過去を司る亀と、未来を司る亀が、時間を失った僕に教えてくれたこと

マスターボヌール

プロローグ:川辺の出会い

午前2時17分。


佐伯悠真は、コンビニのレジに立っていた。


客はいない。蛍光灯の白い光が、空っぽの店内を照らしている。冷蔵庫のモーター音だけが、低く響いていた。


悠真はスマホを取り出した。


SNSを開く。タイムラインをスクロールする。


最初に目に入ったのは、大学の同期の投稿だった。


「【ご報告】この度、独立して会社を設立しました!」


写真には、スーツ姿の男が笑顔で写っている。背景には、真新しいオフィス。コメント欄には「おめでとう!」「すごい!」の文字が並んでいた。


悠真は、画面を見つめた。


「……田村か」


大学時代、同じゼミだった男だ。特別優秀だったわけじゃない。むしろ、悠真の方が成績は良かった。


だが——今、田村は会社を経営している。


悠真は、コンビニのレジに立っている。


「……くそ」


呟いて、スマホをポケットにしまう。


27歳。フリーター。彼女なし。夢なし。


5年前には、想像もしていなかった。


大学を卒業して、就職した。IT企業の営業職。最初は「これで人生が始まる」と思っていた。


だが、1年で辞めた。


上司との関係がうまくいかなかった。数字を追いかけるのが苦しかった。「自分には向いていない」と思った。


その後は、派遣、バイト、派遣、バイト。


気づけば、27歳になっていた。


「俺は……何やってんだろうな」


誰にも聞かれない呟きが、空っぽの店内に消えていく。


悠真は、壁の時計を見た。


午前2時23分。


あと3時間弱で、シフトが終わる。


その後は、アパートに帰って、寝て、起きて、また夜勤に来る。


その繰り返し。


時間だけが、過ぎていく。


---


午前5時。


シフトが終わり、悠真は店を出た。


空はまだ暗い。東の空が、わずかに白み始めている。


ポケットから、スマホを取り出す。


LINEを開く。


未読メッセージ——ゼロ。


最後に誰かからメッセージが来たのは、いつだっただろう。


スクロールする。


「元気にしてる? たまには電話ちょうだいね」


母親からのメッセージ。3週間前。


既読をつけたまま、返信していない。


その下には、大学時代の友人からのメッセージ。


「飲み会やるけど、来る?」


半年前。これも、返信していない。


「……ま、いいか」


スマホをポケットにしまう。


誰も、俺を待っていない。


悠真は、いつもの道を歩き始めた。アパートまで徒歩15分。何も考えずに歩ける距離だ。


だが——


その日、悠真は足を止めた。


川沿いの道。いつもは素通りする場所。


川面が、妙に光っていた。


「……なんだ?」


近づいてみる。


川辺に、何かがいた。


最初は、岩だと思った。苔に覆われた、大きな岩。


だが——その「岩」が、動いた。


「は……?」


目を疑った。


亀だ。


だが、普通の亀じゃない。体長は2メートルを超えている。甲羅は深い緑色で、苔のようなものが生えていた。古い、古い、時間を纏った生き物。


「なん……だよ、これ……」


悠真は動けなかった。


亀は、ゆっくりと首を上げた。


深い、黒い目。その目が、悠真を捉えている。


「——見つけた」


声が聞こえた。


低く、重く、川の底から響くような声。


「お前を、ずっと探していた」


「……は?」


悠真は後ずさった。


「なんだ、これ。夢か? 寝不足で幻覚でも見てんのか?」


「夢じゃない」


別の声が聞こえた。


振り返る。


背後に、もう一匹の亀がいた。


こちらも巨大だ。だが、最初の亀とは雰囲気が違う。甲羅は明るい茶色で、複雑な模様が入り組んでいる。どこか軽やかで、未来を見通すような目をしていた。


「俺たちは、お前に会いに来たんだ」


茶色い亀が言った。声は明るいが、どこか切実だった。


「お前は、時間を無駄にしている。俺たちは、それを見ていられなかった」


「時間……?」


悠真は困惑していた。


「何言ってんだ。俺は普通に生きてるだろ。バイトして、寝て、飯食って……」


「それは『生きている』とは言わない」


緑の亀が言った。


「お前は、過去に囚われている。同時に、未来に逃げている。そして——今を生きていない」


「……」


悠真は、言葉を失った。


その言葉が、なぜか胸に刺さった。


「俺の名は、トータス」


緑の亀が言った。


「過去を司る者だ」


「俺は、タートル」


茶色い亀が言った。


「未来を司る者だ」


二匹の亀が、同時に悠真を見た。


「お前に、問いを与えに来た」


川面に、朝日が差し始めた。


二匹の亀の影が、水面に長く伸びていた。


悠真は、その場に立ち尽くしていた。


過去。未来。そして——現在。


すべてが、ここから始まる。

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過去を司る亀と、未来を司る亀が、時間を失った僕に教えてくれたこと マスターボヌール @bonuruoboro

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