第6話 感情の王

白雪姫が最初に狙うと決めたのは、七つの理を司る王の中でも、人の心、特に感情(Pathos)を支配する存在だった。


そして、その王の正体は、白雪姫の人生を狂わせた過去に深く根差していた。それは、かつて継母たる女王の傍らにあり、白雪姫の美しさを告げ、女王を嫉妬と狂気の淵に突き落とした「魔法の鏡」そのものであった。


鏡は、真祖の血によって王へと昇華し、現在は人の心を覗き込み、その愛、憎悪、欲望、そして最も深い恐怖を操る力を得ていた。鏡は、白雪姫の継母の感情を弄び、毒リンゴへと導いた黒幕であり、言わば、白雪姫が罪を犯す遠因を作った最初の存在だった。


白雪姫は、その王が、かつて女王が住んでいた山頂の古い城、今は「嘆きの城」と呼ばれる城であった。


夜の闇の中、分厚いマントで身体を覆い隠した白雪姫は、城へと続く荒れた道を一人歩いていた。彼女の身体は、吸血鬼の力で敏捷に動くが、感情は鉛のように重かった。


「感情を司る王……」彼女は冷たく呟いた。


城へ向かおうとする直前、王子の口づけによって活性化した吸血鬼の力が、彼女の耳に奇妙な音を拾わせた。それは、微かな、しかし聞き覚えのある「声」だった。


『おお、白雪姫よ。そなたは美しい……だが、今は違う。そなたは、血に飢えた罪人だ』


それは、魔法の鏡が、女王に向かって話しかけていた、あの響きだった。その声は、白雪姫の心の内に入り込み、彼女が最も恐れる記憶――七人のこびとたちの血の味を呼び覚まそうとする。


(この王は、私の罪を武器にするつもりだ。)


城門を前に、白雪姫は立ち止まった。彼女は、吸血鬼としての本能に抗うように強く唇を噛み締めた。血の味を感じるたび、彼女は自分がまだ人間であった頃の痛みを思い出し、吸血鬼としての渇望を打ち消そうとした。


彼女が持つ銀の短剣が、月光を反射して一筋の冷たい光を放った。


「償いは、ここから始まる」


白雪姫は深い息を吐き、感情を操る王が待ち受ける、記憶と狂気の城へと足を踏み入れた。彼女の心には、憎悪と後悔が渦巻いていたが、彼女はその感情さえも、王を討つための炎に変えようと決意していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る