第三話 両方・超・不審者
もう少し、回想は続く。
伊地富警備保障から艶を引き取ったあと、私がしたことはまず戦歴照会だった。
全魔法少女の経歴や、これまでの戦いが入ったビッグデータ。そこから、なにかヒントをもらえないかと思ったのだ。
が、成果はなし。
なん度名前を打ち込んでも、似ている事案すら出てこなかった。
未だこの街では廃れない旧型の携帯端末を右手で操作しつつ、左手では艶を抱えていた。足を負傷している子供は、自分で歩かせるよりもこうして抱えたほうが楽だったのだ。
年齢不詳──背丈は、私よりも断然小さい。
伸ばしっぱなしでぼさぼさ頭。よれているタンクトップにぺらぺらの短パン。
まだまだ上がる口の端。唇は乾燥しているらしく、皮が剥がれていた。
「ねえあんた、いつもはどこで休むのかしら」
艶は、笑みを作ったまま道案内をした。たどり着いたのは、さして特筆すべき点がない、街に十個はありそうな公園。地面は芝生で、遊具はないがベンチがあった。
「大きな声を出しても問題ないから、いろいろ便利なんだよね」
そう言う艶の顔に、街路灯のスポットライトが当たる。痛いくらいに輝いているのに、古めかし過ぎる格好のせいで台無しだった。
「虹手毬、俺をどうするのか決まったのかな」
「管理委員会に報告はしたから、あとはあんたを児相に引き渡すだけ……だったのだけれど」
「不可能でしょ。慰めてあげよっか?」
私の舌打ち(心のなかVer.)が聞こえたのか、艶は、
「あははは」
と、笑った。それはもうお淑やかな、鈴の笑い方だった。
見た目はわんぱく小僧、中身は淑女かよ、と思った。
警察が丸投げをしているのならば、児童相談所さえもその職務を放棄することは予想できた。仕事をしたのは市庁舎だけだ。少しだけ役に立った公僕のおかげで、この子供が言った名前に嘘がなかったことはわかった。
伊地富社長が言った通り、艶の素性に関するそれ以外は、生年月日も住所も両親もわからなかった。生まれた病院もわからなければ、学校にもいっておらず、塾に通っているわけでもなかった。
そもそもマンションなどの家に住んでいない。公園のベンチで休む日々のほうが多いって? この街にスラム街はないぞ。
「警察も児童相談所も、俺のことを知ってはいるよ。褒められた生活をしていないからね」
「例えば?」
「老若男女に寄生して骨の髄までしゃぶり尽くす」
「最ッ低ね」
「処世術だよ」
私の頭にあった面倒な予感──それは、この子供が何かしらの犯罪に手を染めていることだった。
この街において、放置される犯罪者は少なくない。更生させるために逮捕するくらいなら、適当に泳がせておいて勝手に自滅するのを待つのだ。
伊地富社長の言う通り、この街は腐っている。
「今日はねぇ。チュロスを食べたかったんだ。目的は達成したけど……」
艶は、訊かれてもいないことをぺらぺら話す生き物だった。こいつに言わせれば、処世術の一つなのだろう。自分を弱く見せるような猫なで声で、のべつ幕なしに語り続けた。
「だけれど、いままでのツケかなあ……、全身が、痛い。暑さも寒さも耐えられるのに。痛いのもつらいのも慣れてるのに。今回はキツい。なぁんか俺、とうとう神様に見放されちゃったみたいだ」
私は、何も言わなかった。聞くだけに徹した。聞いて、すぐ忘れた。でも完全に忘れる前に、艶は同じ話を繰り返した。
遊園地でやりたかったこと。それら全部を達成できたこと。
自分が街から放っておかれていること。それが当たり前であること。
うざったく、なん度もなん度も。
まるでそうすることしか知らない人形みたいに。それしか言葉を知らないみたいに。すでになぞっている部分をなぞって語っていた。
「寒い、ね」
艶は白い息を吐いた。
「私も寒いわ」
指を、さした。携帯端末を持ちながら、私は人差し指と中指だけを艶に向けた。
殺すには、ちょうどいい機会だったから。
この時の私は、自分のなかにある違和感を警戒心と勘違いしていた。だから、艶をこの街の敵として排除しようと思っていた。まあいまも私のすべきことは変わっていないのだが、過去の私には知るよしもない。
きょとん、としている艶に向かって、過去の私がやることは一つ。
「『──着火』」
指先が、燃える。艶を抱っこしていたから、熱は自分にも降りかかってきた。
「そこはさあ……、」
炎を目の前にしても、艶は表情を変えなかった。笑顔のまま、けれど残念そうに言った。
「『私があたためてあげる』でしょ」
「甘ったるいのは嫌いなのよ」
「どーうして?」
「私が虹手毬だから」
「ふうん」
艶は、炎となった私の指先を矯めつ眇めつすると、
「あったかいね」
密かにささやき、そのまま。
私の指を、食べた。
人差し指と中指を咬まれて、私は動揺してしまった。そしてミスを犯した。すぐに指を引き抜くことが、無難な対応と言えるだろう。自分の人差し指と中指が他人の口の中に入るビックリシーンなんて、誰も見たくない。私も見たくない。しかしこの時の──過去の私は、不可解な行動をとった。いま考えても非常に可笑しい。どんなに時間がたっても、己を馬鹿だと思う。
威力を上げて艶を焼き殺すわけでも、炎を消してじっとするわけでもなく、その炎を、艶の口の中に落とした。それからは、もしかしたら好奇心がうずいたのかもしれない。
再び指先を燃やして頬粘膜を炙り、舌をつねった。口蓋をなぞり、歯肉と歯の隙間に爪を入れた。なん度もえずく艶を、ただ見ていた。呼吸が荒くなっていったのは、どちらだったろうか。
指を引っこ抜いたあと、襲われたのは自分のほうではないかという錯覚に陥った。人差し指と中指が心臓になったかのように脈打つ。
その場に崩れ落ちなかったのはラッキーだった。抱っこをしている関係上、艶に見下げられるかたちになっていたから、私はこれ以上、自分の立場を低くさせるわけにはいかなかった。
「めちゃくちゃだね」
艶は舌なめずりをした。それから、絆創膏が貼られた指で私の顎に触れた。
「いままで俺に引っかかるのはおとなしいひとが多かったけれど、」
指が増えて、その一本一本が、私の顔中を揉んでいく……吐き気、と謎の快楽が腹の奥で蠢いていた。
「自分の気持ちには正直でなくちゃね」
艶の親指が私の涙袋を踏んだ……やはり、燃やし殺しておくべきだった。
「俺、ひとめぼれしたよ。そう言ったら、甘くて胃もたれしちゃう?」
私は、知った。
やはり、まだこの時は自分も一目惚れした事実を知らなかったのだが、魔法少女の第六感は性能がよかった。
城参艶が持つ魔性に気づいた。
「俺を、かわない?」
微笑むだけの子供に、私は見蕩れ続けている。
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