第6話 見えてくる疑惑
『ちょいと話があるんですよ、仕事終わりに30分お茶どうです?』
「……笹木さん……珍しい」
土曜日の仕事を終えてスマホを見ると、笹木藍子(ささきあいこ)さんからLINEが入っていた。
笹木さんは凌の同僚の奥さんだ。私たちの結婚式で紹介してもらったんだけど、偶然同じ大学のひとつ下ですぐに仲良くなった。
お子さんを三人育てながら凌と同じ団体で働いていて、仕事ができる女性だ。
とても忙しいので、凌と一緒に出たパーティーで話す程度。
前に会ったのは一年以上前だと思う。何だろうと思って画面を見ていたらすぐに次のLINEが入った。
『凌さんには秘密で来てください』
私はその文字を見てすぐにピンときて返信を打ち込む。
『了解。どこにいけば? 私は今新宿』
『西新宿のラウンジ、場所はここでどうですかね。私も今新宿駅なので15分で行けます』
『行くわ』
私はすぐに返信して着替えはじめた。
凌に知られたく無いことを私だけに30分だけ時間を作って話そうとしている。
しかも電話でもなくメールでもなく「会いたい」。
これはたぶん良くない話。
私はすぐにクリニックを出て待ち合わせ場所のラウンジまで移動した。
「水城さーーん!」
「笹木さん。え、めっちゃ綺麗」
ホテルのラウンジにいた笹木さんは、美しいドレスを身にまとっていた。
ベージュのとろりとした生地で、身体全体が上品で美しく見える。
私たちは奥の席に移動してコーヒーを頼んだ。
笹木さんはワンピースを引っ張って持ち上げて、
「綺麗ですよね。この素敵な服と完璧メイクで仕事じじいと飯食べてました」
「あははは! うん、仕事なら仕方ないね」
「だから家に帰るの30分遅れても大丈夫で。あのですね、時間がないので即行きます。木曜日凌さんがうちの旦那に電話してきて」
「! あの電話の相手、笹木さんの旦那さんだったんだ」
笹木さんの旦那さんは凌の同期で仲が良い。
笹木さんは水を一気飲みして、
「そうです、んで仕事内容はなにひとつ言えないんですけど、私に聞こえただけの情報で、リボンマートの女性が妊娠して困ってる……だけです。これは仕事上情報共有とかではないです」
「分かってる。大切ね、そこ」
「そうです、そこしか聞こえてません。その上で話をします。私趣味で売れて無いバンドとか歌手の歌を聞きに行くんですよ。プロデビューしてないけど面白い子……そんな子を集めてライブしてるプロデューサーが知り合いで」
突然何の話がはじまったのか分からないけど、笹木さんは机の上に色々出しながら順序立てて話してくれるので、こういうときは黙って聞く。
笹木さんはA4の写真がたくさん載せられた紙を出して、
「その中でもこの女性。気に入って追ってた子なんですけど、先週のライブに出ていなくて。この子、リボンマートで働いてるって自己紹介してたのを覚えてて。水城さんが面倒みてて凌さんが相談してきた子、この子じゃないですか?」
そう言って笹木さんが見せてくれた紙には、菜々美さんが写っていた。
「そう、この子。菜々美さんだ」
「! やっぱり! リボンマートで歌手なんて、この子しかいないと思ってた。良かった生きてたー! え? 彼女体調は、もう大丈夫です?」
私は笹木さんのテンションに少し驚きながら、
「え……ええ。点滴してトマトが食べられるようになってかなり安定したの」
「良かったーー。いや私ただのファンで。いやーー、良かった元気で。じゃあ産んだら戻るかな」
そう言って笹木さんは嬉しそうに紙を見た。
私はその紙を一部もらってしっかりと見る。
そう……間違いなく、
「菜々美さん。セブンって名前で歌ってるのね」
「そう、ずっとセブンです。菜々美さんが本名なのね。あーー、良かった。それでね、ここからが本題です」
「まだ本題じゃなかったの?」
菜々美さんがライブで歌うような人で、笹木さんが偶然知っていた。
それが本題だと思っていたので、まだ続く話に驚く。
笹木さんは「ここまでは必要条件の提示です」と言って、私を安心させた。
やはり理系の友だちは話し方が順序立てられていて理解がしやすい。
「私、ライブによく行くんですけど、駅でセブン……すいません、私の中では彼女はセブンなので、セブンに会って。でも私はただのファンなので、外で一般人の彼女に話しかけられないので逃げたんです。そしたら私の横を凌さんが歩いて行って」
「!」
「すいませんプライバシーを侵しました。私は驚いて振り向いて見ました。そしたら凌さんは菜々美さんのところに行き、ふたりは一緒に歩いて行きました。でもその後すぐに調べて、凌さんがリボンマートの聞き取り調査をしてると知ったので、仕事か……と思って黙ってました。でもですね、今……セブンが妊娠して凌さんの家に転がり込んでいるとなると、私が見たことの意味が変わってきています」
「前提条件の変更ね」
「そうです。まずあの時、凌さんが駅でセブンと会っていたのは仕事だったのか。時間は20時をすぎてました。時間外です。凌さん出張多いですよね」
「多いわね、週に二日はある」
「関東限界地域の聞き取りも多いですからね。だからここは通せるデータではありません。次に行きます。ライブハウスの店長さんに凌さんのことを聞きました。会ったことあるかと。ないと答えました。でも『セブンはもうすぐ結婚するらしいよ』そう言いました。つまり彼氏はいた。これは三月の話です」
「今は五月。凌としてるなら有効ね」
「それが凌さんとは限りません。なぜなら凌さんは常に結婚指輪をしている。詩織さんのご飯が美味しくて結婚後5キロ太り、指輪が抜けなくなったとうちに来た時惚気ていました。つまり指輪はしたまま。だからセブンが結婚すると言っていた相手は凌さんではない可能性もあります。ただ略奪する気があったなら分かりません」
「凌は最初に菜々美さんに会ったとき冷静だったわ。相談で会った人かと聞いていた」
「動揺は?」
「全くしてなかった」
「じゃあ白かもしれません。要点をまとめます。菜々美さんはセブンとして歌手活動をされてました。私は個人的にファンです。そしてそのライブ会場近くの駅で私は凌さんを目撃、セブンとふたりで歩いて行くのを見ました。以上です」
「……すごく分かりやすい、ありがとう」
「いえ、仕事テンションでまとめたので冷たく感じるかもしれませんが、私は……凌さんはグレーかなと」
やっと話すテンションを落ち着けた笹木さんは冷めたコーヒーを飲み、
「相談員ってメチャクチャ惚れられるんですよ。そりゃもう地獄ですよ、仕事クビになって家もなくなって、でも妊娠してて男に逃げられて……もう地獄みたいな生活の中、親身になって話を聞いてくれる……恐ろしいレベルで依存されます。だから最近は相談員は女性が増えてるんですけどね。私は相談員じゃないですけど、少し話を聞くだけで心に来ますよ、メンタル引っ張られる。だからセブンが困っていても、凌さんがしがみつかれても、なにも変じゃない」
そう言ってため息をついた。
凌はいつも「心が引っ張られる」と言っていた。
その言葉を理解していたつもりだけど……今リアルに感じた。
笹木さんは砂糖の塊をかじりながら、
「セブンの歌は最高なので都内のライブハウスに呼ばれたりしてたみたいなんですけど、リボンマートの店長がこれクズで! これは普通に労基入りまくってるんで事実なんですけどクズで休みあげなくて縛り上げてて! もう私ちょっと私情入れてリボンマートやっちゃおうかな~~、あ、冗談ですよ~~」
笹木さんは 国民労働均衡庁の関連団体で働いているので、外で発言に気を付けているのに、それでも恨み節で笑ってしまう。
私も冷めたコーヒーを飲み、
「……それであんなに声が特殊なのね」
「可愛いですよね! そう、すっごく声が良くて。あの甘えるみたいなハスキーボイスが最高なんですよ。なにが良いって歌詞も自分で作ってるんですよ、彼女」
「だから言葉が少し変わってるのね」
「えー、話したことないから羨ましいです。でも歌聞けるだけのファンが一番幸せかも。いつも一緒にライブ出てるギターくんとかが旦那じゃないのかなー? この前のライブに一緒に居なかったです。ドラムは居たけど」
「本当に音楽が好きなのね、知らなかった」
「元バンギャですから。大学合格したらオタ活再開して良いって言われて、私みんなに秘密で下北で狂ってましたよ、ほら」
見せてくれた写真の笹木さんは、今スーツを着て子ども三人見ているママでは全くなく、金髪で先だけ赤色の髪の毛に、真っ黒でツヤツヤとして大きく前がはだけた服を着ていた。
「すごい」
「旦那はこれを知ってます。先輩は真面目だったから言えなかったですけど、こういう面も私はあります」
「教えてくれてありがとう」
「いえいえ、ドン引きせずに見てくれてありがとうございます。このフライヤー要ります?」
そう言って笹木さんはA4の写真がたくさん載っていて、そこに菜々美さんが写っているものを持ち上げた。
これはライブ会場の内容などが載っているフライヤーという紙らしい。
私はそんなこと全く知らなかったけど、それを受け取って鞄に小さくして入れた。
「これを渡したかったのね」
「そうです。リアルなほうがいいと思って。すいません、1時間かかっちゃいました」
「大丈夫よ、ありがとう。また何か分かったら連絡して? ここからすぐに来られる」
「了解です。私もセブンの続報知りたいです、よろしくお願いします」
そう言って笹木さんはホテルのラウンジから出て行った。
私は会計を済ませて、車が停めてあるクリニックまでゆっくり歩く。
菜々美さんは千葉のライブハウスで歌っていた。
そこに凌は来ていた。しかも20時に。
「……怖い」
私は俯いて止まった。
凌に聞くのが怖い。
ふたりで会っていたくらいの人をどうして知らない人扱いしたの?
ど忘れ? 私は数百人に会うような仕事してないけど、患者の顔は結構覚えてる。
あんな全く知らない人みたいな態度……ひょっとしてよく知ってるからあえて無視したの? あの時菜々美さんは凌になんて言ってた? ……覚えてない。
会ったのを忘れていた? ふたりで会って?
そんなの信じられない。どんな表情変化ひとつだって怖い。
私は車の鍵を握りしめて、
「……菜々美さんに聞く……しかないの……かも……」
と呟いた。
彼女は凌との子どもだといって私の家に来た。
それが嘘なのか本当なのか分からない。
それでも妊娠していることだけは「たったひとつ嘘ではない」。
菜々美さんに嘘をつかれたほうが、凌に嘘をつかれるより痛くない、辛くない。
今凌に何を言われても何一つ信じられない。
でも何か知りたくて、でも何が知りたいのか分からなくて、私は乗り込んだ車の運転席で行き先を見失う。
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