第10話第五部|今史における最大の誤解 第九章|なぜ今、人は魔法を欲しがるのか


一 技術進歩と万能幻想

今史の世界ほど、
「魔法抜きで魔法のようなこと」を実現してきた時代はない。

遠く離れた相手と
瞬時に言葉を交わし、
空を飛び、
身体の内部を見通し、
ほんの数百年前には
“奇跡”と呼ばれた治癒さえ
当たり前の医療として行われている。

これらはすべて、
火芽ではなく 技術 によって
達成されている。

技術は、
世界法則の「固定域」と「柔軟域」のあいだを
丁寧に読み解き、
組み合わせた果実にすぎない。

それでも人は、
こうした成功体験を繰り返すうちに、
次のような前提を
無意識のうちに採用し始める。

「いまはできないことも、
 いつか技術が進歩すれば、
 きっとできるようになるはずだ。」

この前提が、
やがて 万能幻想 を育てていく。

• 飛べなかったが、飛べるようになった。

• 会えなかったが、画面を通して顔を見られるようになった。

• 治らなかった病が、治るようになった。

であれば──と、
心のどこかで続きが囁き始める。

「ならば、
 “死なないこと”も、
 “絶対に傷つかないこと”も、
 “世界を意のままに動かすこと”も、
 いつか技術で可能になるのではないか。」

こうして、
本来は「現実に即した道具の積み重ね」であるはずの技術が、
しだいに 火芽的な願望 の代行者のように
扱われ始める。

技術それ自体は、
あくまで中立である。
問題は、
それを見つめる側の心のほうにある。

万能幻想が強まるほど、
人は次のような感覚に近づいていく。

「できないことがあるのは、
 世界の側の怠慢か、
 技術がまだ足りないだけだ。」

その視点に立つとき、
世界そのものに
「限界」や「壊れやすさ」があるという事実が
見えなくなっていく。

そして、
技術で届かない領域──たとえば

• 他者の心を完全に理解すること

• 何ひとつ失わずに生きること

• すべての選択から悔いを消し去ること

といったものを、
人は別の名で呼び始める。

「これは、技術ではなく“魔法”の領域だ。」

こうして、
技術文明の進歩は
皮肉にも

「技術では届かない最後の領域=魔法」

を、
かえって強く際立たせてしまう。

万能幻想が膨らめば膨らむほど、
「最後に残った不可能」が
異様に眩しく見え始める。

今史の人々が魔法を欲しがる背景には、
この 成功の反動としての飢え が横たわっている。


二 精神成熟との位相差

今史において加速しているのは、
主に 「外側の力」 である。

計算能力
通信速度
物質操作の精度
情報の蓄積量

これらは指数関数的とも言える速度で
増大し続けている。

一方で、
「内側の成熟」──

• 他者の痛みに向き合う力

• 自分の限界を受け入れる力

• 間違いを認め、やり直す力

• 「分からないまま」に耐える力

といった領域は、
決して同じ速度では進んでいない。

この 外と内の成長速度のずれ を、
本書では「精神成熟との位相差」と呼ぶ。

位相差が小さいとき、
技術でできることと、
それを扱う心の器は
おおよそ釣り合っている。

だが今史では、
技術の位相が先に回転しすぎてしまい、
心の位相が
まだ追いついていない。

そのとき、人は
次のような歪んだ感覚を抱きやすくなる。

「これだけ何でもできるようになってきたのに、
 どうして自分の内側だけは
 こんなに苦しいままなのだろう。」

「外の問題は次々に解決されていくのに、
 なぜ人間関係や孤独や不安だけは
 いつまでも残り続けるのだろう。」

この ギャップの痛み が、
やがて「魔法」への欲望へと
形を変えていく。

魔法を求める心は、
必ずしも

「もっと支配したい」

という攻撃的な欲だけから
生まれているわけではない。

むしろ多くの場合、それは

「この苦しさを、
 一度で、完全に、
 取り除いてほしい」

という、
切実な願いから立ち上がっている。

• 長く続く孤独

• 誰にも理解されない感覚

• 何度も繰り返される失敗

• 変われない自分への失望

そうしたものが
積み重なっていった先で、
人は「段階を踏む」ことに
耐えられなくなっていく。

時間をかけて癒やすのではなく、
少しずつ関係を修復するのでもなく、

「一度の奇跡で
 いっぺんに救われたい」

という衝動が生じる。

これこそが、
精神成熟との位相差が生み出す
火芽的な欲望 である。

宇宙史の観点から見れば、
本来「魔法」が立ち上がるのは、

「世界の成熟が、
 心の成熟よりも先に進みすぎた場所」

である。

今史は、まさにその
典型的な条件を備えつつある。


三 情報開示がもたらす錯覚

今史の特徴のひとつは、
「知らないままではいられない」時代だという点にある。

• 誰かの成功と失敗

• どこかの国の崩壊と再生

• かつては秘伝とされた知識や儀礼

それらが、
画面の中に並ぶ「情報」として
ほぼ同じ解像度で届いてしまう。

情報が開示されること自体は、
決して悪ではない。

問題は、
開示の速度と範囲 に
心の処理能力が追いついていないことにある。

情報が氾濫するとき、
人は次のような錯覚を抱きやすい。

「これだけ多くの“秘密”が
 すでに明かされているなら、
 きっと『本当の魔法』も
 どこかに公開されているはずだ。」

「まだ知られていないことがあるとすれば、
 それは誰かが意図的に隠しているからだ。」

こうして、
「隠されている=奪われている」
という構図が
心の中に形成される。

• 陰謀論

• 露悪的な暴露文化

• 秘密の暴き合い

といった現象の影には、

「知らされていないことへの不安」と
「知ってしまえば、もう怖くなくなるはずだ」

という心理が横たわっている。

しかし、
前史から続く宇宙史の視点から見れば、

「知らされていないこと」の中には、
 意図的に沈められているものがある。

それは、
誰かが独占するためではなく、
次のような理由による。

• 知った瞬間に
 模倣が始まってしまうもの

• 技術として学べてしまうと
 世界を壊しうるもの

• 「できる」と分かっただけで
 火芽の欲望を煽ってしまうもの

今史の情報環境は、
そうした区別を曖昧にしてしまう。

• 危険な領域も

• まだ心の準備が整っていない領域も

• 本来は「長い時間をかけて向き合うべき問い」も

すべてが
「今すぐアクセス可能なコンテンツ」のように
見えてしまう。

その結果として生じる錯覚がある。

「知ってしまえば、扱えるはずだ。」

しかし、
知れることと扱えることのあいだには、
本来、深い谷がある。

魔法に関する情報が
どれほど言葉として並べられても、
火芽的な力の核に
直接触れることが許されていないのは、
この谷そのものが
世界の防壁 だからである。

今史において
「魔法」をめぐる動画・記事・噂が
絶えず行き交うのは、
この防壁の手前で
人々の欲望が渦を巻いている徴とも言える。

情報開示は、
多くの誤解を解く力を持つ。
同時に、
新しい誤解もまた生み出す。

「知ってしまった以上、
 これはもう“やってよい領域”なのだろう」

という誤解を
いかに静かにほどいていくか。

それが、
今史を生きる者たちにとっての
ひとつの課題である。


結び 魔法への欲望の奥にあるもの

今史の人々が魔法を欲しがる背景には、

• 技術成功の反動としての万能幻想

• 外側の力と内側の成熟との位相差

• 情報開示がもたらす「何もかも得られるはずだ」という錯覚

が重なり合っている。

しかし、そのさらに奥にあるのは、
きわめて素朴な願いである。

「傷つきたくない。」
「失敗したくない。」
「一度で良いから、何もかも報われてほしい。」

魔法を求める心は、
多くの場合、
この願いの延長線上にある。

本書が、
前史の魔法をあえて「再現しない」立場から語るのは、
この願いを否定するためではない。

むしろ、

「その願いの正体を静かに見つめ直し、
 魔法ではなく“成熟した世界”として
 応えていく道がある」

ことを
今史に伝えるためである。

次章では、
今史において
AIや量子的技術が果たしている役割──
それがいかに「魔法の代行者」ではなく、
むしろ 魔法を起こさせないための装置 として
働きうるのかを、
別の角度から見ていくことにする。

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