第二話 傾聴・涙・常日頃
負傷者を出したのは、私に合わせられない周りのせいだ。そこから生じたズレに左右された、過去の私のせいだ。
そう言い切れたら、どれだけよかっただろうか。
まだ寒さが幅を利かせていた冬。
その日の現場は遊園地だった。出現した〝敵〟は、たいして強くはなかったのだが、警備員が避難誘導に手間取っていた。結果、負傷者が出た。
私は、初陣ぶりに負傷者を出してしまった。
あの時は少々、冷静さを欠いていた自覚はある。
許せなかったのだ。
なぜろくに優先順位もつけられない新人未満を現場に配置していたのか。なぜ自分だけの安全を求める馬鹿の声ばかりが大きかったのか。なぜ誰よりも冷静でいなければならないものが泣きわめき尻尾を巻いて逃げ出したのか。
警備員は、この街では魔法少女の補助役といってもいい存在だ。街のあらゆる場所に配置されている警備員たちは、有事の際、魔法少女が力を発揮できる状況を作らなければならない。
避難誘導は初歩中の初歩。
それができないのならば辞めてしまえ。
……等々のクレームを言うために、私は〝敵〟を片付けたあと、問題の警備員たちが所属する警備会社に向かった。
乗り込んだ先で、社長は謝るばかりだった。口をひらけば「すべての責任は自分にあります」などとほざく後頭部に、私はますます苛立った。そして、ごうごうと燃えている私に油を注いだのが、艶だった。
「ここのひとらは、わるくないからね」
諭すように言われた私は、思わず両手を燃やしてしまった。比喩ではなくて、ほんとうに燃やした。
馬鹿にするな。
そんな当たり前のこと、重々承知である。
魔力がぐつぐつと煮えていくのが、はっきりわかった。この時、怒りを両手だけに留めた自分を、たくさん褒めてあげたい。
艶の服装は、よれたタンクトップと短パンという古めかしい格好だった。青白い肌には、わざとらしいくらいに包帯が巻いてあった。左頬にも大きなガーゼが張り付いていた。
傍らには、松葉杖。
黒いソファに座っている姿は、ちょこん、としていた。
「あなた、魔法少女の虹手鞠だよね。ほんものだ。会えてうれしいよ」
胸の辺りがざわつく声だった。アエテウレシイ……とは、聞き飽きている言葉だ。
私は両手の炎を振り払ったあと、艶に向き合った。
怪我をさせてしまった直接の原因は、私ではない。しかし、こちらに責任がないというわけではなかった。せめて自宅まで送る程度のことをしなくてはいけない──そう思っていたのに、気遣い心は一瞬で消えた。
「まぁ、俺は
艶の唇は、不気味な弓なりだった。子供特有の無邪気さなどなく、ただただ綺麗な弧を作っていた。涙袋と繋がりそうな口の端。そのわずかな隙間から出てくる声は、耳について離れなかった。油のような、べっとべとの猫なで声は不快だった。
しかも、この私を前にして他の魔法少女の名前を挙げるなどという愚行。
笑っている子供の、その薄い腹を蹴飛ばしたくなる気持ちを抑えるには骨が折れた。激情のままに怒りをぶつけられたほうがまだマシだ。
笑われるのは、屈辱でしかない。
私は真剣なかおを作った。このかおには、謝罪の意が小さじ一杯ほど混ざっているのだ。
「こちらの不手際で怪我を負わせてしまい、誠に申し訳ありません。お詫びにしようにもしきれません。何かご要望があればお申し付けください。この場に紫千振を呼ぶことも可能ですが……」
「ううん。そこまでしなくていいよ。紫千振も忙しいだろうし」
ゆっくりと首を振り、肩をすくめる。その動作に、私は、紫千振を重ねてしまった。ちっとも親しくない同僚とこの子供を、一瞬でも引き合わせてあげようと考えた自分の脳を燃やしたくなった。
両手が再び熱を持ち始める。ほんとうに、この時の私には余裕がなかった。いつ自分ごと爆発してもおかしくなかった。
「……ご家族とは連絡が取れているのよね。私が送るから、住所を教えてくれるかしら」
自ら眉間に指を突っ込んで着火する前に、私は話す相手を変えた。子供の笑みよりかは、大人の平謝りのほうがまだ耐えられる。そう思ったのに、また、違った。
「名前以外、わかっていないのです」
ついさっきまで肩を震わせていた
「……というと?」
私が尋ねると、彼女は顔を上げた。それから居心地がわるそうに、二の腕をさすった。トラックが通っているのか、机の上にあるペン立てがかたかたと鳴り始めた。
「私生児……ではありませんね。放置子という言葉も、適しません」
「伊地富社長、はっきりおっしゃってちょうだい。この子供は何者なのかしら」
面倒な予感はした。
不自然なほどまでに大人と喋り慣れている子供。
負傷しているのに泣きもせず笑っている幼い子供に、何もないほうが恐ろしいと思う。艶の、自分を弱く見せるような猫なで声に苛ついた理由も、自分の面倒な予感が当たるのならば説明がつく。
そもそも。
住宅街の中にある公園ならともかく、平日昼間の遊園地に子供が一人でいるわけがない。
「何者でもない、と言うしかありません」
伊地富社長の両眼には、恐怖のような色が宿っていた。
私が言葉を待っていると、彼女は深く息を吐いた。それは、体調を心配してしまうくらいに重苦しい呼吸だった。
「警察に電話してお名前を告げたら、なんとおっしゃったと思いますか。『あぁ、そいつはですね。お手数ですが適当な場所にでも放っておいてください。どうせ、死にゃあしませんから』」
面倒な予感は、当たっていた。
そして、気づいた。
自分のなかに生まれた、子供みたいな感情に。
負傷者が出る少し前、私は仕事中にも関わらずよそ見をしてしまっいた。
一人で歩いていたこの子供に──艶に、私は、見蕩れてしまった。
その理由は、いま思えば──季節が変わり、艶の境遇や生き方を知れば──当然の反応だった。
すべての原因を過去の自分に押し付けられないのは、いまもまだ見蕩れているからだ。
不覚にも目を逸らせなくなった。
この時はまだわけがわからず、違和感だけが引っかかっている状態だった。
でもまさか、魔法少女である自分が、ただの子供に一目惚れするとは、思いもしなかった。ただしこれは恋愛ではない感情だ。
その機微に気づいていなかった私は、伊地富社長を見ているしかなかった
「子供を、こんな深夜に放り出せるわけがありません。『お手数ですが』? 自分らに子供を放らせることが、手数? なぜ、あんな非道な提案が浮かぶのでしょうか。この街はそこまで腐ってしまったのでしょうか」
伊地富社長は頭を抱えた。首だけではとうてい支えきれない、といった、疲労困憊した姿だった。
「魔法少女さま、」
あくまでも、伊地富社長は、よわよわしく声を出していた。この時点でもう、私はある程度の覚悟を決めていた。
──さあ、これから面倒なことになるぞ。
過去の私へ。その予想、大当たりよ。
「虹手毬さま、」
組織をまとめる立場にある彼女でも、所詮、力なき一般住民だ。
「どうか、お助けください」
魔法少女は神ではない。ただ、哀れに思えば手を差し伸べるし、転びそうなら身体を支える。神のように赦しとかを与える立場ではないが、手助けはする。そこに認識の違いはない。しかし、それは広義的にみた『魔法少女』の場合。
私は助けない。
魔法少女・虹手毬は、そんな善き行いをしない。
しかし。
だがしかし。
困ったことに。
魔法少女という存在は総じて、涙が流れる音を無視できない性分であった。
目の前で祈る女性は静かに泣いていた。
うるさいくらいに。
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