第2話 不満分子

 翌朝。京志は無言のまま、粗末な昨日の残りを無造作にかきこむ。一人きりの食卓には箸の音しか響かない。京志が家を出て一中の門をくぐったとき、昨日とは違う空気を感じた。相変わらず視線は集まるものの誰も近づいてこない。


――完全に“値踏み”されている。


 その雰囲気の原因は、恐らく昨日の一件だろう。結局、「今日はもうええ」と言い残し、春也は仲間を連れて帰っていったが終わるはずがないことは馬鹿でも分かる。


 教室に入ると、春也は席に座ったまま軽く目だけを動かしてきた。取り巻きも距離を置いている。授業が始まり時間が流れる。京志は一切無駄な動きも、会話もしない。明らかに教室の緊張感だけは昨日より高まっていた。


 昼休みの喧騒、購買に向かう生徒たち、京志がパンを買おうと廊下に出た瞬間、目の前に巨体が立ちはだかった。


「加賀谷……」


 見るからにでかい男。180……いやもっと。がっちりしたラグビー体型。坊主に近い短髪で、表情は無機質だが、どこか知性がある。間柴が転校生に声をかけただけで廊下を歩いていた他の奴らが少しだけ動揺する。それだけで間柴の立ち位置が見えた。


「昨日、春也とやりあったんやってな。早速、噂になっとるで」


 京志は無言で間柴の目を見据える。


「……その目や。その目が春也を苛立たせるんやろな」

 

 間柴は腕を組んで、じっと京志を見下ろす。その目には、敬意もなければ敵意もない。ただ、冷静な“査定”。間柴は更に口を開いた


「……勘違いすんなよ……お前が強いかどうかなんて、俺にはどうでもええ」


「なら、なんの用や」


「一中で生きてくつもりなら、知っといたほうがええ思ってな」


 間柴が一歩前に出る。


「ここでは、“群れ”に入らん奴は、獲物にされる」


 京志は微動だにせず、そのまま間柴の目を見返す。


「……俺に、仲間はいらん」


 間柴はしばらく黙っていたが、ふっと鼻で笑った。


「そうか。まあ、好きにしたらええ」


 その口調には、突き放すような温度感が含まれていた。


「ただ――覚えとけ。ここの奴らはまだお前を“敵”とも“味方”とも思ってへん――でも、こっちの判断は、わりと早いで」


 間柴はそれだけ言って、踵を返す。京志は遠くなる背中を見送り、誰にも属さない自分の足音だけを聴きながら、下校の道を歩き出した。 

 

 雨の日だった。教室の窓際、京志はひとりで弁当を食べていた。数日たったが、周りとの距離は縮まらず。相変わらず張り詰めた空気が流れていた。


 その空気をぶち壊すように、バン!と机の上に両手をついてきた男――春也。


「なぁ、お前さ……格闘技やってたんか?」


 京志は眉ひとつ動かさず、弁当の箸を止める。

「……なんでやねん」


「いや、動き見たら分かるわ。目線、構え、反応……あれは素人ちゃう」


 春也はニヤっと笑って椅子を引き、勝手に隣に座る。


「俺、ボクシングやってんねん。ジュニアの大阪大会、去年優勝」

京志は無言のまま。


「でもな、正直“打ち合い”しか知らん。お前みたいなん、正味、気になってしゃーない」

 京志はまだ表情変えない。


「こないだは……悪かったな。コンパス投げたのは、完全に俺が悪い」


「……意外やな。謝るんか」


「…そらな。筋くらいは通すわ」


 春也は目線を窓の外に向けて、ぽつりと続けた。


「ここ一中は荒れてるけど、みんな“どっかで繋がってる”んや。俺も例外やない」


「……俺には関係ない」


 表情一つ崩そうとしない京志のその言葉に、春也はクスッと笑う。


「お前、ほんまに変わってんな」


 しばらく沈黙が流れたあと、春也がぽつりと言った。


「なぁ、ひとつ聞いてええ?」


 京志は一瞬、視線を逸らしたが、春也は続ける。


「なんでそんな、目ぇしてんの?」

 

 その一言に、京志の箸が止まる。春也の目は、どこか本気だった。軽口ではない、真剣な問い。京志は、少しだけ黙って――そして、ゆっくり答える。


「……強さにこだわってる。……それだけや」


 春也は何も言わず、少しだけ目を細めて――弁当の空き箱をコンコンと机に打ちつけた。


「……一中の中でも、“別格”がおる」

 

 京志は箸を置いたまま、春也の顔を見つめる。春也はそれ以上語らなかったが、その一言で、教室の空気が重くなった。春也は、もう一言投げかけた。


「気ぃつけろよ。ここは、ちょっとでも油断したら“喰われる”街や」

 

ワイワイした昼の教室。

 京志は机に突っ伏して目を閉じながら、隣の連中の話をぼんやり聞いていた。


「なあ、“ニトロ”、最近全然来てへんな」


「……そら来るわけないやろ。今、闇天狗の集会に参加してんねんて」


「は? マジなん? 闇天狗て中学生お断りやろ」


「そら特別扱いやろ。兄貴が後藤猛やぞ。あの闇天狗幹部の」


「えぐ……あいつもう“裏の人間”やん」


「こないだなんて因縁つけてきた高校生ボコボコにして、それにあきたらんとそいつの高校に火つけたらしいで」


「うわ……」


「それに校長室で 『俺を退学にせぇ』って叫んで、机蹴っ飛ばして校長のメガネ踏みつぶしたって話や」


「こえぇ……頭いってんな……」


「何がスイッチかわからん。前に“目ぇ合わせた”ってだけで無言で指の骨折られたやつおったで」


「……マジで?」


「マジや。『ムカつく目してんな』って一言だけ言うて、そいつ指折られたあげく転校させられたらしいわ」


「えぐ……でも竜にはなんも言われへんからな。もう卒業まで学校こんといて欲しいわ」


 ――京志は目を開けた。京志の指が無意識に制服の袖を握る。誰とも目を合わせず、京志はゆっくり顔を伏せた。その周囲ではまだ、誰もが“ニトロ”の話題に怯えながらも、口を止められないでいた。


――ムカつく目してんな。その一言が、どこかひっかかる。


 校舎裏、学校という空間に似つかわしくない煙がたちこめていた。京志にやられたことで、元々一本無かった歯が、更にもう一本抜けた坊主頭の江藤が、マスク越しに不満を漏らしていた。


「……なぁ、春也、最近ぬるなってへん?」


ポツリと落ちたその一言に、周りがザワッと反応する。


「自分のツレがやられてんのに、何もせぇへんって、どこがチャンピオンや……」 


江藤がゆっくり立ち上がって、誰とも目を合わせずに言った。


「……このまま春也に任せとって、ほんまにええんか?」


 言葉が重たく落ちる。誰かが「竜ってさ……」と口にしかけて、すぐに黙った。

数秒の沈黙の後、その空気に耐えかねて川上が口を開いた。


「竜は関係ない。あいつに頼るとか、もう話が違うやろ」


「せや……竜に話通すとか、死にたいんかお前」 


 全員が無言でうなずく。 “竜の名前は出すな”――ルールでも掟でもないのに、それが染みついてる。江藤がマスク越しに鼻で笑って言った。


「ほな、春也には春也なりの“ケジメ”つけてもらわなな」

 

 ほんのわずかな口元の動きだけで、周りの数人が無言でうなずいた。春也を囲む算段が、静かに――けれど確かに、動き始めた。

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