第2話 燃えそうな火種
最悪の空気のまま、一日が終わった。
休憩時間は常に張り詰めた空気が漂っており、授業中でさえも生徒たちは厳戒態勢だった。
しかしなんとか一日を乗り切り、レイは荷物をまとめて教室を出た。
帰りに、家にいる祖母からおつかいを頼まれているため、八百屋による必要がある。
「商店街を通ると遠回りなんだよなぁ……」
そう呟きながらも、レイは家路とは違う方向へと足を向けた。
「やっ」
「わっ、びっくりした……。
いつもいつも、驚かさないと気が済まないの? ソラネ」
「ごめんごめん。ついやっちゃうの」
日向ソラネ。
レイの幼馴染の一人で、幼稚園からずっと同じである。
クラスも違い、進路の関係で高校からは離れ離れになるが、それでもこの二人の仲の深さは他に類を見ない。
「……また、何か言われたの?」
「だ、大丈夫だよ。心配しないで」
「アイツ、昔はあんなんじゃなかったのにね」
「……うん」
ソラネがため息混じりにそう言うと、レイはうつむいてしまった。
その様子を見て、ソラネはレイの肩に手を置き、
「大丈夫だよ、レイ。
ヒーローになるんでしょ?
周りの言うことなんて気にする必要ないよ」
「……ソラネが言うんじゃ、説得力に欠けるよ」
「何てこと言うんだよ、ひどいなぁ。
私は心から応援してるっていうのに」
ソラネはやれやれとばかりに首を振る。
「ソラネは手から火が出せて、みっちゃんは雷をまとえる。
他の皆もそれぞれ色んな権能があるのに、僕ときたら……」
「指先から、水がピューって出るだけ……」
「だけって言わないでぇっ!」
頭を抱えてそう叫ぶレイ。
ソラネは苦笑しながら、頭をポリポリと掻いた。
そして、二人は歩き出した。
「それで、何て言われたの?」
「僕がヒーローになんて、なれるわけないって」
「まあ、そんなとこだろうね。
そりゃ、自分が才能に恵まれてるからいいかもしれないけどさ」
「……いや、そうじゃないんだよ」
「そうじゃないって……。
――っ」
ソラネはハッとして、足を止めた。
よろよろと後ずさりをしながら、
「ごめんっ、ごめんっ……。
私、そんなつもりなくて……」
「ああ、大丈夫、大丈夫。気にしてないよ」
「ほんとに、ごめんね、レイ」
「もう、慣れたから」
「――」
未だ唇をわなわなと震わせながらではあるが、ソラネはレイの隣に戻った。
それから数十秒間、沈黙が流れた。
ソラネにとっては、その沈黙はあまりにも長かった。
「……思えば、みっちゃんがあんな風になっちゃったのも、あの日からだったね」
「――」
沈黙を破ったのは、ソラネではなくレイの方だった。
下を向きながら歩いていたソラネは顔を上げて、レイの顔を見る。
懐かしむような、そして悲しそうな顔をしていた。
それから、昔話でもするかのように、レイは語り出した。
***
十年前。
僕がまだ、五歳のときだった。
父と母は、人気トップクラスのヒーローで、常にみんなから慕われ、尊敬されていた伝説のヒーローだった。
「レーイ! 野球しようぜ!」
「ちょっと待ってー! 今トイレしてるの!」
「ウンコ?」
「違うよ。って、なんでトイレの窓から声かけてきてんのさ!」
「早く遊びたいからに決まってんだろ!」
村雲ミナト。通称、「みっちゃん」。
彼は僕の小さな頃からの幼馴染で、付き合いで言えばソラネよりも長い。
毎日のように家に遊びに来て、野球やらサッカーやら、ずっと一緒に居た。
「お待たせ!」
「よし、じゃあ行くぞ!
他のヤツらも呼びに行こうぜ!」
「うん!」
みっちゃんは近所のガキ大将的存在で、僕や周りの友達にとっては憧れの存在でもあった。
スポーツは何でもできて、何気に勉強もできて、そして何より、
「おらぁ!」
「ちょっと! 権能使うのはずりぃだろ!」
「権能出てないお前らが悪いんだよ」
五歳のときに、既にみっちゃんには権能が発現していた。
後に、「雷電」と呼ばれる権能。
その名の通り、雷を体にまとったり、手や足から雷を出したりできる権能だ。
当時はまだ少し強い火花が出る程度だったが、パワーの増幅は著しかった。
普通、権能の発現は小学校に上がってからがほとんど。
それなのに、みっちゃんには人よりも早く発現していた。
何より、ヒーローである両親に憧れていた僕にとっては、それが羨ましくて仕方がなかった。
そんなある日。
またいつものように、近所の友達たちで遊んでいたとき。
「ミナト!」
「あぇ? なに、父ちゃん?」
「母さんたちが……。母さんたちが……!」
「え?」
みっちゃんのお兄さんが、今にも泣きだしそうな顔でみっちゃんを呼びに来た。
わけもわからないままみっちゃんは、大きな病院に連れていかれた。
――みっちゃんの両親は、霊安室に横たわっていたらしい。
死因は、他殺。
――なんと、僕の両親によるものだった。
どうやら、みっちゃんの両親は、権能を使用した犯罪行為、つまり「フォールン」として動いていたらしい。
最初、僕は信じられなかった。
二つの、意味で。
まず、みっちゃんの両親がそんなことをするはずがないと思った。
たまに家に遊びに行くと、お母さんは笑顔でお菓子とジュースを出してくれた。
とても優しい人で、とても犯罪を犯すような人には見えなかった。
お父さんはたまにしか会えなかったけど、よく肩車をして遊んでくれていた。
そんな二人に限って、フォールンになるはずがないと。
そしてもう一つ。
僕の父と母が、間違ってもフォールンを殺したりしないと思った。
ヒーローは、決してフォールンを殺さない。
殺さずに確保して、警察に身柄を引き渡す。
それがヒーローとしての最大限の役目だ。
なのに、僕の両親は殺した。
それも、一番大事な友達であるみっちゃんの両親を。
その父と母を、世間はほめたたえた。
一部では否定的な声も上がっていたとのことだったが、それでも称賛の声の方が圧倒的に大きかった。
「何でッ……! テメェの親が褒められるんだよ……!」
そう、何度も言われた。
何度も何度も、僕が。
もちろん、悪いのはフォールンだ。
どんな理由があっても、最終的に悪いとされるのはいつもフォールンだ。
でも、あの時だけは、何か裏があると思った。
全てが、ありえないことだったから。
その日から、みっちゃんの当たりは日に日に冷たく、強くなっていった。
「ごめん、みっちゃ――」
「黙れ! 口開くんじゃねェ!」
日ごろから暴力を振るわれ、罵詈雑言を浴びせられる毎日。
最初は周りの友達も止めようとしてくれていたが、境遇が境遇だから、何も言えなくなっていった。
――そして今朝、僕は初めて権能を使われた。
***
「えっ、権能を使われたの!?
あの危ない雷を!?」
「うん。でも、完全に僕が悪かったから」
「いやいや、いくらなんでもそれはダメだよ!
下手したら死んじゃうんだよ!?」
「……それでも、僕がみっちゃんの神経を逆なでしたことには変わりないよ」
その言葉を聞いて、ソラネはグッと拳を握った。
「レイは、優しすぎるよ」
「え?」
「言いたいことあるんだったら、はっきり言っとかないとダメ……。
あ、でもむやみなこと言ったら本当に殺されかねないか」
「あはは……。まあ、大丈夫だと思うよ。
みっちゃんは、僕が嫌いだけど、殺しまではしないと思うから」
「そう言いきれる根拠は、あるの?」
レイはその問いかけに、前を向いたまま、
「――みっちゃんも、ヒーローになりたがってるから」
「――」
芯の強く通ったその声に、ソラネは思わず押し黙ってしまう。
レイの顔に目が釘付けになって、離れない。
「確かに、僕はみっちゃんの親の仇みたいなものかもしれない。
でも、僕は夢を諦めたくない。
やっぱり、みっちゃんは僕の大事な友達だし、ライバルでもあるから」
「――」
「……なんてかっこいいこと言ってみたけど、僕は普通高校に進学するんだ。
もう、推薦ももらってるし」
「えっ?」
突然そう言われ、目を見開いたソラネ。
ヒーローを目指すには、普通高校に進学するべきではない。
『ヒーロー科』という学科は、普通高校にはまずないからだ。
プロヒーローになるには、ヒーロー科を出ることが不可欠だ。
卒業とともにヒーロー免許を取ることで初めて、ヒーローになれたと言えるのである。
それなのに、ヒーローを目指しているレイは、普通高校へ進学すると言った。
ソラネは、言葉の意味が理解できなかった。
「なんで……? どうして?
ヒーローになるって、ずっと言ってたじゃん!
っていうか、なんで今まで黙ってたの!?」
「ソラネは、『黎明』に行くんだよね。
全国最高峰の、ヒーロー育成高校」
「そう、だけど……。何で、黎明を受験しないの!?」
「――」
「ねえ――!」
「――無理に、決まってるからじゃないか!」
レイは初めて、声を荒げた。
昔から怒りの感情を前面に出さなかったレイが、怒った。
唇を震わせながら、うつむきながら、
「黎明は、ソラネやみっちゃんみたいに、すごい権能を持った人たちがたくさんいる!
せいぜい指から水を出す程度の権能しか持ってない僕が、そんな所に割って入れると思う!?」
「それはっ……」
「今日の一件で、踏ん切りがついたよ。
あんな力を持ってる人が、ヒーローになるべきなんだなって思った。
みっちゃんの言ってることは、百パーセント正しい。
僕なんかじゃ、ヒーローには……なれない」
声を震わせて、涙をこぼすレイ。
その姿に、ソラネは何も言えなかった。
否、なんと声をかけていいのか分からなかった。
「――レイ!」
言葉を絞り出そうと必死なソラネを置いて、レイは走り出した。
追いかけようと足を踏み出したが、もう片方の足は出てこなかった。
強く拳を握って、みるみる遠くなっていく背を見ているしかできなかった。
――とっとと頼まれたものだけ買って帰ろう。
そう頭の中で呟きながら、レイは振り返ることなく商店街の方へ向かった。
すっかりソラネの姿が遠くなったところで――、
「――なんだ、今の」
巨大な爆発音が、そう遠くない所から聞こえた。
***
一方その頃。
「なあ、ミナト。さすがに、やりすぎたんじゃないか?」
「アァ? 知らねェよ」
「ほら、お前の親の件だって、別に星野は何も悪くなんか……」
「――ッるせェんだよ!」
ミナトは、二人の友人と街を歩いていた。
オレンジ色の空を見上げながら、ふと思い出す。
『僕はそれでも、ヒーローになりたい』
この、言葉を。
「……チッ。無能はいくらほざいたって無能なんだよ」
村雲ミナトは、星野レイが嫌いだ。
この世界の何よりも、あの顔が憎い。
――霊安室に立ち会っていた、レイの両親の顔によく似たあの顔。
特に、うつむいていた時の顔。
悔恨の抱いたあの目、震える唇。
全てが、憎い。
「気分転換に、どっか寄って帰るか?」
「ゲーセンでも寄ってかね?
ミナトも来るだろ?」
「……あァ」
乗り気ではないが、とりわけやることもないので、二人に同行することにした。
この二人とは、一年生のときから一度もクラスが離れたことがない。
ゆえに、仲は良い。
厳密には、この二人はミナトの扱い方を心得ていると言った方が正しい。
最初はひどいものだった。
ゴミを見るかのような目で睨まれ、話しかけることすら恐れていたが、
一度話しかけてみれば案外話の通じる人間だとわかった。
それ以来、二人は常にミナトの両翼にいる。
「ちょっとトイレ行ってくるから、待っててくれ」
「あ、俺も行く。ミナトは?」
「行かねェ。待ってるからとっとと済ませろ」
ポケットに手を突っ込んだまま、建物の壁にもたれかかった。
目を閉じれば、レイの顔が思い浮かぶ。
当然、これは不本意ではある。
だが、
『この手で、困ってる人間をたくさん救いたい!』
ふとしたときに、脳裏をよぎるのだ。
「……黙れやァ!」
手のひらに帯電させ、その手で建物を殴った。
コンクリート造りであるため問題はないが、道行く人からの視線を集めた。
「……テメェの力じゃ、無理に決まってんだろ」
レイの権能は、知っている。
その上で、はっきりと言える。
レイは、ヒーローになんてなれやしないと。
雷を操ることのできるミナトにとって、レイは赤子のようなもの。
昔から全てにおいてミナトよりも劣っていたレイなど、もはや眼中にないのだ。
それなのに――、
「……ムカつくんだよ」
「――何カッカしてんだよ、ガキ」
「――ッ!?」
聞き覚えのない声が聞こえたと思った瞬間、ミナトは口を塞がれた。
鼻は塞がれていないため辛うじて息はできるが、恐怖で体が動かない。
「ンンンンン!」
「なに!? フォールン!?」
「警察に通報しなきゃ――」
「――おっと待ったァ。通報なんてしたら、捕まっちまうだろ?
少しでも怪しい挙動見せてみろ。――このガキ諸共、この辺りを燃やし尽くすぞォ!」
そう言いながら、口から炎を吐いた男。
周辺に停めてあった車に引火し、爆発した。
(何とかして逃げねェと……!)
「おぉっと、お前は自分の立場が分かってないのかァ?
こんなところで雷の権能なんて使ったら、さらに大きい爆発が起きちまうぞォ?」
「……クソッ!」
「俺の業火に焼かれたくなけりゃ、大人しくしておくんだなァ。
もうしばらくしたら、ここを離れて俺の家に連れて帰ってやるから」
「――ッ!」
暴れることはできない。
だがこのままでは、自分はこの男に誘拐されてしまう。
(クソ、が……!)
ミナトは轟々と燃える街を見ながら、顔をしかめた。
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