第7話 あなたの顔をみせて

「わあ、ここが噂の井の頭公園」

「噂の」

「テレビで見ました、縄文土器が無限に出るって」

「えっ?!」

「掘れば掘るほど、出るらしいですよ」

「えー、そうなの?」


 私は気が張っていたのか、凝っていた肩を軽く回した。

 今日は日曜日。

 昨日の夜、笹木さんと会ったあと、どういう顔をして凌と話したらいいのか分からなくなった。

 車を動かしたのは良いけれど帰る気にならなくて、夜景が見える公園で二時間ほど時間を潰してから帰宅した。

 凌はもう眠っていて、どうしようもなく安心した。今朝起きたらもう凌はいなくてLINEに『友だちと出かける』と一言入っていた。

 菜々美さんがいるからだと思うけれど、凌がいなくて心底安心した。

 そして朝ご飯を食べたあと、菜々美さんと病院に行き、点滴を受けてから井の頭公園を歩いている。

 私が住んでいるのは吉祥寺からバスに乗ったところにあるマンションだけど、たまにひとつ前の駅で降りて、家まで歩いている。

 特に五月のこの時期は緑が深くて気持ちが良い。

 菜々美さんは右手を青空高くに伸ばして、


「鷹」

「鷹?」

「江戸時代にここで鷹を飛ばして狩りをしてたんだって。今は鷹は飛んでないけど、空も土も、きっと水も江戸時代と同じ。そんなの楽しくないですか?」

「……じゃあ逃げなきゃね」

「そう、逃げないと! 鷹に狩られます。わあ、気持ちが良い」


 そう言って菜々美さんは歩き出した。

 歌詞も自分で書いている歌手……そう笹木さんに聞いて菜々美さんの不可思議な言動にすべて納得がいく。

 菜々美さんはいつもここにいるのに、ここにいない。

 今は鷹になっているのだろう、気持ち良さそうに両手を広げて歩いている。

 私は、私という世界に軸足を置いていて、ここから動くことはない。

 自分の世界が一番心地よく、他に世界があると知っていても、そこから出る必要もないと思っている。

 そう思って生きてきたけれど、菜々美さんと歩いていると少し違う世界が見えてくる。

 菜々美さんは両手を広げて歩きながら、


「鷹は視力が良いんですよ。高い場所から全体を見下ろして風に乗って飛ぶの気持ち良いだろうな。だってすごく大きな羽だもん。風を受けてずっと浮かんでいられる」


 そう言って揺れる葉に声を乗せるように軽くハミングして歩いている。

 菜々美さんは点滴が身体に合っているようで、顔色も戻り、脱水状態からは抜けられたようだ。

 なにより酸っぱいトマトを食べているとつわりがかなり楽なようで、元気になってきた。

 体力が著しく減っているので、少しでも散歩しましょうというのは言い訳で、私は家ではない所で菜々美さんと話したかった。

 私は鞄からフライヤーを出して見せながら、


「セブン?」


 と呼びかけた。

 菜々美さんは「?!」と目を丸くして私のほうを見て、


「ちょっとまってください、えっ、ちょっとまって!」

「菜々美さん? 今歌っていたのはどっちかしら」

「え、ちょっとまって、どうしてどうして?! 待ってそれ見せて」

「あはははは」


 私はいつもこんな風に人をからかったりしない。

 笹木さんと話す時も、頭はしっかりしていた。

 きっと人は鏡。私は今菜々美さんと話しているからこうなのだ。

 菜々美さんは私からフライヤーを奪い取り、


「えっ?! 最初から私を知ってたとか?!」

「まさか。大学の後輩が音楽が好きで。リボンマートで働いていて先週ライブに出演するはずが出てなかった子を知っていただけ」

「あーー、しまった、連絡してませんでした。そうだ。家を追い出されてグチャグチャで。あとで電話します」

「今」

「えっ?!」

「今しなさい。連絡はあとでするのは忘れるの。今すぐよ」

「あっ、はい……」


 菜々美さんはスマホをいじって電話をかけはじめた。そしてリボンマートをクビになったこと、家を失ったこと、妊娠したことを伝えていた。

 私はきっと頭のどこかで、セブンが菜々美さんだとしっかりと聞きたかったのだ。

 それを横で聞きながら、フライヤーという異次元と、菜々美さんがやっと結びついた。

 横で聞いていると「だったらうちで歌いながら働きなよ」と言ってくれているようだったけど、菜々美さんは「今千葉にいなくて。とりあえず産んでからまた連絡させてください、すいません」と頭を下げていた。そして電話を切って私の方をみて、


「ありがとうございました。不義理をして、歌うところを無くすところでした」

「ファンの人が心配してた。産んだらまた歌ってほしいって」


 私がそう言うと「ファンの方! わあ」と嬉しそうに口元を両指で押さえて、でもじんわりと分厚い布が水に落ちて染みていくようにゆっくりと真顔に戻って自分のお腹に触れて、


「……どうだろ。歌はもう無理かも。私これからひとりで生んで、ひとりでこの子を育てます。歌ってる時間なんて無いかもしれません」

「どこでも歌は歌えるじゃない」

「それは仕事があって、地に足が付いてるから言える言葉です。どこでも歌は歌えない。狭いアパートで歌えば怒鳴られて、深夜の公園では酔っ払いにつばをかけられます。ライブ会場だって騒音で訴えられて日々消えて行く。どこでも歌える人は自分が特別な階級だって気がついてない人だけ」


 特別な階級だと言われて少し苛立ち、


「私……謝る必要、ある?」

「ないです。私と詩織さんは違う世界を生きてるから、違う見え方をします。誰も悪くない、そういう話」


 そう言って菜々美さんは気持ち良さそうに空を見上げて歩いた。

 私は菜々美さんを後ろから見ながら悩んでいた。

 凌のことをどこまで聞くべきか。

 凌には……なにひとつ聞けない……ううん、否定されても、肯定されてもイヤならば、黙っているべきだ。

 私はずっと考えていた。菜々美さんは凌の子どもを妊娠したといってうちに来た。

 凌に妊娠させる精子はない。たぶん別の男の子どもだろう。ただ……『妊娠させてなくても、セックスした可能性はある』と。

 本当に菜々美さんを妊娠させた男は逃げたのだろう。だから安定した職業で、お金を出してくれそうな凌のところにきた。

 その流れだろうと私はほぼ確信している。

 凌に……菜々美さんとセックスを、本当はしたのか……聞くのが怖い。

 私を抱けなかった間に菜々美さんを抱いていたと考えると心臓が痛くて動けなくなる。

 イヤだ、絶対にイヤ、聞きたくない知りたくない、まっすぐにそう思う。

 それでも明日には菜々美さんが千葉に行くタイミングで聞かないと、もう一生「これを聞けない」。

 私は顔を上げて、


「ライブ後に、凌と菜々美さんが会ってたのを、その子が見てる」


 そう言うと菜々美さんはくるりと振り向いて私の方を見て、


「リボンマートの相談ですね、それは。あの……本当に……もう謝ります、すいませんでした」

「え?」

「ここまで親切にしてもらったんで本当のことを言います。私あの時期、他の男ともセックスしてて、凌さんの子だなんて言い切れないんです」

「えっ?!」

「絶対に凌さんの子だと思い込んで来ちゃいましたけど、他の男の子だと思います。私、凌さんに精子が無いって知らなかった。それに詩織さんがここまでそういう事に詳しい人だってことも」


 そう言って菜々美さんは私を見た。

 いやでもちょっとまってほしい。

 やっぱり残るのは……。


「凌とは、した、のは本当?」

「しました。何度も。しましたよ」

「そ、う」


 もうそれしか言えない。

 逆に他の男の子どもかも知れないまで冷静に言われてしまうと、菜々美さんの精神はおかしくないのかも知れない。

 本当に凌として、子どもができたと思って乗り込んで来た。

 でも精子がないなら、他の男かも。

 筋が通っている、変じゃない……というか、私が想定していた通りの言葉を言った。

 そうなるとシラを切り通している凌のほうが最初から嘘をついていることになる?

 菜々美さんがお金になりそうだと思って凌のところに来ただけで、それを取り繕うために言っている可能性は?

 一度そう言って家に来てしまったから、最後まで言い逃れできないと思っているとか?

 ……でもそんなことする必要あるだろうか。

 私を抱けなかった凌が、菜々美さんとはしていた……?

 ということは、他にも同じようなことをしているかも……今日も友だちに会うって言ってるけどそれは本当だろうか。ひとつ疑うとすべて怪しく見えてくる。

 私はベンチに力なく座った。


「……もう分からない」

「ねえ詩織さん。鷹って太陽の位置がわかるんです」

「え?」


 私がそういうと、菜々美さんは手を空にかざして、太陽を手の甲で遮る。

 さっきまで見えていた太陽が見えなくなって、細い広がった掌が黒い葉のように空に浮かぶ。

 まぶしくても目が離せなくてそれを見ていると、菜々美さんはその黒い葉をヒラヒラと舞わせて、 

 

「太陽を背中にして……」


 そう言って私の前にその手をスッと私の顎下に持って来て、


「見えない死角から一気に背骨を折る」


 そういって私の顎に触れて持ち上げた。そして指先で私の顎下をすうっと撫でた。

 いつ掌が降りてきたのか、いつ顎の下に手を置かれたのか、いつその指先が私の顎を貫くのか分からずたじろぐ。

 菜々美さんは小さい首を傾げて、


「それでも普段は池で水遊びするような可愛い子なんです。でも獲物を見つけたら目を離さず絶対に捕まえて殺す」


 そう言って私の顎下から手を戻して、さっき黒い葉のようだった掌をぐっと強く握る。

 ゆっくりと歩きはじめながら、


「誰だって二面性はあります。詩織さんは信じたほうに足を置けばいいんです。太陽を背に背骨を折る必要はない。詩織さんは太陽でいてほしい、こんな私にしてくれる詩織さんが大好きです。本当に素敵なひと、私人生でこんなに優しくされたことないです」


 そう言って菜々美さんは私の手を柔らかく握った。

 さっきは不気味な黒い葉だった手が、今度は柔らかくてお湯の中のように温かい。

 これはきっと菜々美さんなりに「知らなくていいこともある」って伝えている。

 言葉が独自で、自分の世界を構築してるから分かりにくいけれど。

 そう思っていると私をまっすぐに見ていた菜々美さんの表情がぐなりと曲がって私は驚く。


「?! どうしたの?」

「……ラーメン屋が近くにあります……か……? 匂いがして……気持ちわるくなってきました」

「?! え、分からないけど、丸井裏に豚骨ラーメンのお店があるわ。でもここからかなり遠いけど」

「ちょっと……ダメになってきてるかも……」

「帰りましょう」


 私は菜々美さんの手を繋いで歩き出した。 

 菜々美さんは私の腕を引き込むように、甘えるように歩き始めた。

 私は一人っ子だし、こんな風に甘えて来る女の子を嫌っていた。なんで女同士で手を繋いだりするのだろうと。

 でも菜々美さんは……妊婦さんだし。私は菜々美さんと手を繋いで歩き出した。

 そして、


「明日一緒に千葉に行くわ」

「え、もう大丈夫です。これ以上色々お願いできません」

「明日回るのは市役所、リボンマート、寮、そして決まるなら引っ越し先よ。荷物も移動させなきゃいけないし、遠くからのラーメンの匂いで気持ち悪くなってるのに、無理でしょう」

「……ごめんなさい、ちょっとトイレ先に」

「反対側から丸井のトイレに行きましょう」


 私は菜々美さんと手を繋いで走った。

 今の井の頭公園の空に鷹はいないのに、見えない雲の先にいる気がして、もうそこまで来ていて追われているような恐怖感がある。

 逃げなきゃいけないような、狙われているのも分からないような太陽に隠れて逃げ出す。

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