第四話 名前・鋏・髪変化
「なでむりっか? だっけ? 虹手毬の本名は」
「
「りつか? ……あぁ。だから、虹手毬は火の魔法が得意なんだね」
「半分だけあたりよ」
「もう半分は?」
「自分で考えなさい」
リビングにて。昼食後の休憩時間。
私はソファに背を任せて、この子供と出会った時のことを思い出していた。
艶は、壁に飾ってある表彰状を順番に読んでいたらしく、そこに記された私の名前を読み上げた。
「撫陸律火殿……、ねえ?」
ソファの背に腰を下ろすという行儀の悪さには、口出しする気にならなかった。こいつの足が私の肩に当たっても、特になにも思わない。危ないとは思うが、わざわざ言ってあげるほど優しくする必要はなかった。
出会ってから、時が経ち過ぎていた。
相変わらず血色の悪い横顔を見る時間は、明らかに増えていた。
「虹手毬は、結構すごいんだな。そのわり世間じゃ名前を聞かないけど」
艶はいまさら過ぎることを新たな発見のように言った。
私は──少々不本意ではあったが──追加説明をしてあげようと、一番右側にある表彰状を指さした。無論、燃やすためではない。
色褪せたそれは、大きさが合っていない額縁の中に飾られていた。
「魔法少女・虹手毬がなんと云われているか知っるかしら」
「『虹手毬』でしょ」
艶はすぐに答えた。しかし、それは間違いだった。
「『孤高の虹手毬』よ」
「────っ!」
わかってはいたが、実際にそうなると腹が立った。だから説明したくなかったのだ。
皆、絶対に笑う。
笑われるのは嫌いだった。
艶は案の定バランスを崩し、床に落ちる。頭を打ったろうに、笑ったままだった。
あでやかさなど欠片もない大爆笑。清々しいくらいの抱腹絶倒。
「こ、ここ、孤高ってなに」
「超然と孤独でいること。又は、一人で高い理想を求めること。かしらね」
「っはは、っひぃ。ふふふっ」
「虹手毬は、独りで超然と高い理想を求め続ける魔法少女というわけよ。世間には知られていないのは、単に人付き合いが、下手なだけ」
「ふはっ。ひぃっ、ひぃ。あぁ、もう、むりぃ……」
ついに声すら出せなくなったようで、艶は静かに震えていた。戯れに、ソファを乗り越えて踏み潰してみた。こいつが自分の手で押さえている腹を重点的に、いろんなところを踏んで、揉んだ。
「孤高という言葉を見ると。あんたは何を思うのかしら」
「っんん。そうだなあ……」
艶は、とじていたまぶたをひらいた。それから大の字になった。
「強そうだよ。孤高、つまり一人でもいいってことは、誰かの手を借りなくて済むってことだよね」
「そういうこと。まあでも魔法少女は基本的に一人で戦うわ。組まないし群れない。しかし、やはり、一人ですべての〝敵〟と戦えるのかと訊かれれば」
「否!」
「そういう、こと……口惜しいことにね」
艶は、私と出会う前にも魔法少女と対峙している。それは確かな情報だった。加害者である艶が自白したのだ。ありえないことに、この子供は魔法少女にまで手を出していた。管理委員会の戦歴データにはなかったのだが、まあ、記録されているはずがなかった。
子供と出会っただけ。そして、一時的に世話をしただけだったから。
艶の猫なで声に騙された同僚がいるとは思いたくなかったのだが……相手が誰であろうと、頼られると弱くなってしまうのが、魔法少女だった。
「頼る頼られるってのは、つまり人間同士の繋がりでしょう? 私、そういうのはあまりしてこなかったの」
「ふうん。ひと助けしてないんだね」
「違うわよ。一人で這い上がったってだけ」
一つずつ指していく表彰状は、どれも同じに見えた。同じことばかり、似たような筆跡で書かれた文章には埃が溜まっている。
「孤高の虹手毬たる所以を、『撫陸律火殿』に向けたお手紙の数々で証明してるのよ。本来は人間同士の関わりが最重要とされる世界で、私が孤高でいられるように。私の地位に文句を言わせないために」
それに値する功績は、しっかりと挙げていた。偽りの表彰などない。初陣と艶以外に負傷者を出していないのも事実だった。
「へえ。だからこんな豪邸に住んでいるんだね」
「豪邸? ただの三階建てボロアパートよ」
「ただの三階建てボロアパート? ここに一人で住んでて、建物のなん倍もある庭にでっけぇ車を停めてるお家はね、豪邸だよ」
っていうか。何に使うのさ、あの黒ワゴン──と、艶は、ここからぎりぎり見える位置に置いてある車を顎で示した。
あの車は私のものではなく管理委員会のものだ。しかし、事務所には置けないものだった。
「あれは、ヒーローショウに使うのよ」
「ひーろーしょう?」
「知らない? 子供向けに、デパートの屋上とかでする催しよ。ほら、『がんばれー』って言うやつ」
「それは知っているよ。観たことあるし……虹手毬がヒーローなの?」
「いいえ。私はヴィラン役。堕ちた魔法少女役。艶、あんたどの演目を観たの?」
「勿論、紫千振が出てるやつ」
「成る程。だから私を知らないのね。虹手毬(裏)を倒すのは別の魔法少女だもの」
「虹手毬(裏)って何……」
「裏は裏よ」
「?」
艶は、説明不足とでも言いたげだった。でも私はもう説明する気分ではなかった。
「まぁいいや。あとで訊くよ」
虹手毬に限らず、魔法少女の情報はインターネット上にごろごろある。だから、自分で調べろ。
よぉく見れば、艶の目元には隈があった。あれだけぐっすりと眠っていたくせに、徹夜明けのようだ……ぼさぼさ頭には似合っていた。
「髪、やはり長いわね」
「そお? 肩くらいだよ?」
「邪魔くさいのよ」
「髪長いと嫌?」
私の足首をどけながら、艶は眠たそうに言った。
長い髪は、確かに嫌だった。似合っているからやめてほしかった。
いまの艶は、あまりにも整っている。まとう雰囲気は、もはや瘴気といっていい。匂いの原因がシャンプーやリンスのせいではないことくらいわかる。
名が体を表すとはいえ、いまの艶はあでやか過ぎた。少し切り取らなければ、かたちを崩さなければ、新たな被害者を生む。
この子供は整っていてはいけない。
と、私は断言する。
防げる被害は事前に防がなければ、魔法少女と名乗れない。
「立ちなさい」
「無理。眠いもん」
「では座りなさない」
「……はあい」
渋々、といった感じではあるが、艶は床に座った。
つやつやしている髪を持ってみる。キューティクルではない。一週間洗っていないがゆえの、油分由来のつややかさだった。艶は風呂を面倒くさがるのだ。だからこそ私は、この綺麗とは言えない髪を切ってしまいたかった。
文房具鋏は、ペン立ての真ん中で背筋を伸ばしている。まあ、曲がっていたら困るのだが。
「動いたら殺すわよ」
「委細承知」
艶は素直に頷いた。ただ、寝惚けているせいで頭が前後左右に動いている。
呆れてため息が出た……仕方がない。
頭を掴んで固定してあげた。
あとは鋏を動かすのみ。
じゃくじゃくじゃく、じゃくじゃく。
切っていく度、生気を失った髪が床に落ちていった。
「ねえ」
眠たそうな声。
「当たってる」
「何が、かしら」
「鋏の刃だよ」
「問題あるのかしら」
「くすぐったい」
「いい眠気覚ましになるわよ」
私はエアコンの作動音をBGMにしつつ、髪を切っていった。ついでに前髪も切っておこう。揃える必要はない。そこに完璧を求めてしまえば、狂いのない完全体が出現するだけだ。
艶の見た目は、醜いものでなければならない。
誰もが興味をなくす姿になるように、刃を入れ続ける。
十分ほどで完成したのは短髪頭。眠気でとろけた瞳と合わせて見ると、空き家に放置された日本人形のごとき妖しさが醸し出されている。
この姿には誰もが振り向くだろう。そして目を奪われるだろう。
私はまた、大失敗をした。
魔法少女は懊悩せよ こだてじゅん @muikanochini
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