第2話 偉大なる執筆者
「……途中、空間転移したぁ?」
ナビシステムが役に立たなくなっていた。
公開されている地図と照らしあわせると、ジロー達の居場所はビブリオボルテックスの深奥に近いらしい。それは初端付近から二〇%ほどしか潜った経験のないジロー達にとって時間的、空間的、つまり単純なユークリッド宇宙的に言ってありえない移動だった。
「空間転移トラップの事は聞いた事があるんダ。少なくとも複数のそれに引っかかって、随分と奥深くまでジャンプしてしまったんダ」
「多分ここは未踏破地帯だぞぉ。他のアタック隊が訪れた形跡がないなぁ」
ここは無数の書架が長い列をなして複雑に交差する、まるで交差点やインターチェンジの様な場所だった。大気は呼吸可能。周囲にいるのは図書館星の何処でも見られる、サカナ状だったりイソギンチャク状だったりする燐光を発する小さな生物だけだ。
「奥へ進むか、引きかえすかぁ」
「深奥へ向かうんダ。それしかないんダ」
「いやいや、こういう時は人力コンピュータの出番でしょぉ」
「……ええー。あれを使うんダ」
エリオの嫌そうな声。宗教は信じるのにこういうのは信じないんだ、とジローは今更不思議がらない。「今までだってどうにかなってきただろぉ」
ジローは背負っていたアルミバッグから紫の風呂敷に包んでいた物を大事そうに取り出した。
――水晶球。
片掌からはみ出す大きさだ。
「非科学的ダ」
「人力の物語探知用コンピュータさぁ。今までさんざんお世話になっておいてそういう事言うんだぁ」
ジローは託宣をこのほの光る水晶球から得ようとする。水晶球本体がインタフェースとインジケータ。CPUとメモリは使用者の霊能力。そういう人力コンピュータだとジローは言い張る。
「むむぅ」
水晶球を覗きこんで唸る。透明球のその内部では、屈折した周囲の景色がまるで濃霧色の影の様に怪しく蠢く。
見つめるジローは演算した。つまり水晶球に映る映像を、自分の脳で解釈した。
「……暗黒の中央で、タイプライターの様な物を抱えて浮かんでいるヒトが見えるなぁ。ヒト――バクトル人じゃない、テラ人だぁ」
ここに映っている映像は一つの物語だ。事実もフィクションも区別しないで貪欲に未来を映し出す。全てはジローの解釈次第。的中率はジローに限れば、特に高い。
「この奥にあるんダ?」
「この分岐路のこっちをずっと奥だぁ。近いなぁ」
それを聞いたエリオが先に進むのを選んだ。
ジローも好奇心が勝った。
二人は書架の列に囲まれた通廊をゼロG移動で泳いで進む。
風を感じる。
やがて現れた光景。
無数の書架は、まるで捻じ曲がった竜巻の発生地点の様に一点に集中していた。
そこはまるで薄闇色の無数の花びらにつつまれた様な風景だった。
ミルフィーユとして積みかさなっているのは無数の紙片だ。紙片の一枚一枚はびっしりと文字が並んでいた。文字の並ぶ紙片が吹雪の様に渦まいている。
その中央に、激しい即興曲を演奏する勢いでタイプライターを叩き続けているテラ人の男が一人。何処からともなく新しい紙片が生じ、やがて書物として綴じて、恐らくは書架の空きスペースに収まるべく空間転移して消滅する。
狂った芸術家は膝を折って、猫背の身に大きなタイプライターを抱えている。
「ザ・グレートライター……。今も現在進行形で、俺達の人生をも執筆しているんダ」
エリオは五〇mほど向こうの書架の空き空間にいる、狂った芸術家の匂いを感じたらしくそう言葉を漏らした。
畏敬の念でも感じているのか、陶然と彼の方へと泳いでいく。
「ちょっと待て、エリオぉ」ジローがバクトル人を止めた。「周囲を注意しろぉ」
その声で初めて周囲の奇景に気づいたようだ。周囲を埋め尽くす紙片の中に見え隠れする異質な物。視覚のないバクトル人も雰囲気で解ったらしい。
様様な種類の異星人の骨格だった。内骨格もあるし、外骨格もある。数年前の新しい物から、化石化している物もある。
「これは尋常じゃないぜぇ。誰も来た事のないはずの場所で、無数の屍に覆われて、一心不乱に執筆し続けている超越者ぁ……」
エリオを制するように前に出るジロー。
その時、向こうにいるザ・グレートライターと眼が合った。
「ようこそ」
ザ・グレートライターはタイプする手を止めずに、銀河連合共通語で二人に声をかけてきた。眼をギョロつかせた、痩せぎすの醜い男だ。
エリオは言葉を失っているようだ。感動か、恐怖か、それは解らない。
「君達が訊きたい事は解っている」とザ・グレートライター。「何故ここで私が執筆しているのか? ここは宇宙の『外』ではないのか? ここはブラックホールの中の様なものだ。ここは無限の紙片が生み出せる。情報が集まりすぎて、物理法則が破綻している。ここは内側にいながら『世界の外』にいると等しいからな。こここそが私の住処にふさわしいと思えないか」
『この先』を執筆しながら滔滔と答えるザ・グレートライターに、ジローは危機感を抱いた。
能力から推察すれば『ザ・グレートライターが、ビブリオボルテックスの奥で執筆している』といううわさを図書館星内にばらまいたのはザ・グレートライター自身だ。
「どうだね。私の仕事にもっと興味を持ってもいいんだぞ」
――では、何故そんな事をするのか。
『うわさの文書』はザ・グレートライターがばらまいたトラップなのだ。
ザ・グレートライターは神ではなく、ヒト。
多分、寿命は有限で、疲れもする。
周囲の骨は、今まで代替わりしてきた者達の屍。
ザ・グレートライターは交代を待って、罠を張る。
空間転移トラップを使って、次の生贄を引きよせるのだ。
今の当人が死ぬ前に、好奇心を抱いた後継者を捕まえる為に。
「――エリオぉ」
ジローは、制する手を振りはらってフラフラと前に出るエリオを止めようとした。
しかしバクトル人は襞のあるその細長い身体を渦巻かせて、太ったテラ人に体当たりした。ジローは転がる様にゼロG空間を書架の一つまで突きとばされる。
「エリオぉ! ザ・グレートライターはトラップである『うわさ』をばらまいて自分の代わりに執筆するヒトをおびきよせてるんだぁ! 使命感を持つヒトをぉ!」ジローは叫ぶ。間違いない、エリオは執筆を交代するつもりだ。バディの危険は見すごせない。「ザ・グレートライターは常に永世中立であるべきだって言ってたじゃないかぁ! エリオぉ! それが出来るのかぁ!?」
信仰対象を前にしたバクトル人の前進がその言葉を聞いて止まった。
使命感を持った者の、自分にふさわしい能力があるかを疑問視しての躊躇。
ジローはその隙に考えた。
自分達の行動は、既にザ・グレートライターの書いている物語に決定論的に含まれているはず。
そうではないという事は、ザ・グレートライターとは不完全な存在に他ならない。
神ではなくヒトだとすれば、まさにそうだろう。
エリオは自分の主観的な欲望にとりつかれずに中立を貫いて執筆する事が出来るだろうか。
出来ない、と自分で思ったのだろう。だから止まったのだ。
「ザ・グレートライターぁ!」ジローは声を張り上げる。「お前も何年か前に、先代によってばらまかれたうわさを追ってここに来たテラ人なのだろぉ! もう疲れたろう! お前の意思で執筆を止めたらどうなんだぁ!」
「それは出来ない」と、ザ・グレートライター。「ここで執筆を止めたら宇宙が終わる」
「それを試した事もないだろぉ!」と、ジロー。「お前も最初は宇宙を自由に創りあげていく喜びもあっただろぉ! それも永年の孤独に耐えられなくなっているぅ! ……どうだ。ここでストップしてはぁ!」
タイプライターを打つ両腕のリズムがかすかに鈍った。
ジローはここで畳みかけるべきだ、と決意した。
「重荷を背負いすぎたと考える事はないのかぁ! どうだい、自分の執筆してきた物語は完璧に思えるかぁ! お前の物語は、読む人への影響をあたえすぎるぅ!」
「……作家はいちいち読者への影響を考慮しないものだ」
「ならその考えを貫くべきだろうなぁ! ……少なくとも作家の不完全な覚悟が反転するその時までぇ!」
ジローは、ザ・グレートライターに『不完全』という言葉を突きつけた。
エリオが二人の中間点で∞の軌跡を描き続けている。それさえ無視すれば、時間の流れが凍結したような静寂があった。
ザ・グレートライターを止める方法は何だ。ジローの脳裏で思考が交錯する。
どうする。水晶球に頼るか。
いや奴はこちらの声に反応している。
一声かけて止まるとしたら、それは何だ。
やめろ、それは間違っている、か。
いや違う。
作家だったら、かけられたい言葉は何だ。
……そうだ。
ジローは冷静に息を吸い込んだ。
「お疲れ様ですぅ」決意したジローは同じ作家として声をかけた。「あなたが書いてくれた物語はとっても面白かったですぅ。自分達を生んでくれてありがとうございますぅ」
作業に対する正当なる評価、代償。
それは時として一言ですむ場合もある。
「……そうだ」ザ・グレートライターのタイプライターを打っていた手が止まった。腰の高さまで下がったそれは疲労困憊を表して痙攣している。「その言葉を待っていたのだ……」
どう、と涙があふれた。
「……物語はある程度、成熟すると母宇宙から切り離されて、独自のパラレルスペースになる……もう十分だ」
呟き。痩せぎすの身体に突然無数のひびが生じる。
瞬間、それは何千枚もの紙片として爆発した。
びっしりと文字で埋まったそれらは輝きと共に空気に溶けていく。
エリオは輝きの照りかえしを受けた。
最後のザ・グレートライターの執筆が止まった。
宇宙は終わらず、図書館星の深奥では二人のヒトが既に書きあげられた紙片のミルフィーユの上に立つ。そして先に去っていった者を見送った。
ザ・グレートライターがタイプライターを抱えていた場所。そこに超古代の情報収集宇宙船の核である人工知能が、小さなアンモナイトの様な殻を作っていた。
恐らくは最初の執筆者であったその殻を。
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