女自身の居場所も露呈する。リスクは、かつて招き入れていた普通の人間を招くより遥かに低いはずだ! それに、彼女の魔法は里の防衛を劇的に強化できる!」


 膠着状態を打破したのは、他ならぬリリィの『予知』であった。急遽行われた審査の儀式において、リリィはヴィーヴィが滞在しても当面は危機が訪れないことを、揺らぐことのない『白いもや(不変の安寧)』として証明した。


 入里の許可が下り、カイに連れられて広場に現れたヴィーヴィは、並み居る重鎮たちを前にしても不敵に笑い、片手を上げた。


「あー、マジお待たせ! ウチ、ヴィーヴィ。『新緑の魔女』とか言われちゃってる系。なんか、こっちの勇者サマにマジ病むレベルでおねがいされちゃってさー。ぶっちゃけ里とかちょー地味だし、ウチの趣味じゃないんだけど、まぁ縁っつーの? 適当に魔法とか薬とかで無双してあげるから、仲良くしよーね! よろ!」


 突き抜けた明るい声に、里の大人たちはそれまで殺気を孕んで警戒したが、あまりの常識外れな態度に毒気を抜かれ、顔を見合わせた。そこへ、カイの隣にいたリリィが静かに歩み寄る。


「はじめまして、ヴィーヴィさん。私はリリィです。……里を助けてくれるって言ってくれて、ありがとうございます」


 リリィの澄んだ自己紹介に、ヴィーヴィは驚いたように目を丸くし、次の瞬間には顔を輝かせた。


「うわ、何この子、ガチ天使じゃん! 清楚系すぎて眩しいんだけど! ……おっけー、リリっち! ウチら今日からマジでズッ友じゃん?」


 ヴィーヴィの親しげなウインクに、リリィは「リリっち……?」と慣れない響きに戸惑いながらも、どこか救われるような予感を感じていた。


 こうして、閉ざされた里に新たな「異分子」が加わった。口を開けば軽薄な言葉ばかりのヴィーヴィだったが、その腕は本物だった。彼女の操る高度な薬学の知識はミルトたち薬師を驚かせ、森の境界に張り巡らされた複雑な防衛魔法の術式は、護り手たちの負担を劇的に軽減させた。成果が積み上がるにつれ、次第にその存在は里の一部として黙認されるようになっていったのである。


 彼女の奔放な魔法の力が、運命に怯える里に救いをもたらすのか。それとも、滅びへの速度を早める劇薬となるのか。


 運命の歯車は、自らの手で切り拓くべき『未来』か、あるいは抗えぬ『宿命』か。そのどちらともつかぬ未知の方向へと、激しく軋みを上げながら回転を始めたのである。

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