世界の端でコーヒーを淹れる仕事

nco

第1話 世界の端にある建物

 目を開けたとき、天井は白かった。白い天井というのはそれほど珍しいものではない。問題は、その白さがどこか均一すぎることだった。塗装のムラも、染みも、経年の影もない。僕はしばらくそれを見上げ、次に自分がどこにいるのかを確かめようとしたが、身体はすぐには言うことを聞かなかった。


 起き上がると、部屋は簡素だった。ベッドと机と椅子と、洗面台がひとつ。窓はあるが、外の景色は見えにくい。ガラスが曇っているというより、曇りの向こうに何かがない感じだった。そういう表現が正しいのかどうかはわからないが、ほかに言い方が思いつかなかった。


 ドアを開けると廊下があり、廊下の先に階段があった。階段を下りると、広い一階に出た。カウンターがあり、棚があり、テーブルがいくつか置かれていた。喫茶店の内装に近かったが、店というほどの生活感はない。客の気配もない。音もない。


 カウンターの上に紙が一枚置いてあった。紙は真っ白ではなく、少し黄ばんでいた。そこに短い文章が書かれていた。


 **「ここでコーヒーを淹れてください。来る人に出してください。質問はしないでください。」**


 誰が書いたのかはわからなかった。筆跡は整っていて、感情がないように見えた。僕は紙を置いたまま、カウンターの内側に入った。引き出しを開けると、豆の袋がいくつか入っていた。深煎りと中煎りと浅煎り。銘柄の文字は見慣れないが、豆の見た目は普通だった。


 ケトルもドリッパーもあった。ミルは手回しのものだった。僕はとりあえず中煎りを選び、ミルに豆を入れた。回すと、豆が砕ける音がした。妙に現実的な音だった。こういう音は、どこでも同じなのかもしれない。


 お湯を沸かし、粉をセットし、ゆっくり注いだ。蒸らしの時間を少し長めに取った。理由はない。湯気が立ち上り、香りが空間に広がった。それだけで、ここが完全に異常だという感じは少し薄れた。異常は、香りの前ではいつも少し遠のく。


 出来上がったコーヒーを、自分のために一口飲んだ。苦味と酸味があった。良いとも悪いとも思わなかった。味は味としてそこにあった。僕はカップを置き、店のような空間を見回した。時計はなく、時間の手がかりもない。窓の向こうは相変わらず曖昧だった。


 しばらくすると、入口のベルが鳴った。ベルはどこにも付いていないはずなのに、確かに音がした。僕はカウンターの外側に出て、入口のほうを見た。扉は最初から開いていた。そこに、人が立っていた。


 その人は年齢がよくわからなかった。服装は旅人のようでもあり、ただの作業着のようでもあった。目だけが妙に疲れて見えた。彼は僕を見ると、軽く頷いた。それが挨拶なのか確認なのかはわからない。


「コーヒーはあるか」

「ある」

「じゃあそれを」


 僕はカウンターの内側に戻り、もう一杯淹れた。淹れ方はさっきと同じだった。彼は椅子に座り、カップを受け取ると、すぐに飲んだ。熱さを気にしていないようだった。飲み終えると、彼はテーブルの上に小さな金属片を置いた。


 それは鍵のようにも見えたが、鍵穴に入る部分がなかった。鍵というより、何かの部品のようだった。彼は何も説明しなかった。僕も聞かなかった。紙に「質問はしないでください」とあったので、聞かないほうが自然だった。


「ここは端だ」

 彼はそう言った。

「端?」

 僕が聞くと、彼は少しだけ口角を上げた。

「端だ。ここより先はない」


 それが比喩なのか地理の話なのかはわからなかった。彼はそれ以上を言わず、立ち上がり、扉のほうへ向かった。扉の向こうは見えなかった。見えないというより、見ようとした瞬間に視線が滑る感じだった。


 彼が出ていくと、ベルがまた鳴った。僕はテーブルに残された金属片を見た。指で触ると冷たかった。冷たさは現実的だった。僕はそれをカウンターの下の引き出しに入れた。なぜそうしたのかはわからない。僕はコーヒーをもう一口すすり、窓の曖昧な外を見た。


 外に何があるのかは、まだわからなかった。

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