第3話 由来も聞いてくれないと。

 僕が、自分が転生者であることに気付いたのは結構最近のことだ。


 僕はこの五の村の隣村である、四の村で生まれた。

 日本では成人は二十歳――十八歳だっけ?――だけど、こっちの世界では十五歳で成人とみなされる。

 成人した僕は四の村の村長の紹介で、五の村の門番に就職が決まった。

 隣村同士、お互い閉鎖的にならないように、そうやって人材交流みたいなことをしてるんだよね。

 で、僕は「行ってきまーす」って両親と妹に別れを告げて、四の村から徒歩で丸一日かかるこの五の村まで旅をしてきたんだけど。


 その途中で、突然思い出したんだ。

 前世ってやつを。

 きっかけは、木の根っこにつまづいて転んで頭を打ったこと。

 ごん、という衝撃とともに、脳の中にここじゃない別の世界の記憶がばーって流れ込んできて。

 な、なにー。そうか、思い出したぞ、僕は日本人だったんだー。みたいな。


 そっちの世界でも、僕の名前はカタルっていったんだけど。あ、もちろん漢字で書いてたよ。可足。足るべしって意味らしい。

 まあ、そんなこんなで僕の中では、今の世界のこれまでの十五年間の記憶と、前の世界での記憶とがごっちゃになってしまって。

 それで、今では日本語もこっちの世界の言葉もごっちゃになってるというか、両方とも生まれながらの母語なので、前の世界で日本語を喋る感覚でエルクたちと喋っても、普通に通じる。

 もちろん、納豆とかおでんみたいな固有名詞はこっちの言葉にはないわけだけど。

 ことわざとか慣用句みたいなのは、ニュアンスで通じてる。


 ちなみに前世の僕は、勉強も運動も取り立てて得意ではないごく普通の学生生活を過ごしたあとで、ちょっとブラック気味の会社に勤めてた。

 年齢は三十五歳だったかな。気楽な独身で、給料はまあ多くはないけど、暮らしていけないことはないくらい。

 趣味といえば……自作のオリジナル世界の細かい設定をひそかに作り続けてることだけ。誰にも秘密だったけどね。

 最後に覚えてるのは、長い残業の後に乗った終電間近の電車で、前の席が空いて、やっと席に座れた、と思ったこと。

 僕の記憶は、そこまで。

 そのときに死んじゃったんだろうか。それとも、この世界はあの電車の中の僕がずっと見てる夢なんだろうか。その辺はよく分からない。

 まあとにかく僕は今、こっちの世界で十五歳の成人したての青年(日本なら少年だよね、間違いなく)として暮らしてる。

 見た目は、前世の僕よりも随分と華奢で、背もあまり高くなくて……うん。一言でいうと、ショタっぽい。そんなだから、初仕事の日にはエルクやビットにすごく心配されたもんだよ。

 まあでも、自分の見た目については、前世の記憶を取り戻す前から、ずっと気に入ってるよ。


 そういうわけで、しがないサラリーマンだった僕は、しがない門番の僕に転生した。

 転生者であることを思い出して、得したことっていうのは今のところ別にない。

 逆に困っていることは、それまで気にならなかったこの世界の細部のいろいろな粗が、元日本人の目から見るとちょいちょい気になってしまうことだね。

 まあ、そのうち慣れるだろうとは思ってたんだけど。



 翌日の仕事帰り。

「明日は夜勤だからな。朝、いつも通りに来るんじゃねえぞ」

 別れ際、エルクが僕にそう声をかけてきた。

「そんで、夜勤明けの休日はみんなで滝にピクニックだからな」

「オッケー、エルク。分かってるよ」

 僕は手を上げて、エルクとハイタッチして別れた。

 だけど、今日はいつも通りには帰らない。

 帰り道の途中で、昨日と同じベンチに座って待っていると、夕暮れの道をぽてぽてと三毛猫が歩いてきた。

「あ、神様」

 僕が声をかけると、三毛猫はごく自然に、三毛猫だったことが僕の目の錯覚だったみたいに、黒猫に変わっていた。

「三毛を可愛がる村人も多いにゃ」

 黒猫は言い訳するように言った。

「だから、ずっと黒猫というわけにもいかないにゃ」

「いいよ、別に三毛猫のままで」

 僕は言った。

「三毛じゃちょっと雰囲気が出ないなんて言ったけどさ。三毛はみんなに可愛がられてるんだから」

「いや、世界の雰囲気は大事にゃ」

 黒猫はそう言いながら僕の足元までやって来ると、

「でもまあ、お前がそう言うにゃら」

 とかなんとか言って膝に飛び乗ってくる。その時には、もう三毛猫に戻っていた。

 なでなでなで。

 ごろごろごろ。

 とりあえず挨拶代わりに首周りを撫でてやると、神様(仮)は気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 しばらく撫でていると、猫はそのまま眠りに就きそうになった。

 僕が慌てて揺さぶると、猫は「はっ!」と目を覚ました。でっかいあくびをした後で、やっと今日の用事を思い出したらしく、僕の顔を見上げる。

「滝の名前、決めてきたにゃんか?」

「うん。決めてきたよ」

 僕はそこで言葉を切って、息を吸い込む。

「ケシュテの」

「もったいぶるにゃ、早く言えにゃ」

 僕の言葉は、猫の言葉とかぶった。

「ん?」

 猫が耳を動かす。

「今、なんか言ったにゃ」

「滝の名前を言おうとしたんだよ。ちょっと黙って聞いててくれよ」

「にゃに、神様相手に失礼な」

 猫は右の前足を上げて抗議してきたけど、すぐにどうでもよくなったらしく、膝の上で香箱座りの体勢になった。

「じゃあ言うにゃ。さっさと言うにゃ」

「はいはい。僕が考えてきた名前は」

 じゃかじゃかじゃかじゃかじゃか。

 頭の中でドラムロールを鳴らす。

 じゃかじゃかじゃかじゃか、じゃーん。

「ケシュテの滝です!」

「ケシュテの滝……」

 猫はちょっと空を睨むようにして考えてたけど、すぐにするりと僕の膝を下りた。

「なんかいい感じの響きじゃにゃいか。じゃあそれで行くにゃ」

 そう言って立ち去ろうとする猫の身体を僕は両手でがっしりと捕まえる。

「な、何をするにゃ」

「名前だけ聞いて終わりはないでしょ。由来も聞いてくれないと」

「由来?」

 猫はめんどくさそうに僕を見る。

「お前が適当に決めた名前にゃろ、由来も何も……」

 そう言いかけた後で、仕方ないからお義理で聞いてやろうと思ったのか、はたまた僕の目に宿る並々ならぬ情熱の炎に気付いたのか、それは分からないけど、神様(仮)は僕の手からするりと逃れた後で、また膝に飛び乗ってきた。

「まあいいにゃ。一応聞いてやるにゃ」

 猫は投げやり気味に言った。

「手短に話すにゃ」

「分かった」

 僕は頷く。

「僕はまず考えたんだ。滝の名前の由来っていうのは、例えば日本では大きく三つに分けられるって」

「にゃっ?」

「一つは、“滝のある場所の地名をそのまま使っているもの”。那智山にある那智の滝とか、茨城県の袋田にある袋田の滝とかがそうだよね。二番目に、“宗教的な用語から採られたもの”。華厳経から名づけたといわれる華厳の滝とか、不動明王に由来する不動の滝とかがそうだ。そして三つ目は、“滝自体の特徴から名づけられたもの”。このタイプには、白糸の滝とか吹割の滝なんかがある」

「待て待て。待つにゃ」

 猫が僕の話に割って入ってきた。

「え? 急にどうしたんだい」

「いや、それは百パーセントわしのセリフにゃ」

 三毛猫は、またちょっと背中の毛を逆立てている。

「お前、滝の名前の由来を話すんじゃなかったかにゃ」

「うん、だから話してるじゃないか」

 僕は猫の背中をふぁさふぁさと撫でる。

「だから聞いててよ、いいかい、続けるよ」

 猫は何か言おうとしたけど、何も言わずに座り直す。

 では、続けます。

「それでは、今回の場合はどうすべきか。一番目の、地名をそのまま使う方法は全然ダメだ。なにせ、村の名前が五の村だからね。五の村の近くにあるから“五の滝”なんて名前を付けるくらいなら死んだほうがましだね」

 猫が耳をピクリと動かす。

「じゃあ、二番目の宗教的な用語から採るっていう案だ。これは結構雰囲気のある名前が付くものなんだ。宗教的な用語って、やっぱり神秘的な雰囲気があるし、名前の背後にある重厚な歴史的エピソードに思いも馳せられるものだからね。だけど、これも残念ながらダメだ。なにせこの世界には、宗教と呼べるほどのものがない」

 僕が肩を落とすと、猫も肩を落とす。

「それでもどうにか、この世界の宗教的用語に当てはめて名前を考えてみようとしたんだ。だけど、捻り出せたのはせいぜい“ありがたい滝”とか“神様の滝”とか、そんな名前しかなかった。ダサい。これはダサいよ、さすがに。そもそも、神話的な背景を持たない宗教的名前は、かえって薄っぺらく感じるし、むしろ怪しい新興宗教的な胡散臭さ まで漂う。これは、あの滝を名所として大事にしている五の村の人たちに対して申し訳ないじゃないか。そう思うだろ」

「ま、まあ……そうかにゃ」

 猫は曖昧に頷く。

「そうすると、必然的に三番目の、滝自体の特徴から名づけるということになるんだよ。じゃあ、あの滝の特徴は何か。僕は昨日神様と別れたあとで、一人であの滝まで行って特徴を確認した」

「にゃっ?」

 猫が目を見張る。

「あの後で一人で滝まで行ったにゃ?」

「行ったさ!」

 神様(仮)の言葉にかぶせ気味に、僕は答える。

「だって、いい加減な名前を付けるわけにはいかないからね! 一晩を滝のほとりで明かして、今朝家に帰ってきたんだ。おかげで今日の仕事は眠くてしょうがなかったよ!」

「にゃ……」

「僕が目を付けた、あの滝の特徴は二つだ!」

 僕が指を二本立てると、猫は少し嫌そうに身を引く。

「あの滝って高度差というか、落差はそんなでもないんだけど、水量が多いから、滝自体の迫力は結構あるよね。それと、季節によって水量が増減する。ちょうど今は、水が少ない時期だよね。で、水が減るとどうなるか。滝の上の方に岩が出っ張った部分があるんだけど、そこから水流が二つに分かれるんだ」

 僕は思わず笑い声を漏らす。

 興奮してきたせいで、勝手に顔がにやけてきてしまった。

 猫はもう何も言わずに僕の顔を見ている。

「主流と支流に分かれる。それが一つ。もう一つは、滝つぼの近くに生えている、葉の赤い草だ」

「ああ、赤い葉の草にゃ。生えてる生えてる」

 猫が言う。

「それがどうかしたにゃ」

 ふふふ。

「その二つを合わせて、僕が導き出した由来は、これだ!」



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