ザ・グレートライター
田中ざくれろ
第1話 書物の渦
その図書館には、奇妙なうわさがあった。
「……あの『ザ・グレートライター』がこの『ビブリオボルテックス』の奥で執筆しているぅ?」
テラ人のジロー・ハワーソは、コーン味プロテインスープを紙パックからストローで吸いあげる。
バディであるバクトル人のデ・ミ・エリオは、フリルの襞を持つ細長い身体を空中で竜巻の様に巻く。
「――という話ダ。この図書館星の深奥では偉大なる執筆者(ザ・グレートライター)が昼夜を問わず、寝食を忘れて、この大宇宙を記録作文、物語に変換し続けているというんダ」
「定期的に流れるうわさじゃないかぁ。神がこの宇宙を創り続けているのかぁ」
「神じゃないんダ。執筆者ダ」
「バクトル人の宗教概念はこの際どうでもいいとしてだぁ」ジローは今日一日分の栄養摂取を終って、空になった紙パックをダストボックスになっているサイドポーチに入れた。無重量状態に任せて、簡易宇宙服を着た太った身体を、大階段の踊り場で一回転させる。「誰も見た事がないビブリオボルテックス深奥に関する情報が伝わっているだけでも、おかしな話じゃないかぁ」
「そうダ。そうなんダ。だから奇妙なうわさなんダ」
「何処で聞いたんだよ、そんなうわさぁ」
エリオは答えなかった。
ん?とジローは先ほどまでの会話に違和感を憶えながら、巨大な図書館星の血管とも言うべき大通廊を泳いで進んだ。
ギランジヤン太陽系第五惑星ビブリオボルテックスは、ジローの故郷である惑星テラが所属するソル太陽系の最大惑星ジュピターとほぼ同じ大きさの人工惑星だ。
宇宙の全知識収集を目的に三億年前に作られたというビブリオボルテックスの核(コア)は、超古代の無人情報収集宇宙船だったと言われている。今は失われた超古代異星人の人工知性はコアの周りにアンモナイトの殻の様な情報記録スペースを増築しながら、三億年の時間によって一見無秩序に渦巻く巨大人工惑星を作りあげた。
作りあげた、と過去形で語るのは違うかもしれない。
ビブリオボルテックスは生きているのだ。現在進行形で星間物質を吸収しながら、無数の鋭敏なアンテナが宇宙の全電磁波を情報記録に変換し続けているのだ。
手の届く限り、眼の届く限りの電磁情報が、ビブリオボルテックスを現在も成長させていた。そしてその手や眼は最大効率で影響範囲を今も拡大している。
この図書館星には既知宇宙のほぼ全てがあった。
記録は最も経年劣化が少ない『書物』の形で保存されていた。平綴じされた高分子ペーパーの表層に印刷された、パーマネント・インクによる一〇フォントの超古代文字。
このジュピター規模の惑星は、書物を詰めこんだ情報記録スペースの無秩序な連なりだ。
今は滅んだ超古代異星人によって創られたビブリオボルテックスに、今日も銀河中の無数の宇宙人種がまとわりついている。『銀河同盟』は二千年前にギランジヤン太陽系を発見して以来、ビブリオボルテックスの入り口である端から迷宮の様な図書館に、延べ幾千万人もの『図書館深部アタック隊』を送りこんでいる。図書館は『読まれる』為に存在する。細胞構造に似た意匠の灰青色の背景にびっしりと並ぶ書架。細胞の様な連なりから今日も新発見された書物をアタック隊が運びだす。
ジローとエリオは最小規模、二人きりによるフリーのアタック隊の一つだった。
エリオも昼食を終えた。バクトル人の食物は本だ。バクトル人は視覚がなく、敏感な髭を持つ口で触って、インクの味と匂いと厚みで文字を読む。重要な情報はクエン酸の味がするらしく、読んだ文章情報によって身体を変換し、新陳代謝する。情報を食べてエントロピーを代謝する情報生命体だ。もっとも食べたといっても文字が消えるわけではないが。
最大千人規模のアタック隊によってビブリオボルテックスから発掘される九九・七%の書物は熱雑音の様なクズ情報だ。クズ情報はバクトル人の様な情報生命体の食物になるしかない。残り〇・三%の情報がアタック隊が命を賭して運びだすに足る、まだ誰も見た事がない未知宇宙の重要情報だ。
アタック隊は生命と引きかえに危険に挑戦し、情報を銀河同盟に引きわたして大金を得る。そういう因果な職業だった。
「ザ・グレートライターが存在するとして筆記具は何を使ってるんだろうなぁ」
「タイプライターらしいんダ」
「それはそれは大時代的な事でぇ」
ジローは呼吸可能空気のレベルを確認する。
バクトル人の信仰によれば、この宇宙は神が創ったのではなく、ザ・グレートライターによって現在進行形で執筆されている物語だ。最初は神という固有名詞が執筆者という単語に置きかわっただけかと思っていたが、どうやら違うらしい。
バクトル人が言うには、神というのは全知全能でこの宇宙と等しきものの存在を示しているという。言わばこの『宇宙全体』がイコール『神』という事になるが、それを許さないのがバクトル人の自然哲学だ。
宇宙全体が神という事になると、神はこの宇宙の内側に含まれる。すると宇宙という情報に神という情報はすっかり含まれてしまい、宇宙における神の自由度はゼロに等しくなってしまう。
そこでバクトル人は宇宙の次元外に、執筆者というレベルの違う存在がいて、全知全能ではない代わりに現在進行形で「外で、宇宙という物語を執筆している」と結論したのだ。それがバクトル人の『ザ・グレートライター信仰』だ。
難儀な事だとジローは思う。
ジローらは縦横無尽に交差する柱の様な階段を、宙に浮かんだままで滑り降りていく。
途中、ナビシステムが書架の隙間に未発見の横道を見つけ、ジローらはそこに潜りこんだりもしたが、未解除のトラップシステムに引っかかりかけただけだった。めぼしい書物の新発見はない。もうここらには未発見の書物はないのかもしれない。
バクトル人が細長い身体をひるがえす。最近のエリオは一刻も早く奥へ、と焦っているようだった。今までには見られなかった変化だ。
「ザ・グレートライターはバクトル人なのかぁ?」
図書館内の生態系で最高捕食者の位置にいる図書館ザメの群を、書庫のレリーフに隠れる形でやりすごしながらジローは訊ねる。
「さあ。それは謎ダ。恐らく永遠の」
「ザ・グレートライターが実在するならば、あまねく未来が書かれた『未来日記』のうわさはガセだろうなぁ」
溜息を吐く。ジローがこのアタック隊に就いたのはこのうわさが始まりだった。本当にそれが存在するならば、命を賭けるのに相応しいだろう。
発掘開始から二千年の歴史。未だに未踏破の箇所が多いこの巨大迷宮は、トラップと凶悪な生態系によって数多ある図書館深部アタック隊の挑戦を退け続けている。
ジローとエリオは毒を持つ大きな蝶の去来をやりすごす。
うわさが本当ならば、ザ・グレートライターは何故わざわざこの図書館星の深奥を執筆作業の場に選んだのか、疑問だ。やはり資料の関係だろうか。そこで今も執筆を続けているのか。未来ではなく、進行形の現在を。
ザ・グレートライターがこの図書館星の深奥にいるとすれば、宇宙の内側にいる事になる。宇宙の内側にいるとなれば、自分自身の存在を現在進行形で創り続けている事になるが、それはバクトル人的にはおかしいだろう。
ここでジローは何時間も前の、自分とエリオの会話を思いだした。違和感を覚えた言葉を。
幸いと言うべきか、その会話は記録保存用に回しっぱなしになっている携帯通信端末(ケータイ)に保存されていた。
記憶を頼りに『記録作文』という言葉でサーチすると、該当会話がすぐに検索出来た。
『この図書館星の深奥ではザ・グレートライターが昼夜を問わず、寝食を忘れて、この大宇宙を記録作文、物語に変換し続けているというんダ』
「……どうしたんダ、突然」
エリオが、突然にケータイから音声再生された自分の声に反応を示す。戸惑っている。
「二時間前の会話だぁ。……エリオ、お前ここでザ・グレートライターが『大宇宙を記録作文に変換し続けてる』って言ってるなぁ。……バクトル人としておかしな事を言ってるんじゃないかぁ。宇宙を記録に変換し続けているのはビブリオボルテックスだぁ。ザ・グレートライターじゃないよぉ」
「………………………………………………………………」
エリオは永く沈黙した。
「ザ・グレートライターは未来の物語を創り続けているんだよなぁ。宗旨替えでもしたのかぁ」
「……ザ・グレートライターが深奥で執筆しているという今回のうわさに、重要情報の味を感じたんダ」
沈黙を破ったエリオの表情は、テラ人のジローには読みとれなかった。
「……という事は、そのうわさは文書として出まわっていたのかぁ」
「ああ、そうダ。だから、このうわさを重要情報だと感じているバクトル人が他にいてもおかしくないんダ」
「バクトル人はこのうわさが真実だと決めてかかってるんだなぁ」
「エリオは他のバクトル人よりも、誰よりも早くザ・グレートライターに会わなければならないんダ」
「どうしてだぁ」
「ザ・グレートライターは神ではなくヒトなんダ。ヒトゆえに自分の主観的な欲望にとりつかれて執筆しているかもしれないんダ」
「やれやれぇ。信用されていない信仰対象様だなぁ」
ビブリオボルテックスとザ・グレートライターが一体視されているようだ。
エリオはザ・グレートライターへの動揺を与える何もかも摘みとりたいと言う。
その為には自分が一番最初に彼に会って話をしたいとも。
「神ならぬヒトを求めるとは変わった宗教だなぁ」
「ザ・グレートライターは永世中立であるべきダ。誰にも影響を与えられず、ただ中立的に次の宇宙という物語を冷静に執筆し続けてほしいんダ」
「神ではないヒトにそれを求めるとはなぁ」
「他からの影響を与えられない執筆者でいてほしいんダ」
「執筆者の物語に書かれる方の影響は考えないのかぁ」
「物語の影響を受けるのは、登場人物次第ダ」
「無責任だなぁ」
「作家はいちいち読者への影響を考慮しないものダ」
「俺は小説で他人に影響を与えようと常に頑張ってるぜぇ」ジローは売れない冒険小説家としての顔も持っている。「いい影響を与えた時だけ自分の手柄で、悪影響だと関係ありませんってのは、そら違うだろぉ」
「作家によって違うと思うんダ」
エリオはバクトル人用の簡易宇宙服に包まれたゴカイの様な身体を宙にひるがえす。
探索を続けるにはエリオの信心につきあわなければならないらしい。
「ならその考えを貫くべきだろうなぁ。少なくとも作家の覚悟が反転するその時までぇ」
ジローはそんなうわさより、今日の収穫物が心配だ。書物が見つからないせいで借金のみが増えている。
二人は大規模アタック隊が相手にしないような小さな隘路を新発見しながら奥へと向かった。
眼につく限りは空の書庫ばかりだ。
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