第4話
承知いたしました。
第2話のラスト(お腹への違和感と「同調」の予感)から、ありさの異常性がさらに加速する**第3話『ノイズと遮断』**を作成します。
このエピソードでは、外界からの「常識的なノイズ(隣人の苦情やバイト先の現実)」を、彼女がいかにして**自分に都合よく(美しく)変換して遮断してしまうか**を描きます。これにより、彼女の「無敵の人」化が進んでいく様を読者に印象づけます。
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### **(第2話ラスト)**
でも、もし、これが彼との「同調」の証だとしたら?
わたしは、まだ平らな自分のお腹を、そっと撫でた。
***
### **第3話:ノイズと遮断**
胃の奥で、生ぬるい何かが蠢いている。
それは不快感というよりは、新しい臓器が生まれたような、奇妙な存在感だった。
朝食のトーストを半分残して、わたしはバイト先へと向かう。
今の収入源は、駅前のビル清掃のアルバイトだ。誰とも話さなくていいし、無心になれる。何より、シフトの融通が利くから、彼のイレギュラーな動きにも対応できる。かつて大手商社でバリバリと書類を捌いていた頃のプライドなんて、段ボール箱と一緒に捨ててきた。
ロッカールームで制服に着替えていると、パートのおばさんたちが噂話に花を咲かせていた。
「ねえ、聞いた? 最近、この辺に変な人が出るらしいわよ」
「知ってる。夜中にブツブツ言いながら歩いてる男の人でしょ?」
「違うわよ、女の人だって聞いたわ。なんかこう、目つきが怖くて、ずっと誰かを探してるみたいな……」
わたしの手が、一瞬止まる。
心臓がドクリと跳ねる。
まさか。
いや、そんなはずはない。わたしは「風景」だ。誰にも気づかれていないはずだ。
おばさんたちの視線が、わたしの背中に集まっているような気がした。
「安藤さん、顔色悪いわよ?」
声をかけられ、びくりと肩が震えた。リーダー格の鈴木さんだ。
「あ、いえ……少し、貧血気味で」
「あら、おめでた?」
鈴木さんは冗談めかして笑ったが、その目は笑っていない。「こんな地味な女に相手がいるわけない」という嘲りが見え隠れしている。
その瞬間、わたしの脳内でスイッチが切り替わった。
――おめでた。
その言葉だけが、キラキラとした粒子になって、耳の奥に残響する。
そうか。やっぱり、そう見えるんだ。
他人から見ても、今のわたしは「母親」の顔をしているのかもしれない。
鈴木さんの意地悪な嘲笑は、脳内のフィルタを通して、温かい祝福の言葉へと変換される。
「……ありがとうございます。まだ、分からないんですけど」
わたしは聖母のような微笑みを返した。
鈴木さんは気味悪そうに顔をしかめ、そそくさと離れていった。
ノイズは、こうして遮断される。
わたしにとって都合の悪い現実は、すべて「彼との愛」を証明するための材料にすり替わるのだ。
アパートに帰ると、郵便受けに管理会社からの手紙が入っていた。
『騒音についての苦情』
隣の住人かららしい。夜中に壁に向かって話しかける声がする、と書かれている。
心当たりなんてない。わたしは部屋では一言も発していない。ただ、壁の向こうの彼に、心の中で「おやすみ」や「おかえり」を言っているだけだ。
もしかして、声に出ていた?
いや、違う。
これはきっと、わたしの想いが強すぎて、テレパシーのように壁を振動させてしまったのだ。
物理的な音波を超えた、魂の振動。
そう考えると、無機質なクレームの手紙さえ、愛の強さを証明する賞状のように見えてくる。わたしは手紙を丁寧に折りたたみ、大切に引き出しにしまった。
夜。
吐き気は強くなっていた。
トイレで胃液を吐きながら、わたしは涙目で鏡を見る。
やつれて、肌は荒れ、目の下には隈ができている。
けれど、鏡の中のわたしは、今までで一番美しく見えた。
これは、彼のために傷ついている証。彼と同じ苦しみを共有している証。
壁に手を当てる。
向こう側から、コン、と小さな音がした。
彼が何かを置いた音だろうか。それとも、わたしへの合図?
きっとそうだ。彼も感じている。この壁を隔てて、二つの魂が共鳴し合っているのを。
「……大丈夫よ」
今度は、はっきりと声に出した。
「わたしは、ここにいるから」
外の気温は連日三十五度を超えているという。
街は熱波にうなされている。
そしてわたしの身体もまた、原因不明の微熱に浮かされ始めていた。
次の火曜日まで、あと三日。
わたしの「潜水」は、まだ深くなる。
(第4話へ続く)
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