第2話 雇ってください

 美玲は男に言われるまま、上がり框から板の間に上がった。中央には立派な囲炉裏があるが、火はついていなかった。


「女中紹介所から来たと言ったな。俺が何者かは聞いているだろう」

「はい。ご年齢は聞いていなかったもので、想像よりも若い方でしたので驚きました」


 囲炉裏を挟んで向かい合う二人には、緊張感が漂っている。男は美玲のことを明らかに警戒している顔だ。


「改めてだが、俺の名は加賀見遼雅かがみりょうが。長く働いていた女中が辞め、新しい住み込みの女中を探している。俺の仕事は聞いているか」

「は、はい。金継ぎ師きんつぎしだと伺っております」


 遼雅は無言で頷いた。割れた食器などを修復する『金継ぎ師』は、その美しい技術で壊れたものをより素晴らしいものに生まれ変わらせることで知られている。

 美玲はこの家に来て最初に遼雅を見たとき、意外にも彼が若い男だったことに思わず動揺した。紹介所で有名な金継ぎ師の家だと聞いていたので、てっきり年寄りだろうと思い込んでいたのだ。


「なぜ、お前はこの家の女中をやろうと思ったのだ?」

「なぜ……と申しますと?」


 とぼけたように返す美玲を、遼雅は探るような目で見ている。


「帝都から来たと言ったな。わざわざ女中をやるためにここまで来たとは思えん。なぜこの街に?」

「それは……話すと少々長くなりますが、かいつまんで話しますと、先日私の祖母が亡くなりまして」


 遼雅の睨むような目が、ほんの少し和らいだ。


「仙内市は祖母の生まれ故郷なのです。祖母と二人で暮らしていた私は、一人になって家賃が払えず借家を追い出されることになり……祖母の生家を頼ってここまで来たのです。ですが生家に立ち寄ってみましたら、私のことなど知らんと追い返されました」

「追い返された?」

「どうやら祖母は、生家とは疎遠だったようです。若いころに帝都へ出て行き、それから一度も帰っていなかったみたいですから。それで行くあてがなくなってしまいまして、仕事を探そうと女中紹介所に飛び込んだのです」


「無鉄砲だな」


 遼雅は呆れたように吐き捨てた。


「ええ。でも今さら帝都に戻る金も、向こうで暮らすあてもございません。すぐにでも仕事と住む場所が私には必要なのです。どうか、私を雇ってくださいませんか」


 美玲は深々と頭を下げた。

 

「俺が周囲からどう思われているのか、知っているつもりだ。女中を見つけるのは簡単ではないだろうと思っていた」


 遼雅の低い声に、美玲は頭を上げた。遼雅はそっと指を自分の顔の傷に這わせた。整った顔立ちを引き裂くような深い傷。人を遠ざけるような態度といい、美玲を疑るような目つきといい、遼雅が周囲から孤立しているのは見てわかる。遼雅が周囲から避けられているという話は、美玲も女中紹介所の女将から聞かされていた。


 

 ――美玲が仕事を求めて紹介所に飛び込んだとき、最初は全く相手にされなかった。


「仕事が欲しいってのは分かったけどね、どこの誰かも分からんあんたに、住み込みの女中の仕事なんて紹介できやしないよ。悪いけど帰っておくれ」


 紹介所の女将、松枝まつえは面倒臭そうに手で美玲を払う仕草をした。


「そうおっしゃらずに、お願いします! もう宿屋に泊まるお金も底をつきそうなんです。今日中に仕事を見つけないと」


 松枝とのやり取りと見ていた訪問客の男が、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら話に入ってきた。

 

「だったらその身体を売ったらどうだ。あんたの器量ならどこの店も買ってもらえるだろうよ」

「ちょっとあんた、そんなこと簡単に言うもんじゃないよ」


 松枝は男を睨みつけた。だが男は意に介さず、更にたたみかけてくる。


「そうだ! 遊郭が嫌ならあそこはどうだい。金継ぎ師の加賀見の家だよ。ずっと決まっていないんだろ? あそこの女中」

「えっ、募集してる家があるんですか!?」


 美玲は思わず身を乗り出した。


「加賀見さんのところかい……? いやあ、あそこはちょっとねえ……」


 松枝は困ったような顔をしていた。美玲は松枝の様子を不思議に思い、なぜ紹介を嫌がるのか尋ねてみた。


「いやね……確かに加賀見さんのところで女中を募集しているのは確かなんだけどね……加賀見さんの家には、若い女を紹介するつもりはないんだよ」

「若い女が駄目?」


 美玲が首をひねると、松枝の横に立つ男がニヤニヤしながら説明した。


「あの金継ぎ師には、前から妙な噂があるんだよ。若い女をさらって殺してるんじゃないかって噂がね」

「若い女を……?」


 なんだか穏やかではない話である。美玲はごくりと息を飲み、更に話を聞いた。


「あの男は昼間はほとんど出歩かず、誰とも付き合いがない。男の顔には大きな傷があってな、女に抵抗されたときにできた傷じゃないかって噂だよ」

「はっきりした証拠もないのに、そんなこと言うもんじゃないよ! ごめんなさいね、この人が変なことを言うもんだから……でもまあ、その噂のせいで若い女たちがあの家に行くのを嫌がるんでね。加賀見さんのところには、若い女中を紹介しないと決めているのさ」


 美玲は素早く頭の中で情報を整理した。金継ぎ師の男が女中を募集しているのは確かだが、その男には顔に傷があり、若い女を殺しているという物騒な噂がある。

 美玲にはもう行くあてがない。このままだと本当に遊郭で働くことになりかねない。金継ぎ師だというその男の家で女中をするのと、どちらがましか。


 美玲の心はすぐに決まった。女将に無理矢理頼み込み、加賀見家の住所を聞き出してその足で遼雅の家へ向かったのである――。



「――私は噂など気にしません。それに、聞いた話では女中を探してもう二月ふたつきも経つとか。このままでは家も荒れ放題。それならば、飛んで火に入る夏の虫がこうして来たわけですから、このまま私を雇うほうがいくぶんましかと」

「ふん、ずいぶんな自信だ。して、お前は女中の仕事ができるのか?」

「……それは、もちろん」


 一瞬答えに間があったのを聞き逃さなかった遼雅は、再び眉をひそめた。


「料理はできるのか」

「それなりには……」

「掃除は」

「そこそこ、でございます」

「洗濯は?」

「……善処いたします」


 遼雅は大きなため息をつくと、すっと立ち上がった。これは断られる……と美玲は覚悟したが、彼の次の言葉は意外なものだった。


「ついてこい」

「……は?」

「家の中を案内する」


「……は、はい!」


 美玲は慌てて立ち上がった。

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