新しい朝が始まる(2)

 水の入った重い桶を、こぼさないように抱えながら僕は自宅に戻る。

 既に朝食の支度を始めていた母がこちらを見て微笑むと、それにつられて僕も笑顔になる。

「おはよう!」

「おはようカイン。今日も水汲みありがとうね」

 いつも通りの朝。けれど、そのやりとりだけで僕の心は満足感に満たされていく。


 母は僕から桶を受け取ると、その水を使って料理を始めた。

「カイン、今日も悪いけど――」

「わかってる。お父さん起こしてくるね!」


 2階への階段を登り、自室の隣の部屋を開ける。そこにはいつも通り寝ているはずの父が――。

 あれ?今日はもう起きてる。


 父はベッドに腰掛け、ぶつぶつと独り言を――と、以前は思っていたが、これは"念話"という魔術だと最近知った。

 遠く離れた人とも会話ができる便利な手段らしい。

 神妙な顔で独り言を喋っている父に「もう少ししたらご飯できるからね」と小声で話しかける。

 自分の声が相手に届いてはいけないと思ったからだ。

 だが、父は笑顔になると「すぐに行くよ」と、普通のトーンで返してきた。

 どうやら相手に何を伝えるかは選択ができるらしい。


 リビングに戻って席についていると、少ししてから父が降りてきた。

 ちょうどそのタイミングで母が朝食を机に並び終える。

 3人が席に着くと、胸の前で手を組み"食前の祈り"を捧げる。


 誰に――?


 以前、誰に祈っているのかと父に訊いたことがある。

 それまでは食事を作ってくれた母にだと思っていたのだが、どうやら"女神様"に感謝の気持ちを伝える行為らしい。

 食事を作ってくれたのは母なのに不思議だなと思っていたが、最近ではそれに慣れて違和感を持たなくなった。


 食器を片付け終える頃には、完全に日が登っていた。

 母は仕事の仕込みを始めており、暖炉からは焼けたパンの香ばしい匂いが漂ってくる。

 その匂いと母の姿を見ていると、評判の良いパン屋を営む両親に誇らしさを感じる。

 もう少し眺めていたいところだが、そろそろ友達との約束の時間が迫っていた。

「行ってきます!」

 片付けを終えた僕は、待ち合わせ場所に向かおうと、勢い良く家を飛び出そうとする。

「カイン!パン忘れてる!」

 母の声で忘れ物を思い出し、テーブルの上に置いていた紙袋を慌てて掴む。

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

 僕は慌ただしく家を飛び出した。


 住宅街を抜け、宿泊用の建物や商店街を抜けた先に、直径150mほどの広場がある。

 中央に立つ女神像は日の出の方角を向いており、まるで太陽に祈りを捧げるように手を組み空を仰いでいた。

 広場の隅には観光客向けの露店が並び、今はその店を営む人々が開店に向けた準備を進めている。

 カインは広場に到着するも、友人たちはまだ来ていないようだ。


 僕は友達を待つ間の暇つぶしに、露店の準備が進む様を眺めていた。

 ぼーっとしていると「僕、ちょっとそこ通るからごめんね〜」と、声がして振り返る。そこには大量に積み上げられた荷物の壁が迫っていた。

 僕は荷物の脇に移動し、道を開ける。

「ありがとうね〜」と通り過ぎて行く若い女性は、自分よりも遥かに大きく積み上げられた荷物達を片手で軽々と押して去っていく。

 どうやら反重力魔術で持ち上げているらしい。

「すごいなぁ……」

 僕がその女性に見惚れていると、いつの間にか中央にある女神像を中心に人だかりができていた。

 女神様に"朝の祈り"を捧げる人たちだ。


 街の外には、魔王が召喚したと言われる魔獣が生息しているらしい。

 両親からも、結界の外には絶対に出ないようにとキツく言われている。

 そんな魔獣から襲われないよう、街や村は結界によって守られていて、それは女神様への祈りによって維持されているらしい。

 広場で朝の祈りを捧げている人々を見て、僕も真似して女神像に祈りを捧げた。

 手を組み、顔を少し下げ「今日も1日良い日でありますように」

 以前友人から「祈りは願い事じゃない」と言われ、じゃあ何なら良いんだろうと考えた結果、この言葉がカインの"朝の祈り"になっていた。


「カイン!おはよう!」

「やっぱりお前が一番か。今日も早いなー」

 声の方を振り向くといつものメンバーが揃っていた。


 カインの向かいの家に住む親友のロミオ。

 両親が商人らしく、大人になったらこの街を出て、大陸中を渡り歩く行商人を夢見ている。

 そしてアリス。

 家は広場を挟んで反対方向だが、気がつけば一緒に遊ぶようになっていた女の子。

 彼女は魔術の扱いが優秀で、来月から大陸で一番大きい魔術学院に特待生での入学が決まっている。


 僕は首にかけていた"魔獣の牙の首飾り"を指先でつまむとチラチラと振る。

 そうすると、二人も同じように首飾りをちらつかせた。

 3人で遊ぶようになって少しした頃、ロミオが「友情の証」なんて臭いセリフを吐きながら、3人で少ないお小遣いを出し合って買った魔獣の牙で作られた首飾り。

 いつしか、会った時にこれをちらつかせるのが3人の挨拶になっていた。

 ちなみに、民芸品として露店に売られていた物だが、他に身につけている人を見たことは無い。


 3人は首飾りの挨拶を交わすと、今日の計画を話し合った。

 今日はどんな楽しい出来事が起こるのだろうか。

 カインの心は期待に満ちていた。

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