第4話 せめて善人で居させて

「トマトがこんなに?!」

「私も注目して見たことなかったけど、種類が多いのね」


 菜々美さんを退院させて、家の近くにある大型スーパーにきた。

 そこにはトマトコーナーがあり、多種多様なトマトが並んでいた。

 トマト全てに名前が付いていて、色もサイズもまちまちだ。

 菜々美さんはトマトを見て、


「えーー?! ちょっとまって詩織さん、トマトに1500円とか出せない!!」


 私は菜々美さんを見て、


「今じゃあ他に何が食べられるの?」

「……まあうん……そうだね、トマトだけ食べたいかも」

「だったらこれが貴女の主食になるの。だから1500円は高くない。ここでまた倒れたら医療費のほうが高いわ」

「……ごめんなさい、ちゃんと返すから」


 そう言って菜々美さんは頭を下げた。

 良くない。私は合理主義者で、高くても必要ならばそこに迷いはない。

 倒れて医療費が膨らむより、食べられるもので体調を維持するのは当然のことだが、それを言うと責めるような言葉になってしまう。

 私は菜々美さんを見て、


「……ごめん、責めてるつもりはないの。こういう性格なの」

「いや私、何も考えずに言ってた。ただ値段みて高いって思ったから言っただけ。ちなみに今の言葉は責めてない、お金をちゃんと返す、ごめんなさいって意味だけ」

「そうね、ダメね」

「全然ダメじゃないよ。言葉の理解の場所が違うだけ。違和感があるなら、そのたびに言うし聞こうよ。ラッキーなことに同じ言語使ってるんだし、そうしよう」


 菜々美さんは私をまっすぐに見て言った。

 違和感があるなら、そのたびに言うし聞こう……、もちろんその通りだけど、それが一番難しい気がしてしまう。

 菜々美さんはトマトの味一覧を見て、


「点滴の代金10,000円より確かに安いね! なるほど、そう考えるのね、了解。えっとまってよ……甘いのより、酸っぱいの、つまり酸味だよね」

「そう。酸味で選びましょう。これかな。高いから少しだけ買って、また買いにきましょう。美穂は気分転換に動けるなら、それが一番良いって言ってたから」

「なるほど。じゃあこのトマト! 一番すっぱいの行く!」


 そう言って菜々美さんは酸味が一番強いものをひとつだけ手に取った。

 ひとつ500円だけど、菜々美さんの状態を見ていると複数買っても食べられない可能性が高い。

 それに「そもそもスーパーの匂いがきつくて仕事ダメだった」と言っていたので、私が購入することにして外で待ってもらうことにした。

 ひとりで妊娠していて、匂いがすべてダメで、買い物にも行けないんだから、倒れて当然だ。

 買い物をして外に出ると、菜々美さんがベンチに座って待っていた。

 私を見て音が聞こえそうなほど笑顔になり走り寄ってきて、


「ありがとうございます!」


 と頭を下げた。

 服装はあれだけど礼儀正しい子……そう思って気がついた。


「ねえ菜々美さん、あなた小さな鞄ひとつだったけど、服とか日用品は?」

「実は寝込んでたら店長が来て、私を放り出したの。掴んでたスマホだけでなんとかここまで来た感じ。んで私が居た部屋はもう次の人がそのまま使ってると思う。そもそもその部屋に私が入った時も、別の人が使ってた服とか日用品があって、それをそのまま使ってたの。だから人間だけ入れ替わり? みたいな」

「……最低三日暮らせる服を買いましょう。下着。全部UNIQLOで良いわ」

「え~~?! と思うけど、これもコスパね、理解する。正直今着てる服は部屋に置いてあったものだから私の趣味じゃないの。だから嬉しい」


 そう言って菜々美さんは短いスカートとヒールを見せた。

 なるほど。それでこのちぐはぐさ……。私はそのまま菜々美さんを連れてUNIQLOに向かい、趣味のものを買った。

 菜々美さんは伸びるパンツに楽そうなワッフル生地の長袖、そして数枚の下着を選んだ。

 それにその場で着替えて今まで着ていた服を捨てると、こざっぱりとした美人になった。

 そして私を見て、


「ありがとう。ずっとこれでいい」

「UNIQLOは長持ちするけど、菜々美さんはこれから体型が変わるの。だからそれに合わせてちゃんと買うのよ?」

 私がそう言うと菜々美さんはふなりと笑顔を作り、

「えへへ~~分かった~~。詩織さんママみたい。私ママ居なかったから嬉しいなあ。甘えたくなっちゃう、ていうか甘えてるね、ありがとう」


 ママが居なかったから……。

 予想より重たい事情がありそうで、私はこれ以上聞くのを止めることにする。

 たった二日家に居るだけなのに、これ以上事情を知ったら、千葉に戻ったあとの事も気になってしまう。

 私は菜々美さんと歩きながら、


「トランクケース……私が昔使っていたのがあるから、それをあげるわ。捨てるのも料金がかかるし、それを引き出し代わりに使って。足のサイズは?」

「23.5!」

「じゃあ私がもう履いてない古い靴をあげる」

「それが一番落ち着く。新品より人のお古のが好き。お墨付きじゃん」


 ……どう育ったらこういう感覚になるのか分からない。

 でも私は言葉を選んで考えて、


「……下着とか、肌に直接に身付けるものは自分で選んだ新品を身につけるのよ。自分の肌に触れるものは、人が使ったものじゃない。自分で選んで身につけて。それが貴方自身の威厳を保つことに繋がるから」

「人間の話ね、分かった」


 人間の話。

 でも……人間の話かもしれない。

 さっきから思っていたけれど菜々美さんは言葉の選び方が独自で、なんだか話していて面白い。

 少なくとも私の周りには全くいない……そこまで考えて、私は選んで自分の環境と世界を作ってきたんだから、私と似た人間がたくさんいて当然だと気がついた。エコーチェンバー。というかこの心理を「エコーチェンバー」と分析してしまう時点で、どうなんだろう。

 私は軽く頷いて、


「そう、人間の話」


 菜々美さんは両手にUNIQLOの袋を持ち、


「私は人が好き。みんな言ってることと、やってることが全然違うの。それを見るのが好き。同じこの世界に生きてるのに、こうやって歩いてるのに、みんな同じことをしてない。みんなスマホ見てるけど違うことをしている。そういうのを知るのも、見るのも好きなの」

「……菜々美さんは本を読むのね」

「全く?」


 そう言って笑った。

 私の周りで面白い話をする人はみんな本を読んでいるから「本読み」だと決めつけてしまったけど、それも私の悪い癖かもしれない。でも人は自分が知っているラベルしか人に貼れない。菜々美さんは別のラベルを持っている人だと気がつく。



 帰ってきて家の鍵を開けると、そこに凌の靴があり、一瞬心が重たくなる。

 大好きな凌が家にいる……そう知ってこんな気持ちになるのが悲しい。

 でも自分が要らない話をした結果だから仕方が無い。自分のミスは自分で背負う、私が凌のEDに触れたからこんな空気になっただけ。

 もう絶対に言わないし、触れないし、言葉にしない。

 前に言ってしまったのは一年前だっけな……。あれからどれくらいで普通の空気になったっけ。もう忘れてしまった。

 でも再びEDの話をしない……それを積み上げれば日常に戻れるはず。

 反省して私は部屋に入った。すると凌は私に気がついて笑顔を作ろうとした瞬間に、その笑顔を強ばらせた。


「……?! どうしてこの子また家に……?」


 私は冷蔵庫に荷物を入れながら、


「患者さんが多くてもう病院にいられないの。それにホテルにいられる体調じゃない。トマトしか食べられなくてスーパーに入れないの。土日は私が送迎して美穂のクリニックで点滴する。それで月曜日には千葉に送る。だから土日だけうちに泊めるわ」

「俺がホテルを予約する」

「それは相談員としての判断? それとも夫婦の旦那さまとしての判断? 相談員として家にこの子がいるのがダメなら、悪いけれど凌がホテルに泊まってほしい。この状態の子を投げだせるほど妊娠に無知じゃない。旦那としてなら謝るしかない。ごめんなさい」


 私は頭を下げた。

 凌は言葉を失って、


「……いや……驚いた……詩織が……こんな風に……他人を家にいれるなんて」

「そうね、私は他人を家に泊まらせたことがない。でもこれは緊急事態よ。もし嫌なら、凌がホテルに泊まってもいい」


 私は半分以上本気でそう思っていた。

 正直私のせいだ。私が言葉をミスって距離感が変なことになっている。

 それでもこの空気で家にいられるなら、居ない方が気楽だ。

 凌は私を見て、


「理解できない。素性も知れない子を」

「素性? 千葉でDVを受けて家がなくて妊娠してる子よ。菜々美さん入って。奥の客間を片付けるから、そこで寝て」

「……おじゃましますー……」


 菜々美さんは睨む凌から逃げるように客間に入った。

 私はトランクケースを持ってきて、そこに荷物を展開させる。そしてスマホの充電ケーブルを持ってきて、


「充電切れてるでしょ? iPhoneだからこれでいける? あ、古いやつか。ちょっとまって探してくる」

 私がそう言うと菜々美さんはチラリとリビング側に視線を動かして、

「……良くないと思うけど。凌……旦那さんが言ってることのほうが正しいよ。私やっぱりどっか漫画喫茶とかいくよ」

「漫画喫茶は匂いがすごいのよ、カップラーメンとかカレーとか至近距離で食べられて匂いも籠もる」

「でも良くないよ、たぶん」

「じゃあこの部屋から出なければいい。トイレは横。私だけ出入りする前に……あ、LINE教えて。それで連絡取り合いましょう」

「うううう……優しくしてもらうとキツいな……でも二日か。オケ、ずっと寝る。あ、LINEよろしゃすですー……菜々美ですー」


 そう言って菜々美さんは私とLINEを交換した。

 アイコンが牛丼で笑ってしまった。

 私はそれを見て、


「牛丼が好きなの?」

「三度の飯より牛丼が好き。だから悲しいの」

「つわり落ち着いたら食べましょう」


 そう言って買ってきたトマトを切って出す。

 菜々美さんは恐る恐るそれを口に入れて目を輝かせた。


「えっ、美味しい、えっ、これ食べられる」

「追加で買ってくるわ。家に居たくなくて」

「……私のせい?」

「いいえ、私のせい」


 そう言い残して私は客間を出て、再び買い物に出た。

 家の中が牢獄みたいで、空気が重かった。でも外に出ると春が終わり、五月の空が気持ちがいい。

 再びスーパーに向かいながら空を見上げる。

 ……凌との関係を再起動は簡単じゃないけど、それでも凌が好き。

 正直、家の前に転がっていた妊婦さんを家にいれるのはやりすぎていると思う。

 でも今は凌とふたりで居たくない。それなら菜々美さんと話しているほうが気が楽だし、旦那に酷い言葉を言った女ではなく、妊婦を無料で助けている良い人でいられる。

 ……卑怯者だと分かっているけれど、この土日だけ許してほしい。

 そして再び来たスーパーで、さっきと同じトマトをふたつ購入。

 硬水のほうが飲みやすいと知っていたので、それも購入した。


「ただいま」

 

 買い物に行く時には凌がいたけど、玄関に靴が無い。

 どうやら私が出て行った後に、凌も部屋を出て行ったようだ。

 結婚して五年……一度だってこんなことはなかった。

 一緒に居たくないと思って菜々美さんを家に入れたけれど、私がスーパーで買ってきたのは凌と一緒に食べようと思った麻婆豆腐の材料だった。

 私はそれを冷蔵庫に投げ込んで、キムチ鍋を作ることにした。

 買ったけどいつ食べるの? と思っていた激辛味をひとり用の鍋に出す。

 そして豚肉と野菜を適当に突っ込んで、更にキムチを乗せる。

 匂いが部屋中に広がると客間にいる菜々美さんが厳しいかもしれない。私は換気扇を最強モードにして、ガスコンロの下でそれを食べた。

 凌は辛いものがそんなに好きじゃないけど、私はバカみたいに辛いものが結構好き。

 唐辛子を遠慮なく入れて、真っ赤な海になった鍋を私はきれいに平らげた。

 辛くて辛くて食べながら泣いて、これがしたかったんだと気がつく。

 辛い匂いがする髪の毛をお風呂で洗い、寝る前に菜々美さんの部屋の方に来たけど、電気が落ちているようだ。

 眠れているならそれが一番良い。私も眠ろうと決めて……少しだけリビングのソファー……玄関扉が見える所で凌を待ってみる。

 凌は出張が多いけれど、無断外泊はしない。だから……帰ってくると信じたい。

 一時間ほど待ってみたけど、凌は帰ってこなくて、私はひとりでベッドに入った。

 私たちのベッドはキングサイズでとても大きい。

 手を伸ばしても一番向こうまで届かない広さ。

 ひとりだと広すぎるけれど……この状況を作ってしまったのは私。

 私は布団の中で目を閉じた。

 自分で菜々美さんを家に入れてこの状態にしたのに、悲しくて不安で苦しいなんて、身勝手すぎる。

 凌が帰ってくるかもしれない……そう思うと深く眠れなくてウトウトしていると私に触れる……体温を感じた。

 起きて振り向くと、そこに凌がいた。

 凌、帰ってきたの?

 嬉しくて一気にしぼんでいた心から言葉がにじみ出す。


「……余計なことをいって、ごめんなさい……帰ってきたらいなくて……さみしかった。ごめんなさい、凌」


 そう言うと、凌は悲しそうに目尻を下ろして少し微笑んだ。そして私に近づいてきて、唇にキスをしてきた。

 そして着ていた上着を脱ぎ捨てて、ベッドに上がってくる。

 グッ……ときしむベッドと、外からそのまま運ばれた匂い。

 凌は私にキスをしながら、その手を肩から胸に移動させる。

 ……するの?

 嬉しいけれど、どこか悲しい。どうせ無理なんだ、空しい、再び傷付けられる。

 もうしたくない。そう言って断ろうとしたら、凌が私の手を自分の股間に導いた。


「?!」

「抱きたい」


 そう言って凌は私の目を見た。

 ひょっとして病院に……? 私が口に出そうとしたその唇を凌が塞ぐ。

 そして口の中を優しくなで回すようにキスをして、続けて胸に触れる。

 私の太ももには立った凌自身が感じられていた。凌は私の胸を甘く唇で愛撫して、再び私に深くキスをして、


「いれるよ」


 とすぐにそれを私に入れてきた。

 驚くほど濡れていた私は凌をすぐに受け入れた。

 凌は動きながら私を見て何度もキスをして優しい声で、


「詩織……愛してる」

「凌、凌……嬉しい」

「詩織を愛してる」


 そう言って凌は私をその夜何度も抱いた。

 恐ろしいほど激しく、何度も何度も。

 なぜ突然できるの? わからない、でももう何でも良い。

 ただこうしたかった、こうされたかった。

 私は嬉しくて凌にしがみ付いて何度も果てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る