未知

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未知

 僕は石橋を叩いて叩いて叩きまくって、結局渡らないタイプの人間だ。


 今通っている高校だって、親が探してきた中高一貫校。大学は附属なので、変な成績さえ取らなければ、まず内部推薦で上がれてしまう。


 僕が石橋を叩いた上で渡らないのは、未知なものに言い表しようのない恐怖を覚えるからだ。


 だから友達は昔から変わらずに僕に話しかけてくれる人とだけ付き合っているし、恋愛的にいいなあと思う人がいても、頑張って声をかけて認知してもらった後に実は迷惑だったと思われたら嫌だし――と悪いほうばかり想像して、結局何も行動に移せずにいた。


 親や先生は、僕のことを慎重な性格だと表する。そして慎重なのは悪くないことだと言う。


 だけどこれは、僕の成績がいいからそう言ってくれているだけだろう。


 僕は不安が強いせいで、成績を落とすのが怖くて予習復習をかかせない。そのお陰で高成績をキープしていることが、大人の目には真面目で好印象に映るんだと思う。


 でも、僕は知っている。僕は慎重なんじゃない、ただの臆病者で意気地なしだってことを。


 この先の僕の人生、ただ敷かれたレールの上を進むだけで本当にいいのか。大学卒業後は家業を手伝い、親の勧める見合い相手と結婚する、何も選ばないつまらない未来が見える。


 放課後、誰もいない教室の一番後ろ、窓際の席に座りながら、机の上に腕を伸ばして顔を窓のほうに向けた。


 ムカつくくらいの晴天。雲ひとつない青空が広がっている。開けたままの窓の向こうからは、野球部の元気な声が響いていた。


「はあ……」


 クラスの友達は、今日はみんなでカラオケに行ってしまった。僕は誘われなかった。これも毎度のことだ。


「……いいなあ」


 ぽつりと呟く。決められない僕は、中学の時に部活に入らなかった。そして高一の現在も、どこにも所属しないままでいる。


 少しずつ周りに彼女ができたり、つるむ相手がクラスメイトから部活仲間に変わる奴もいて、僕は自分だけが同じ場所に取り残されている感じがして仕方なかった。


 でも、もう今更何をどう行動したらいいのかもわからない。ガリ勉の優等生というイメージがかなり強いみたいで、僕を軽々しく遊びに誘う奴もいない。


 僕は寂しかった。そして僕ひとりが立ち止まったままでいることが嫌だった。


「あーあ……僕も誘われたかったな……」


 ぼやきが口を突いて出る。何が「木村は歌わないだろ? わかってるって」だ。僕だって家では流行りの曲くらいは聞く。みんながカラオケで歌うような曲は、いつか誘われた時に備えて覚えるようにしていたから歌詞だって完璧だ。


 ……でも、その日は来ない。来ないまま、僕のアオハルタイムは過ぎていくんだ、きっと。


 瞼を閉じる。すると野球部の声が少しだけ近くに聞こえるように思えた。自分がここにひとりぼっちじゃなく、彼らともう少し近い距離にいるような錯覚に浸る。


 ……そんなもの、幻想に過ぎないのに。


 もしも僕に、「僕も行きたい」「僕もやりたい」と言う勇気があったなら――。


 なのに行動する前から悪い想像ばかりするこの性格が、僕の人生の邪魔をする。


「虚しいなあ……」


 瞼を閉じたまま呟くと同時に、目尻から涙がひと筋伝い落ちていった。


 ◇


 僕はいつの間にか寝てしまっていたらしい。


 不意に意識が浮上すると同時に、ある筈のない温もりが僕の頭にあることに気付く。


 ん……? だ、誰だ……?


 瞼を開くと、僕の前の席に誰かが座っているのが見えた。その人物が、何故か僕の頭を撫でていたんだ。


 恐る恐る身動ぎする。その誰かは僕が起きたことに気付いたらしく、僕の前髪を指で掻き分けてきた。


 急に開けた視界の先、僕の顔を至近距離から覗き込んできたのは、その席の持ち主である前野だった。


「木村、大丈夫?」

「え……?」


 心配そうな顔をされて、僕は困惑した。だって、僕は前野とろくに話したことがない。前野は高校からうちの学校に入ってきたので、中学からの知り合いとしかつるめない僕とは接点がなかった。

 

 第一、前野はあまりにも雰囲気が他の奴らと違った。垢抜けていてイケメンで、真面目と言えば聞こえはいいけど正直垢抜けているとは言い難い特進クラスの中では、明らかに浮いている存在だ。


 前野も自分が浮いているのは感じていたんだろう。休み時間になる度、知り合いがいるらしい他のクラスに行ってしまっていた。


 その前野が、なんで僕の頭を撫でているんだ……?


 腕から顔を上げた僕の下瞼に、前野の人差し指が触れる。ヒリリとしたような腫れたこの感触は、まさか――。


 すると、僕が結論に到達する前に、前野が答えを先に言った。


「木村、寝ながら泣いてた。……何かあった?」


 ああ、やっぱり泣いてたのか……目が腫れちゃってる感触は、やっぱり涙のせいだったんだ。


「え、あ、いや、その……っ」


 でも、聞かれたところでマジで何もないので、言葉に詰まる。何もなさすぎたせいで泣いていたなんて、どう説明したらいいかさっぱりわからないんだけど。


 だけど僕が答えないのをどう受け取ったのか、前野が悲しそうな表情に変わる。


「……俺には話せないようなこと?」

「へ? え、いや、そういう訳じゃ……っ」

「じゃあ話してよ。言葉にしたらすっきりできるかもじゃん」


 これまで全然知らなかったけど、前野っていい奴だったんだな。ろくに知らない僕のことをこんなにも心配してくれるなんて……。


 だけどここでもまた、臆病な僕が顔を覗かせてきた。


「で、でも、全然どうしようもないことっていうか……」


 僕にとっては大きな悩みでも、明るくてイケメンな前野にとってはくだらない悩みにしか聞こえないんじゃないか。なんだそんなことなんて言われてしまったら、僕は――。


 僕をじっと見つめている前野の真摯な視線を受け止め続けているのが次第に苦痛になってきて、目線を机の上に落とす。


 と、机の上に置かれたままだった僕の手を、前野が両手で包んできたじゃないか。


「え」


 驚きのあまりまた目線を上げると、真剣な目をした前野が真っすぐに僕を見たまま告げる。


「約束する。俺は絶対に笑ったりからかったりなんかしない。だから木村の悩みを聞かせて。な?」


 正直なところ、心がぐらりと揺れた。だって、僕は本心ではそれを望んでいる。でも、どうしても勇気が出ないんだよ……。


 だから、つい否定的な言葉が口を突いて出てくる。


「ど、どうしてだよ……? だって前野、僕とろくに話したことなんか」


 前野が顔を近付けてきた。


「話したことがなかったらこの先も話しちゃダメなんてことはないだろ? 俺はずっと木村と仲良くなりたいと思ってた。今がチャンスだと思ったから、木村の話を聞きたい」

「だ、だって、本当に大したことじゃ」

「大したことじゃないかどうかは、話を聞いてから決める」


 きっぱりと言い切られた僕は――。


「わ、わかった……でも、絶対に笑わないでね」

「うん、約束する」


 クラスメイトに悩みを相談するなんて、僕にとっては未知のことで正直怖いしかない。


 だけど前野の真剣な態度が僕に勇気を与えてくれたから、清水の舞台から飛び降りるような最大の勇気を出して、語っていったんだ。


 約束した通り、前野は笑ったりからかったりしなかった。


 僕の話を真剣に聞いて、何度も「そうか、うん」などと言って相槌を打ってくれていた。これまで僕は知ろうともしていなかったけど、前野はマジでいい奴だったらしい。こんなくだらない悩みを真剣に聞いてくれるなんて、感謝しかない。


 たどたどしくはあったけど悩みをひと通り吐露すると、前野は考えるように黙り込んだ後「――わかった。こうしよう」と言い出した。


「木村が未知のものを怖いと思うのは、ひとりでやろうとしているからじゃないかと思うんだよな」

「な、なるほど」


 言われてみれば、確かに僕は誰かに相談して何かをしようとしたことはないかもしれない。


 前野が人差し指をピンと立てる。


「なら、誰かと一緒に未知のものにチャレンジすればいい。たとえば――俺とか」

「え? でも、悪いし……」


 泣いているところにたまたま遭遇してしまったが故にお悩み相談が始まってしまったけど、前野にそこまでしてもらう義理はない。そりゃ提案してくれたのはとっても嬉しいけど、前野に迷惑をかけてしまうと考えるだけで胃が……っ。


 と、前野が唇を尖らせた。


「全然悪くない。俺がやりたいの。でもそっか、木村に判断を任せると遠慮が先立っちゃうのか……うーん」


 前野が唸る。なんだか申し訳ないな……居たたまれなくなってきた。


「ごめん、ありがとな前野。僕は大丈夫だから――」


 この話はこれでおしまいにするつもりだったんだ。


 だけど前野が手をポンと叩いたことで、僕の言葉が途中で止まる。


「よし。木村の遠慮がなくなるまで、俺に対しては当面『うん』しか言っちゃダメなことにしよう。わかったな?」

「え? ごめん、意味が」

「そこは『うん』だろ」


 即座に返されて、僕は訳がわからないなりにこの場を穏便に済ませようと「うん」と咄嗟に答えた。


 と、前野がにこりと笑う。


「よーし。そしたら今日この後、俺とカラオケに行こ」

「へ?」

「ほら、返事が違うだろ」

「う、うん」

「いい子いい子」


 前野が、犬の頭を撫でるかのような勢いで僕の頭をぐしゃぐしゃ撫でてきた。え、ええ……?


「そんで、連絡先を交換して、寝るまでくっちゃべろうな」

「そ、そんな、悪いよ……っ」

「ほら」

「う……うん」


 ええ、いいのかなあ……。僕は嬉しくても、前野にとってはなんのメリットもないと思うんだけど。


「明日も明後日もその先も、木村が経験したことがないものを俺とやっていこうな」

「えっ!? そ、そんな、そこまでしてもらったら心苦しいというか……っ!」


 慌てて顔の前で手を横に振ると、前野がパシッと僕の手を掴んで動きを止める。目を半眼にすると、少し唇を尖らせながら言ってきた。


「じゃあ、そういう関係になれば文句ないな?」

「え? そういう関係って……」

「ほら、返事が違うだろ」

「え、う、うん……っ」


 ああ、僕の脆弱な意思のせいで、『うん』以外が言えない……!


 どうしよう、どうしようとハラハラしていると。


「じゃあ、今日から俺たち付き合おう。俺と木村は恋人同士だから、毎日一緒に出掛けたって全く問題ないし、毎晩電話したって朝からおはようのメッセージを送ってもなーんも問題ない。な?」

「つ……えっ!?」


 予想外の提案に、頭の中が真っ白になってしまった。つ、つ、付き合う!? え、付き合うって何!? ていうか今恋人って言った!? え、僕も前野も男だけど、そういうことってあるの!? 未知な出来事すぎて全然わからない!


 僕が目を白黒させていると、何故か熱が籠ったような目で僕を見つめている前野が言った。


「ほら、返事。ひとつしか許してないけど」

「へ……う、うん……?」


 本当にいいのか!? と内心焦りながらも、『うん』と答える以外許されていないのではそう答えるしかない。


 と、次の瞬間。


「……やったあー!」


 前野が突然笑顔になって、大きな声で言ったじゃないか。え、ど、ど、どういうこと!?


 びっくりして固まっている僕の手を再び握り締めると、前野が幸せそうな笑みを浮かべる。


「木村のこと、ずっと気になってたんだ。告白をオッケーしてくれて、すごく嬉しい。ありがとな?」

「う、うん……?」


 え、告白? 今のって告白だったのか? ちょっと待ってくれ、頭が全く追いついていない……!


 混乱している僕の手を、前野が自分の口元に引き寄せた。ふにゅりと柔らかい感触が僕の指に触れる。……え、もしかして今、キ、キスをされた……?


 前野は仄かに赤い顔で立ち上がると、にこりと僕に笑いかける。


「じゃ、約束だからカラオケにいこっか」

「う、うん」


 こ、告白って本気!? それとも冗談で!? あ、僕を慰める為!? どれが正解かわからないっ!


 混乱しつつも僕も立ち上がると、前野が不意に僕の耳元に口を近付けてきた。


「……カラオケに着いたら、次は口にキスさせて。あ、返事は『うん』以外ダメだよ」


 僕は臆病だから、未知なものにいつも一歩踏み出せない。


 だから未知なことを経験したいとは夢見ていたけど、まさかここまで未知の世界にいきなり踏み込むなんて想像もしていなかった。


 でも、どんなにびびりでも、答えはひとつしかない。


「ひえ……う、うん……っ」


 怯えながらも唯一許されている返事をすると、前野の顔にそれはそれは幸せそうな大きな笑みが広がったのだった。

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