第6話 竜の加護を得た初の戦い
森の夜は、再び静けさを取り戻していた。
だが、その静寂の底には微妙な違和感があった。
風向きが変わり、いつも聞こえていた鳥の声が消えている。
息を潜めるような自然の沈黙――それは、何かが近づいている証拠だった。
焚き火の前で夜食のスープをかき混ぜながら、俺は耳を澄ませた。
獣ではない。もっと意志を感じる気配が遠くにある。
契約の印が淡く発光し始めた。
森そのものが警戒を訴えているのが分かる。
『アレン、南東だ。生き物ではない。だが“歩いて”くる。鉄の足音だ。』
アルディネアの声が頭に響いた。
鉄の足音――つまり、機械か、鎧兵か。
思い当たる節はひとつしかない。
「まさか、もう来たのか……。」
王都の連中が俺の封印解除を感知したのだろう。
逃げた貴族を追うより、竜の力を奪う方が奴らにとって価値がある。
面倒なことになってきたが、これは避けられない。
『戦う気か?』と、アルディネア。
「避けるつもりはない。初めての来客だ。丁重におもてなししてやるよ。」
立ち上がり、腰に差していた小刀を抜く。
本来は調理用の刃物だが、この森では十分な武器になる。
指先に力を集めると、薄い風の刃が刃先に纏った。
魔力の流れに反応し、草の葉が波打つ。
数分後、森の木々の間から、金属の甲冑が月光を反射させて現れた。
十名ほどの兵。王都直属の討伐隊だろう。
鎧には王家の紋章、槍の穂先には封呪の刻印が光っている。
その先頭に立つのは、銀髪の男――見覚えがあった。
「……ルークス・ハイゼン。兄上の側近だったな。」
「驚いたよ、アレン様。まさか生きていたとは。」
剣を構えたまま男が薄く笑う。
「辺境で竜と契約したなど、王都は信じていなかった。
だが、これで真実と分かった以上――その力、引き渡してもらう。」
「相変わらず命令口調だな。けど、残念。俺はもう“貴族社会の一員”じゃない。」
言いながら、足元に自然と風が集まる。
木々がざわめき、土が鳴る。
兵たちもそれを感じ取ったのか、一歩後ずさった。
「貴様……その力、何をした。」
「森と契約した。この土地は俺の領だ。無断で踏み込んだ者は――排除する。」
その瞬間、背後でアルディネアの気配が膨れ上がる。
見上げれば、夜空一面に黒い翼が広がっていた。
焔のごとき金の線が大気を裂く。
兵たちは恐怖で動けない。
『アレン、命令を。』
俺は静かに息を吸った。
戦いたい訳じゃない。でも、誰かが平穏を壊すなら、守るしかない。
「アルディネア、殺すな。追い返すだけだ。」
『心得た。』
竜が吠えた。
その咆哮は雷鳴と化し、地を這う衝撃で全員が膝をついた。
木々の葉が一斉に舞い上がり、夜空を覆う。
兵の槍が爆ぜ、封呪の光が霧のように消える。
それだけで戦意を失うには十分だった。
「ルークス、帰れ。ここはお前たちの領分じゃない。」
「貴様……それでも人か!? 王を敵に回す気か!!」
「もう“王国の人間”じゃない。俺はただの辺境の領主だ。」
ルークスが剣を振り上げるが、その刃は俺の前で止まった。
彼の肩を、俺の作った風圧が押さえつけていた。
動けない。息も詰まる。
そのまま、俺は一歩近づき、囁くように言った。
「忠告する。二度とこの森に足を踏み入れるな。
次は守りではなく、裁きを下す。」
力を解くと、男は呻き声を上げながら地面に崩れた。
彼の部下たちは恐怖で言葉もなく、倒れた仲間を引きずって退いていく。
やがて足音が遠ざかり、再び森に静寂が戻った。
風が、月光の下で優しく木々を揺らす。
焦げた土の匂いと、夜の冷気。
俺はゆっくりと息を吐いた。
『情けをかけるとは、珍しいな。あのまま滅ぼしても誰も文句は言うまい。』
「無意味な死を積み重ねても何も生まれない。
俺が守りたいのは、ここで生きる命だ。殺し合うためじゃない。」
アルディネアの瞳が柔らかく光った。
その光を浴びながら、俺は焚き火のそばに戻った。
燃え残りの木を整え、炎を少し強める。
その香りが風に乗り、森中に広がった。
『だが、敵は必ずまた来るぞ。王は竜の力を諦めぬ。』
「分かってる。だから、その前に強くなる。
俺とこの森、そしてここで生きる仲間を守るために。」
焚き火の上、蒸気のような霧が立ち上がる。
泉から引いた水が自然に温まり、湯気をまとっていた。
そういえば、昨日掘った水路の一部が地熱に触れて、温泉になりかけていたな。
ふと笑いが漏れた。
「戦いのあとに温泉ってのも、悪くないだろ?」
『人の遊び心は理解しがたいが……悪くはない。汝らしい。』
炎がぱちぱちと鳴った。
疲れた身体を温かい湯で癒せると思うと、少し気持ちが軽くなる。
「アルディネア、これで確信したよ。俺、この森を平和にしてみせる。
どんなに強いやつが来ても、もう追われる側じゃない。」
『……我も興が湧いた。ならば共に見届けよう。新しい時代の萌芽をな。』
夜空で竜が翼を広げる。
その影が月を一瞬覆い、森全体を揺らして通り過ぎた。
遠く、逃げ去る兵士たちの残した轍を風が消していく。
彼らが王都に戻るころには、今日の出来事は“信じがたい怪奇”に変わっているだろう。
俺は肩の力を抜き、焚き火を見つめた。
この森を守り、この地に生きる。
その決意が、胸の奥で静かに燃え続けていた。
やがて夜が明ける。
新しい朝の光が森を包み、風が優しく頬を撫でた。
この森は今日も穏やかで、美しい。
そして、辺境の領主――いや、竜に選ばれた人間としての“本当の戦い”が、ここから始まろうとしていた。
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