第2話 咲良と里志君

 次の日、咲良は児童館に来ていた。


 児童館に併設している図書館に、小学生の作文集が置いてあるとママからの情報があり、読めば地球の小学生の、普通の将来の夢が分かるのではないかと考えたのだ。


「天野さん」

 呼ばれて振り向くと、里志君が手を振っている。


「昨日はごめんね。あれから目黒君の家で遊んだの?」

「うん。里志君が来られなくて残念だねって、みんなで言ってたんだよ」


 椅子に座った里志君は、図鑑を開いていた。

「宇宙の不思議?」

 咲良が題名を読むと、里志君はこっくりと頷く。

「うん、面白いんだよ、一緒に見る?」

 隣に座った咲良に向けて、本を広げてくれた。

 

 図鑑には地球や、太陽系の惑星の写真が掲載されていて、里志君は書いてある文章よりも詳しく、星について語ってくれた。


「すごいね、よく知ってるね、里志君」

「……ぼく、好きだから。ネットで調べたりもするんだよ。天体望遠鏡も持ってるんだ」

 里志君は頬を少し赤らめて、嬉しそうに話す。


「ぼくたちが大人になる頃、宇宙旅行ができるかもしれないんだって。そうなったらいいよね、宇宙人に会えるかもしれないね」

「えっ! 宇宙人!?」

 咲良の胸がドキッと鳴った。


「こんな事言うの、おかしい?」

 困ったような寂しいような顔になって、里志君が聞く。


「おかしく無いよ! 宇宙人はいるもの!」


 君の目の前に。


 出かかった言葉を、飲み込む。


 里志君がパアッと明るく笑った。


「ほんとう? うれしいな。そう言ってくれたのは、天野さんが初めてだ。宇宙人いるよね、だって……」

 満面の笑顔で話そうとした里志君を、壁の仕掛け時計のメロディが止める。

 ピエロが踊りながらくるくる回る文字盤は、4時を示していた。


「行かなくちゃ。天野さんは? もう帰る?」

 里志君は、有名な進学塾のマークが入ったリュックを背負う。


「わたしは、宿題のヒントになりそうな文集を読まないと」

「宿題って、作文?」

「うん、将来の夢ってよく分からないの。夢はあるけど……人には言えないっていうのか……」

「ぼくもそうだよ」

「えっ……」


 咲良は里志君を見上げた。

 里志君はお医者さんになるんじゃないの?

 言葉は胸をよぎったが、声にならない。


「その通りに書けばいいと思うよ。『夢はあるけど言えない』って。天野さんなら、書けるよ」


 ニコッと笑った里志君は、図鑑を書棚に戻して、足早に行ってしまった。

 里志君が座っていたところに手を付くと、そこはまだ温かかった。




「こんにちは、原 宿雄すみおです。みなさんとお会いできて嬉しいです」


 宇宙飛行士の原さんを招いての特別授業は、小学生の体育館で行われた。

 全校児童の前で原さんは、宇宙飛行士はどんなことをするのか、滞在する宇宙ステーションの様子などを、画像を出しながら楽しく話してくれた。


「では、ここにみなさんが書いてくれた『質問』があります。面白そうなのを僕が選びました」

 原さんは何枚かの用紙を取り出すと、その一枚を読み上げた。


「まずはこれ『宇宙人はいますか?』という質問。心当たりの人は居るかな?」

 児童たちのなかから、クスクスと笑い声が上がる。

 用紙には記名していないから、誰が書いたかは分からない。


 咲良は内心びくびくしていた。

 無記名をいいことに、書いてしまったけれど、自分だと知られてしまったらどうしよう。


 でもどうやら、自分だけでは無いようで、別の学年からもパラパラと手を上げる律儀な児童が居た。


「僕はいると思うよ。それにね、もう40年以上前に打ち上げた衛星に、宇宙人へのメッセージを乗せているんだ」

 児童たちから「えーっ!」と驚きの声が上がる。


 スクリーンに衛星の画像が映し出された。

「これは『ボイジャー1号』って言います。これに乗せた『ゴールデンレコード』という……」

 原さんは画像を示しながら説明をする。


 里志君は咲良よりも前の席だから、その表情は見えない。

 でも、スクリーンに向けて動かない里志君の後ろ頭は、咲良をどこか幸せな気持ちにさせる。


「じゃあ次の質問。『ぼくは宇宙へ行きたいです、でもお医者さんにもなりたいです、どうすればいいですか?』……うん、これは男の子の質問かな?」


 ドキン、と大きく胸が鳴って、咲良は里志君の方を見た。

 やはり後ろ頭は動かない。

 でもきっと、この質問は……。


「僕は宇宙飛行士ですが、お医者さんでもあります」

 児童たちの驚く声が、また上がった。

「宇宙で、人間の身体に役立つ研究をしたり、ステーションに居る仲間が病気や怪我をした時に、治療をするのが、僕の役目です」

 スクリーンには、白衣を着ている原さんが映し出されていた。


「どっちにもなればいいんだよ。とても大変だけれど、努力すればきっとなれるんだ」

 原さんは児童たちの方へ向き直る。


「君たちの中には『卵』があるんだ。その卵はね、好きな事や、やりたい事を吸い込んで、いつか殻が破れる。そして『夢』が生まれるんだ」

 里志君の頭は、じっと壇上の原さんを見上げている。


「この質問を書いたきみ、待っているからね。君と宇宙ステーションで会える日を」

 原さんは、いたずらっ子みたいに、ニカッと笑った。




 放課後になって、児童たちが帰って行くなかに、咲良は里志君の後ろ姿を見つける。


「里志君!」

 声をかけると、足を止めて振り返った。

「児童館ではありがとう。おかげで作文が書けたよ」

「そう、良かったね」

 里志君が微笑む。


「今度うちに来ない? 里志君に見せてあげたいものがあるんだ」

「え、ぼくに? 何だろう?」

 目をまん丸にして、里志君が咲良を見た。

「今度の日曜日、大丈夫?」

 夕方の空を見るようにして、里志君はちょっと考えてから、

「……うん、午後なら行ける」

 と、頷いた。

「じゃあ待ってるね! バイバイ!」

 咲良は里志君に手を振って、校門へと駆け出して行く。


 学校のスピーカーから、ドヴォルザークの「家路」が流れて、下校の放送が始まっていた。


つづく

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天野さんちと卵の目醒め 矢芝フルカ @furuka

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