第3話・Dクラス

 入学案内に従い、学習エリアに向かった。生徒の流れについていき、Dクラスの教室は、難なく見つかった。

 真新しい廊下にAクラス、Bクラス、Cクラス、Dクラスと横並びになっている。やはりこの辺りは、一般的な高校と大差無いようだ。

 知らない街で知っているチェーン店を見つけたときのような、ちょっとした安心感を覚えながら、クラスの扉を引く。

「うおっ」

 室内は、入学したばかりとは思えないほど淀んだ空気をまとう人達と、新入生らしいキラキラとしたやる気をまとう者達に、大まかに二分されていた。

 おそらく、先ほどのクラス掲示でダメージを喰らったものと、そうで無いものの違いだろう。

 ここで単純に、数字が低いものが落ち込んでいるのだ、と考えてはいけない。おそらく実態はその逆だ。

 数字が一番低い、フォロワー0のもの達がやる気に満ち溢れた状態であり、Dクラスの中では上位の、フォロワー1以上99以下のもの達がどんよりとした空気を放っているはずだ。

 人間、始める前は希望に満ち溢れ、初めて少しすればその実態がわかり、壁を実感するのである。その壁を、入学早々学園側からご丁寧に突きつけられた形である。

 机の上に氏名と番号が書かれた紙を見つけて、自分の席を探し始める。ちなみに番号はさすがにフォロワー数ではなく、出席番号のようだった。

 配置は真ん中ちょっと右寄りの一番後ろ。入り口に近いところはネックだが、背後に誰もいないという、なかなかの幸運立地だった。

 カバンを下ろし、席に着く。ほっと一息ついたところで、嫌な視線に気がついた。そちらに目線を向けると、サッと視線を外される。明らかに見られていた、ということだ。

 ……一体なんだ?

 特にこれといった外見的特徴のない普通の高校生3人組で、手には各々最新式のスマートフォンを持っている。ちらっと見えた画面にはギガチューブが映っているようだが……。彼らが何を見ているのかはっきりとは分からない。周囲を何気なく見回すと、似たような反応を示す他の生徒もいることに気付いた。どうやら、彼らも同じ動画か何かに注目している様子だった。

「んんん???」

 なんだか異様だ。生い立ち上、人の視線を集めたり、注目されることには慣れている。

 その経験から直感的に、どちらかといえばネガティブな好奇心や、嫌悪による視線だと感じられた。しかし、そんな視線をぶつけられる理由がない。……ないはずなのだ。

 もしや、生い立ちがバレている?

 鋭い痛みが心臓に刺さったような錯覚を覚える。 

 いや、もしそうなら、視線はもっと激しいものになるはずだし……。

「あ」

 考えを巡らせて、思い当たることが一つあった。先ほどの生徒達が手にしていたのと同じ、最新型のスマートフォンを取り出す。

 このスマホ、実は学園から支給された特別製である。独自のアプリケーションなども入っているが、今回はそれらを見送り、ギガチューブのアイコンをタッチする。

 検索ボタンをタップして、みゅげ、と先ほど教えられたアカウント名を入力する。人気動画が検索結果に表示される。

 どうやら、メイクやファッションを紹介したり、お悩み相談のLIVE配信などを行っているようだ。女性インフルエンサーらしいキラキラした配色と、思わず目を引くタイトルの中にも、どこかオリジナリティが感じられるサムネイルを見送って、動画を最新順に並べ替える。

 トップになったのは、みゅげが投稿した動画ではなかった。『みゅげちゃま泣いてる!? #未来創造インフルエンス学園 #SNS学園 #入学式』と、タイトルにみゅげの文字があり検索に引っかかったのだ。

 出てきたショート動画のサムネイルには、見覚えのある男女が写っていて、思わず天を仰いだ。

 予想が的中した喜びと、アップロードを決行した大馬鹿者への憤りが1:9の割合ぐらいで湧き上がる。

 内容を確認しようか一瞬迷ったが、ポケットにスマホを戻した。見なくても、分かっている。さっきあったばかりの出来事だから。

 坂道で俺と佐々木鈴蘭が向かい合って、俺が彼女を知らないと良い、彼女は涙を流して去っていく。その様子が写し出されたものだろう。

 その動画が、どう編集され、加工されているのか、気にならないといえば嘘になるが、それを知ったところでどうしようもない。

 友達100人できるかなと、砂糖菓子のような夢を描いてこの場所にやってきたわけではないが、正直、最悪と言っても良いスタートだろう。

 この動画がどれほど拡散されているか、確認する。さっきの今で3000回近く回っていた。開始1時間以内の再生数が5000を越えればバズるかもと言われるギガチューブの世界で、かなり好調なスタートだ。

 現段階で、このクラスにこれほど視聴者がいるのは、タイトルにみゅげの名前や、この学園の名前が入っていた為だろう。一人視聴者ができてしまえば、口コミで広がっていく可能性も高い。

 ……友達、1人くらいは欲しかったんだけどな。

 右を見ても、左を見ても、俺に声をかけてきそうな人物はいない。なんなら、遠巻きに距離を置かれている。

 見回して分かったが、すでに何グループか出来ていた。

 今日からこの学園に入る新入生、という立ち位置は同じはずなのに、このスタートダッシュの差は何なんだ……。だれか、俺と同じようなボッチはいないのか。

 そんな一縷の希望を抱きつつ、もう一度じっくりと教室内を見回してみると、いた。

 左奥、一番前の角席だ。

 一人ぽつんと、席に座っている男子生徒。

 ただ、彼を自分と同じボッチと判断するのは、後ろ姿だけでもはばかられた。

 美しい金髪で、広い背中は明らかに筋肉が盛り上がっており、椅子には深く腰をかけ、何なら足を伸ばして机に乗せている。なんというか、テストステロン値が高そうな人物だった。

 声を……かけるのか……あれに……?

 いやしかし、人を見かけで判断してはいけない。

 かくいう俺自身も、鏡で自分をみれば、人生に絶望したかのようなジト目が特徴的だが、こんなにも心には希望が溢れているのだから。いざゆかん、ボッチ脱却の冒険へ。

 妙な理屈をこねて立ち上がり、まっすぐ迷わず、件の男子生徒の元へと向かう。きっと彼だって、少し会話するぐらいの友人未満の知人を求めているに違いない。新学期初日。ひとりぼっちで緊張しないわけがないのである。成るんだ、俺が彼の救世主に!

「…………や、やあ」

 背後から声をかけて、正面に回る。返事はなかった。というか、反応もなかった。

 男子生徒は目を閉じていた。口に、薔薇の花をくわえて。

「………………」

 ざわっと、空気が揺れるのを感じた。

「おい……アレに行ったぞ」

「どんな勇者……あっ! さっきのみゅげちゃま泣かせ野郎じゃねぇか!」

 うん、彼の扱いと俺の扱いが大体察せられたな。最悪だ。

 とりあえず、目の前のこの男は放っておいて、そっと離れよう。幸い、こちらには気づいていないようだしな、うん。

「あ! 逃げたぞ!」

 逃げますよ、そりゃ。

 敵前逃亡ならぬ、友前逃亡を見事に成功させた俺は、着席。カバンから文庫本を取り出して、読書に勤しむフリをすることにした。

 こうして時間が過ぎるのを待って、十数分。ようやく、待ちわびた教師の姿が現れた。

「は〜〜い、座れぇ〜〜」

 前の扉からフラッと現れた成人女性は、明らかにやる気のない仕草で手を叩くと、教壇に立った。そんな声かけでも、新入生には効果があるらしい。グループが解散していき、各々、自分の名前が書かれたテーブルへと着席していく。

 クラス中の注目が、成人女性に向かう。彼女は面倒そうに、ボサボサの黒髪を掻き上げる。

 心底嫌そうな表情を浮かべた後、黒板に向き直り、チョークを走らせた。

『南野 瑠璃』

 流れるような、まるで色紙に描くサインのような文字だった。

「はい、今日からこのDクラスの担任です。大〜嫌いなのは〜、トラブルと愚痴〜、なので、1年間あまり問題を報告して来ないよーに」

 妙な節をつけた担任の自己紹介があり、書かれた名前とこの人物とがようやく結びついた。途端、教室に波のような衝撃が広がる。

「嘘……だろ?」

 どこかの席で男子生徒がつぶやいた。その声はやがて、すすり泣きへと変わった。

 うん、その気持ちはちょっとわからないでもない。

 南野瑠璃。

 それは、俺たちが小学生の頃に大ブレイクしていたギガチューバーの名前だ。るりりという愛称で知られ、可憐な容姿とスーパーモデルのような体型で、歌い、踊り、新世代アイドルとして大活躍していた。ギガチューブの世界から飛び出し、テレビにも出演しており、老若男女にファンがいたはずだ。

 ある日彼女は突然の引退を発表し、以降、表舞台から姿を消していたが……。

「ちょっとちょっと、面倒くさいから泣かないでよ。現実を受け入れてよね……って、まあ良いか」

 再びボサボサの黒髪をガリガリと掻きむしる。その仕草はどう見ても、喪女。幸い一番後ろの席だからまったく見えないが、フケが飛んでいたっておかしくない。

 スーパーモデルのような体型も、しっかり普通に……ちょっとぽっちゃりした感じの中年女性に仕上がっていた。

 ただ、南野瑠璃だと言われてしみじみと顔を見てみれば、面影は確かにあった。パッチリとした瞳に、すっと通った鼻筋。桜色の唇。実際今でも、痩せればかなり美人の部類なのかもしれない。

 そんなやる気ゼロな女教師は、


「どうせ、このクラスの生徒、これから半分になるんだからね」


 さらりと、とんでもない爆弾を教壇から落とした。

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