ヒーロー・オブ・ケプラー

蜂蜜

第1章 黎明入学編

第1話 ヒーロー不適合者

 ――踏み出せ。

 ――走り出せ。


 なりふり構わず飛び出して、助けに行くのが――!



「――――ヒーローだ!」



 一人の少年が、立ち昇る炎の中に飛び込んでいった。



 ***



「行ってきまーす!」

「気を付けてね、レイ」


 星野レイは、家を飛び出した。

 黒い学ランを身にまとい、茶色いカバンを背負って街なかを駆けて行く。


 行先は当然、学校だ。


 レイは現在、中学三年生。

 粉雪のちらつくこの季節、彼は絶賛受験生である。


 受験勉強に追われながら、追いかけている夢。

 それは――、


「――きゃぁぁぁぁぁぁ!」

「こっちだ! 逃げろ!!」


 人々の阿鼻叫喚の声。

 場所はそう遠くない。


 レイは踵を返して、声と音のする方へ走り出した。


「はっ、はっ、はっ」


 息を切らして、手足を動かす。

 悲鳴とは対照的な、満面の笑みを浮かべながら、レイは走る。


 五分と経たないうちに、現場に到着した。

 そこには、


「――動くんじゃねえぞ!

 そこから一歩でも動いてみろ……。この女の首が飛ぶことになるぜ」


 駆けつけたと思われる警察官が、拳銃を構えてそこに立っていた。

 その視線の先にいるのは、


「……フォールン」


 肥大化した腕で女を包み込んでいる男が一人。


 ――フォールン。

 この世界における犯罪者の総称である。

 しかし、ただの犯罪者ではない。


 『権能』と呼ばれる、人並み外れた超能力を利用した犯罪である。

 人並み外れた、とはいってもほとんどの人間がそれを使えるが。


「この腕は、筋肉が肥大化してんだ。

 テメェらの握ってるそれは、俺にとっちゃ、おもちゃの拳銃も同然よ」

「くっ……! 投降しろ!

 包囲されているのがわからないのか!?」

「赤ん坊が大人を取り囲んだところで何ができる?」


 唇を噛み締める警察官たち。

 発砲しようにも、危害を加えようとすれば何をしでかすかわからない。

 ゆえに、その場で膠着状態にあるのだ。


「誰か……助けて……!」

「ハハハハハ! どれだけ助けを呼んでも、『ヒーロー』なんて来やしないさ!」

「――さて、それはどうだろうか!」

「!?」


 声はどこからともなく聞こえてきた。

 巨腕の男は形相を変えて、辺りを見回す。

 右にも左にも、いない。


「どこを見ているんだ、フォールン!」

「――ッ!」

「上っ!?」


 息を呑んだ男は、声を上げる間もなく煙に包まれた。

 上がった土煙の中で、男と人質の女の他に、もう一つのシルエット。


 星野レイは目を輝かせて、背負ったリュックサックのショルダーを握りしめ、


「――ヒーロー!」


 そう、叫んだ。


「グッ……! どうして、こんな所にヒーローが……!?

 事務所からはずっと遠い場所を選んだはずなのに……!」

「どこに居ようとも、困っている人間を見かければ助けに行くのがヒーローだ。

 ヒーローという職業を見誤ったな、フォールン」


 真ん中に大きく「H」と書かれたスーツに身を包んでいる男が、

 巨腕の男をいとも簡単に抑圧した。


「――テーピングヒーロー!」


 野次馬は、一瞬にして観衆へと変わった。

 テーピングヒーローと呼ばれたヒーローは、手のひらから白いテープを出し、その腕を強く締め付けた。


「ク、ソ……!」

「速やかに投降しろ。さもなくば、この腕をちぎってしまうぞ」

「……分かった! 降参だ、降参!

 すりゃいいんだろ! クソ!」


 男がそう叫ぶと、巨大な腕がどんどんしぼみ始めた。

 やがてもう片方の腕同様、通常の大きさに戻った。

 そのタイミングで警察官たちが拳銃をしまい、フォールンとテーピングヒーローのもとへ駆けつけた。

 そして、フォールンは強引に制圧され、手錠をかけられた。


(やっぱり、ヒーローはすごい……!)


「スーツはダサいけどな」

「ね。スーツさえかっこよければ完璧なヒーローなのに」

「おい! ダサいとは何だ!」


 テーピングヒーローは顔を赤くしてそう反論した。

 ヤジを飛ばした民間人、そしてその周りの人間からは、笑いが沸き起こった。


 触発され、みるみるうちに口角が上がっていくレイ。

 眼球が飛び出そうなほど目を見開いて、「Keep out」の文字が書かれたテープから身を乗り出して、


「――あの!」

「……む? どうしたんだい、少年?」


 見切り発車ぎみに、レイは口を開いた。

 笑っていた民衆も、レイの声を聞いてからはざわつき始めた。

 首を傾げるテーピングヒーローに、


「――強いヒーローになるには、どうしたらいいですか!」


 レイは恥ずかしげもなく、そう言い放った。

 まるで、初めてヒーローを見た小学生のような拙い言葉。

 民衆も、そろってあっけらかんとしている。


 テーピングヒーローは顎に指を当てて、眉をひそめる。


「そうだな……」

「――」

「一歩踏み出すこと、かな」

「――」


 ざわめきが止んだ。

 レイもその言葉を聞いて、思わず黙り込んでしまう。


「……え?」

「あ、いや、だからその……私が言いたいのはね。

 ――どんな状況でも、一歩前へ。踏み出してみないことには、良くも悪くも何も起こらないだろう」

「……」

「その後は、なりふり構わず飛び出して、助ける。

 とはいっても、実際はもっと色々なことを考えながら動かないといけないんだけどね。

 だから、これは極論だと思って聞き流してくれてもいい」


 ――なりふり構わず飛び出して、助ける。


 その言葉が、レイの胸に強く刻まれた。

 難しい言い回しでもなんでもない、シンプルな言葉。

 だがレイにとっては、これが、この言葉こそが、ヒーローになるための第一歩であった。



 ***



「はい、出席とりまーす……」


 気だるげな教師の声が、教室に響く。

 「青山、安達、井上……」と、続々と名前を呼んでいく担任教師。

 呼ばれては、違う生徒の応える声。

 あ行からか行、さらにさ行、た行と続いていき、


「張本……。藤井……。星野……星野?」

「――おはようございまぁぁぁぁす!」


 破れるほどの勢いで、引き戸を開けた少年、星野レイ。

 水色の髪の毛が、すごい勢いで開いた引き戸によって起きた風になびく。


「……遅刻だ、星野」

「ええ!? 呼ばれる前に入ったじゃないですか!」

「お前は教室に足を踏み入れてすらないだろう。

 それに、チャイムが鳴った時点で席に着いていなければ遅刻だ。

 お前は何か月このクラスで生活しているんだ?」

「はい……。すみません……」


 がっくりと肩を落とすレイの姿に、クラス内でどっと笑いが沸き起こった。

 対照的にトボトボと席に向かうレイを見ながら、にんまりと笑う少年が一人。


「――オイオイ、また遅刻かよ、レイ」

「あはは……。ついテーピングヒーローに見とれちゃってさ」

「ハンッ! またヒーローかよ」

「いいじゃない、別に。君だってヒーローを目指してるんだから、羨ましいんじゃない?

 ――みっちゃん」

「ッるせェな。それで遅刻してたら本末なんとかだっつーの」

「村雲、お前も席に着いていなかったから遅刻だぞ~」

「なっ……! 俺ァ教室入ってたからセーフだろ、セーフ!」


 担任教師は「決まりは決まりだ」と言って、遅刻の欄にチェックを入れた。

 村雲ミナトはわかりやすく舌打ちをし、机の上に両足を乗せた。

 その様子を、周りの生徒はまったくもって気にしていない。

 これが、日常なのだ。


 朝のホームルームは、淡々と進行していく。

 「今週は百人一首大会がある」「寒さが厳しくなってきたから体調には気を付けるように」など、担任教師は表情一つ変えずに情報を羅列していった。

 最後にあくびをしながら、


「んじゃ、今週も頑張っていきましょう。ほどほどにな。

 あ、でも、受験を控えてるヤツがほとんどだろうから、そいつらは人一倍頑張るんだぞ」


 そう言って、返事をする生徒たちを背に、担任教師は教室を出て行った。


「一限なに?」

「国語じゃないっけ?」

「時間割変更あったから、社会だよ」

「えー、今日社会二時間あるじゃんか。だりぃな」


 そんなクラスメイトたちの言葉を聞きながら、レイは先ほどのことを思い出す。


『一歩踏み出すこと、かな』


 その言葉の意味を、レイは咀嚼しようと考えているのだ。

 しかし、どうもしっくりする意味が思いつかない。


 物理的に?

 それとも、精神的に?

 それだけで、本当にいいヒーローになれるのか?


 そう、ブツブツと独り言を呟いていると、


「おい、クソカス」

「でも、テーピングヒーローが言ってることなんだもんな……。

 間違ったことを言うはずがないし……」

「聞いてんのか?」

「でも、なりふり構わず出て行って、それで助けられる保証とかあるのか……」

「――おい!」

「うわぁっ! な、なに?」


 夢中になっているうちに、現実から遠ざかっていた。

 レイは顔を上げると、そこにはひどく顔を歪ませたミナトが立っていた。

 ミナトは机を強く叩き、


「まだヒーローなんかに憧れてやがんのか? テメェは」

「え? うん。何で――」

「――テメェみたいな無能が、ヒーローになんかなれるわけねェだろ」

「――」


 沈黙する教室に、その言葉だけが響いた。

 レイはその顔を見上げ、うつむいて目を伏せた。


「確かに、テメェの親は凄いヒーローだったぜ。

 夫婦でヒーローランキングのトップ5に入るような、伝説と言っても過言じゃないヒーローだった」

「――」

「――――俺の親を殺しといて、よくもまああんなに明るい顔できたモンだよな」


 レイは、瞳が揺らいだ。

 目を伏せたまま、眉間にひどくしわを寄せた。


「ちょっと! 星野くんは何も悪くないでしょ――」

「自分の親が殺されても、同じこと言えるかよ!?」

「……っ。それは」


 割って入ろうとしたクラスメイトの一人である女子生徒は、言葉に詰まる。

 ミナトは再び机を叩き、


「いいか、覚えとけ、ゴミカス!

 テメェみたいな無能な人間が、ヒーローなんて志すんじゃねェ!

 テレビの前で指くわえてニュースでも見てろよ!」

「――」

「テメェの代わりに俺がヒーローになるんだ。

 人殺しの息子が何かしでかさないように、見張っとかなくちゃだからな」


 吐き捨てるようにそう言って、ミナトはレイの机を蹴った。

 ――雷をまとった、その脚で。


「ぐあっ!」


 レイは、机と椅子ごと後ろに吹っ飛んだ。

 幸い後ろには誰もいなかったが、レイは教室の壁に頭を強打した。

 痛みと悔しさ、そしてどこか愁嘆の念がレイの心と体を蝕む。


 心配して駆け寄ってきたクラスメイトを手で制し、膝をついてゆっくりと立ち上がった。


 そして――、


「僕はそれでも、ヒーローになりたい」

「――アァ?」

「この手で、困ってる人間をたくさん救いたい!」

「人殺しの血を引く、その手でか?

 寝言は寝て言えや――――!」

「――はーい、席着けよ……。

 おい、大丈夫か、星野!?」


 飛び掛かってくる寸前で、教師が教室に入ってきた。

 ミナトはまた舌打ちをしながら、ため息をついて席に座った。




「まったく……。君はどうしていつもこうなのかな」

「チッ……」

「星野も、下手をしたら推薦が取り消されてしまうんだからな。

 せっかくいい普通高校に進学できるんだから、気を付けるんだぞ」

「……はい」


 昼休みに呼び出されたレイとミナトは、担任に厳しく叱られた。

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