第三章 微光
休日の朝、店の扉を開けると、
外の光に少し目を細めながら、父の声が聞こえた。
「おゆう、今日は荷物の整理も頼むぞ」
「はい、お父っつぁん」
明るい声を返して、棚の奥に重ねてある本を手に取る。
そのとき、ふと思い出した。
前に来てくれたあのお客さんのこと。
父と二人で暮らすこの小さな貸本屋には、
ときどき、ほんの少しだけ非日常が紛れ込む。
思い返せば、あの時も。
微笑みながら、本を渡した。
手が届かない棚の本も、わたしが取った。
その場面を思い出すと、
自然と頬が緩む。
――また、来てくれるだろうか。
心の奥で、かすかな期待が芽生えていることに気づく。
胸の内が、少しくすぐったい。
店の奥で、父が何か言っている。
返事をしながらも、視線は自然と入口へ向かっていた。
扉の音がした。
顔を上げると、そこに彼が立っていた。
背筋の伸びた立ち姿。
制服の肩章が、光を反射している。
以前よりも、少し大人びた印象に、
胸の奥がわずかにざわめいた。
「……こんにちは」
声が、思ったより小さくなる。
無意識に、少しだけ身をすくめていた。
「こんにちは」
それだけのやり取りなのに、
店内に、静かな間が流れる。
誰も悪くないのに、
どこか、距離がずれてしまったことを思い出す。
手にしていた本を、思わず握り直した。
足元の踏み台が目に入る。
今日も、彼の手を借りることになるのだろうか。
「……前と、同じ本ですか?」
自然に、言葉が口をついた。
彼は、ほんの少し微笑んで、首を振る。
「いいえ。今日は、別のものを」
その返事に、胸が小さく跳ねた。
わずかな期待と、ほのかな緊張。
気づかぬうちに、心の奥がそわそわしている。
小さな店の中。
言葉は多くないけれど、
互いの存在だけは、はっきりと感じられる。
――また、会える。
そう思うと、自然に笑みがこぼれた。
指先で触れる本の背さえ、
少しだけ特別に感じられる。
まだ、遠い距離。
それでも、心のどこかで、
あの人との日常が、
ゆっくりと紡がれていく予感がしていた。
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