第一話 『時詠みの里』 予知と共生
最後のドラゴンが死に絶えて数百年。魔王の脅威も去り、かつて恐怖の対象だった魔物たちも姿を消した。そして、魔王を討つ宿命を背負った『勇者』という存在もまた、語り草の中だけの伝説となり、この地上から消え去って久しい。
しかし、外敵なき世界に残されたのは、人間同士が際限なく争う血塗られた歴史であった。大陸は百年以上前から多数の小国が割拠する群雄割拠の時代へと突入し、絶えず戦火の煙が空を汚し続けている。
そんな喧騒から逃れるように、大陸の最果て、
未だ来ぬ時の断片を今日の記憶として刻む、安寧を繋ぎ止める
『時詠みの里』――。この里の千人の命を繋いでいるのは、古より伝わる厳格な『巡回と予知』の儀式であった。
この里の未来を予知する『
半径八百メートルほどに広がる里の境界線を隅々まで網羅するため、巡回は常に『東西南北』の四方位に分かれた四組が同時に放たれる。この重層的な運用こそが、里の境界内をくまなく把握するための鉄の規律であった。里に属する『詠み手』は四十人に満たない数だが、彼らは予知の質を維持しながら毎日交代でこの任に就き、一刻(約二時間)以上の時間をかけて未来の視界を確定させていくのである。
この『探索』こそが、予知の解像度を決定づける。なぜなら、彼らの能力は『未来の自分が体験する主観的な記憶を、今この瞬間に追体験する』という性質のものだからだ。
今日、自分の足で歩き、土の匂いを嗅ぎ、境界の草木の揺れを網膜に焼き付ける。その『歩みの記憶』があるからこそ、数日後の自分が同じ場所で視るであろう景色を、今この瞬間に手繰り寄せることができるのだ。『詠み手』にとって、里を歩くことは未来への地図を描くことに他ならなかった。
この『未来を視る』という感覚は、現代風に言えば、意識の中で一本の『動画』を再生することに近い。
未熟な者は未来の映像が飛び飛びに現れ、時間の前後関係すら判然としないが、修行を積んだ『詠み手』は、その意識の映像を自在に操ることができるようになる。まずは意識を集中させ、自身の能力が届く限界の『先』まで視線を飛ばす。そこから現在に向かって映像を『巻き戻し』たり、気になる箇所を『早送り』したりしながら、細部を精査していくのだ。
ただし、その映像は客観的な記録ではなく、あくまで「未来の自分の視覚」が捉えている主観的な景色である。
手繰り寄せた未来の記憶が脳内に流れ込んだ瞬間、その『視界』に加え、その瞬間の音、肌に触れる風、体温の変化、そして痛みといった『五感のすべて』を、現在の肉体で鮮明に追体験する。
この生々しい主観の共有があるからこそ、彼らの予知は『情報の断片』に留まらず、里を救うための『絶対的な真実』として機能していた。だがそれは同時に、もし未来の自分が凄惨な苦痛に見舞われていた場合、健康な『今』の自分までもがその絶望を全身で引き受けなければならないという、能力が孕む残酷な側面でもあった。
また、どれほど技術を磨こうとも、見通せる『距離』だけは生まれ持った資質に左右された。多くの『詠み手』が視通せるのは、せいぜい数日から一週間先が限界だ。数週間先まで視える者は一握りの実力者であり、一ヶ月以上先を詠める者は稀である。里の長い歴史を遡っても、数ヶ月先を視る者は数十年に一人現れるかどうか。それ以上の遠い未来――年単位の時を詠めたという記録は、どこにも存在しない。
探索を終え、里の中央広場に戻ると、詠み手は壇上に立つ。里の人々は、彼らが持ち帰った『未来の断片』を聴くために集まる。
「東の森は午後から雨になる。薪拾いは午前中のうちに済ませておけ」
「三日後、北の崖に猪が通る。獲物を仕留められるよう、今のうちに罠を仕掛けておけ」
「五日後、山賊が近くに現れる。境界を封鎖し、念のため大切な荷を蔵へ隠せ。警戒を」
こうした里全体の指針を示す儀式以外にも、『詠み手』たちは日々、里の者たちに請われれば個別の予知も行っていた。
たとえば、建築中の家屋の
このように、里という共同体は常に予知の恩恵を等しく受けてきた。この予知の力を軸として、人々は装束の色によって分けられた三つの役割を分かち合い、まるで一つの生命体のように共生していたのである。
一つは、未来を視る力を持つ『詠み手』。彼らが視る予知とは、『未来の自分が体験する主観的な記憶を、今この瞬間に見ることができる能力』である。ゆえに、自分が関わらない出来事や、自分が死んだ後の世界は、決して視ることができない。彼らの予言は里の羅針盤であり、不確かな世界を生き抜くための唯一の灯火であった。汚れなき白い服を纏う彼らは、意識の糸を時間の
二つ目は、武力で里の平穏を支える『護り手』。緑と黒の服を基本とし、戦闘時には強固な鎧を、そして季節に合わせて周囲に溶け込む
三つ目は、日々の営みを繋ぎ、里の血肉を創り出す『支え手』。これは、未来を視る『詠み手』と、里を武で守る『護り手』、そのどちらにも属さない全ての村人の総称である。白、緑、黒以外の多彩な色の服を纏う彼らこそが、里の日常を回し続ける主役であった。特別な力持たぬ彼らだが、その労働――田畑を耕す農業や商い、道具を造る職人の手仕事、そして病を癒やす薬師などの医術など、多岐にわたる営みが、里の千人の命を繋ぐ礎となっていた。
外の世界には、超常の
そして、この里において、予知は単なる生存の道具以上の意味を持っていた。それは、外の世界との隔絶を維持するための『究極の防壁』でもあった。
『未来を視る力』が公になれば、それは最強の軍事資源として諸国の渇望の対象となる。ひとたびその存在が露見すれば、里は戦場の中心地へと変わり、平穏は一瞬で灰に帰すだろう。だからこそ、彼らは予知を用いて、里へと続く道を隠し、訪れる災厄を未然に弾き、村の存在そのものを歴史の裏側へと沈め続けてきた。予知をすることで、予知の存在を隠す――この矛盾した防衛こそが、里を隠れ里たらしめていた。
『詠み手』が光を視せ、『護り手』が影を払い、『支え手』が命を紡ぐ。
たとえば「五日後、山賊が近くに現れる」との予知が下されれば、里は即座に、だが静かに脈動し始める。
まず『護り手』たちは、襲撃が予想される時刻から逆算し、迎え撃つための陣形や潜伏場所の選定を済ませる。彼らにとって予知は、勝利を確実にするための『戦術設計図』であった。
同時に『支え手』たちも、来るべき瞬間に備えて密かに段取りを整える。農夫は五日後の農作業の予定を繰り上げ、商人はいつでも蔵へ運べるよう大切な荷をまとめ始める。
そして襲撃の直前、彼らは一分の疑いもなく日常を閉じ、避難を完了させるのだ。自らが戦えぬことを自覚しているからこそ、予知という『生き残るための道標』に従い、流れるような無駄のない動きで災厄をやり過ごす。それがこの里の強さであった。
その対策後の予知を見られれば、さらなる確認ができる。が、大抵は追加の予知がなくても問題なく終わる。この揺るぎない相互信頼と秘匿の徹底こそが、戦乱の時代において、この小さな里が誇る最大の強さであった。
更に説明すると『詠み手』の能力にはある絶対的な性質がある。前述した通り、『予知とは、未来の自分が体験する主観的な記憶を、今この瞬間に追体験する能力』である。ゆえに、自分が関わらない出来事や、自分が死んだ後の世界を視ることは決してできない。
そして、『詠み手』が未来を視る際、その視界には二つの『もや』が現れる。
自分の行動次第で未来が変わる場合は、予知に流転する『黒いもや』が混じる。これは回避や改善の余地がある『希望』の証だ。反対に、何を変えても動かない確定した未来には、
また、その予知の果てに訪れる『詠み手』自身の『死』には、二つの絶望的な色があった。
一つは『黒い闇』。それは現在の行動の延長線上にある危機の予兆であり、回避行動をとれば未来を書き換えることができる『避けられる死』。『詠み手』が別の道を選択することで、その闇は霧散し、新たな光、未来の予知が差し込む。
しかし、彼らが真に恐れていたのは、もう一つの色――『白い闇』であった。
それは、ある一点を境に、未来の自分の視覚そのものが消失し、意識が根こそぎ断絶した後に訪れる底なしの虚無。いかなる知略を尽くし、いかなる執念をもって抗ったとしても、必ずそこに収束してしまう確定した『避けられない死』。
それは将棋でいうところの『詰み』を意味していた。いかなる指し手を繰り出しても、王将が取られるのを防げない絶望的な終局である。自身の寿命を全うする際にも同じように意識の終焉としてこの色が訪れたが、それが予期せぬ瞬間に現れたとき、『詠み手』は逃れようのない運命に直面することとなる。
ただ、この平和な村では、滅多に『白い闇』を見る『詠み手』はいなかった。
これまでに里の住人の『白いもや』を伴った死を予知したことはあったが、それはあくまで客観的な出来事に過ぎない。寿命以外の『白い闇』が視えることなど、かつてはベテランから若手へ語り継がれる戒め、あるいは古い昔話の類でしかなかったのだ。
あの日。一人の少女が、その身に宿したあまりに強すぎる光ゆえに、十年後の白き絶望を視てしまうまでは。
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