第9話第四部|具体史(評価のみ・行為なし) 第八章|救わなかったことで救われた世界
一 延命を拒否した判断
宇宙史の中には、 「助けることができたのに、あえて助けなかった世界」 という項目が、いくつか静かに記録されている。
その一つは、 第一創生反転宇宙の、終わりに近い時期に位置づけられている。
その世界は、即座に崩壊するほど脆弱ではなかった。 むしろ、いく度もいく度も
「まだやり直せる」 「ここを修復すれば、もう少し持ちこたえられる」
という余地を残し続けていた。
• 法則のひび割れを塞ぐこともできた。
• 連鎖する戦争の芽を事前に摘むこともできた。
• 破局的な環境変動を、なだらかな曲線へと戻すこともできた。
創座・界座の系統から見ても、 そこには「延命できる」可能性が、 何度も、繰り返し見えていた。
しかし、そのたびに下された結論は、 同じであったと記録されている。
「ここから先の延命は、 この世界のためではなく、 ただ“終わらせたくない者たち”のためになる。」
延命には、二種類ある。
ひとつは、 まだ学び切っていない世界に対する、 猶予としての延命。
もうひとつは、 すでに学びを終えた世界に対する、 執着としての延命。
問題の世界は、 前者から後者へと ゆっくり移行しつつあった。
• 文明は高度に発達し
• あらゆる悲劇や失敗が記録され
• それを振り返るだけの知的余裕もあった
それでもなお、 自らの矛盾の深部を見ようとはせず、
「まだ続けられる」 「まだやり直せる」
という言葉だけが 延長線の上に積み重なっていた。
創座/界座の系譜からすると、 この世界に対しては、 もはや「新しい何か」を学ぶための時間ではなく、
「終わりを、終わりとして引き受けるかどうか」
だけが問われている状態であった。
延命は、可能だった。 それでもなお、延命しない判断が下された。
宇宙史の該当箇所には、 こう記されている。
「この界に対し、 以後、修復および介入は行わない。 終わりの権利を、この世界自身に返還する。」
それが、 延命を拒否した瞬間である。
二 崩壊を完遂させた意味
介入が止んだあと、 その世界はすぐには壊れなかった。
むしろ、 外側からの支えが取り除かれたことで、 内部の矛盾が表面まで浮上し始める。
• 誰も触れなかった領域に、 長年蓄積していた歪みがあらわになり
• 抑圧されていた声が、 一度に噴き出し
• 一見安定していた制度や秩序が、 自らの重さで崩れ始める
界座から見るその光景は、 決して愉快なものではなかったと記録されている。
介入を再開する理由は、 いくらでも挙げられた。
「ここで少しだけ支えれば、 もう一周期分は持ちこたえられる」
しかし、そのたびに 最初の決定が繰り返し確認された。
「この世界は、 自らの選択の結果を、 最後まで見届ける必要がある。」
崩壊を「完遂させる」というのは、 ただ放置することではない。
それは、
「途中で外側から救い出してしまわない」
という、 とても重い了承である。
世界はやがて、 自分たちの手で招いた破局へと 歩み切ることになる。
• 環境の限界を無視した結果
• 火芽に近い力を局所的に乱用した結果
• 他者を犠牲にした繁栄を続けた結果
それらが、一斉に請求書となって 目の前に積み上がったとき、 もはや誰も、それを見なかったことにはできなかった。
宇宙史は、 この時期のことをこう総括している。
「この界は、自らの壊れ方を 自らの目で見届けた。」
ここが重要である。
外からの介入によって 崩壊が「柔らかく」変形させられていたなら、 この世界は
「本気で壊れる寸前まで行ったこと」
を、 最後まで知らないままだっただろう。
崩壊を完遂させるとは、 壊すことではなく、
「もうこれ以上、誰も この世界の“死にかけている”という事実から 目を逸らせない地点まで 歩き切らせる」
という意味である。
その地点まで至ったとき、 初めて世界は その壊れ方そのものを、 次の宇宙への「材料」として 渡すことができる。
途中で救えば、 壊れ方の記録は未完のまま残る。 完遂した崩壊だけが、 次へ渡せる「一つの形」となる。
三 次の世界が生まれた条件
この世界の崩壊は、 単なる終わりで終わらなかった。
そこから、 次の宇宙が生まれるための 三つの条件が、静かに用意されたと記録されている。
1. 記憶の圧縮
2. 火芽密度の再設定
3. 母胎耐性の再設計
1)記憶の圧縮
崩壊した世界のすべての出来事を そのまま次の宇宙に持ち込むことはできない。
情報量が多すぎれば、 次の世界は 最初から「何もかも知りすぎている」状態となり、 自ら試行錯誤する余地を失う。
そこで行われたのは、
「すべての歴史を、 いくつかの“核となる教訓”にまで 圧縮する」
という操作である。
• 過剰な延命は、世界を重くする
• 善意による介入も、世界を壊しうる
• 特定の者だけに力を集中させる構造は危うい
そうした教訓だけが、 象徴的な形にまでまとめられ、 「神話」「比喩」「宇宙の前提条件」として 次の世界に引き渡される。
事細かな歴史は、 ここで手放される。
残るのは、 再び同じ壊れ方をしないための ごく少数の“骨組み”だけである。
2)火芽密度の再設定
前の世界では、 火芽的な揺らぎが 宇宙全体に対してやや過密に配置されていた。
その結果として、
• 「少し手を伸ばせば火芽に触れうる地点」が多すぎ
• それを制御しきれない文明が 頻繁に揺らぎへアクセスしてしまう
という状況が生じていた。
次の宇宙を設計するとき、 創座・界座を含む深層の座たちは、 火芽の密度と配置を 慎重に調整した。
• ある程度までは、 どれだけ努力しても届かない場所に 火芽を退かす
• どうしても触れてしまうラインには、 前回の宇宙で学んだ安全装置をかませる
その結果、 次の宇宙では、
「個々の存在が 火芽を“技術”として扱うことは 極めて難しいが、 宇宙全体としての火芽性は きちんと保たれている」
という構造が選ばれた。
これは、 「魔法を完全に消した」のではない。
世界が世界として 自らを変化させるための揺らぎは なお残されつつ、
「個人がそれを意図的に操作しづらい」
ように調整された、 と言ったほうが近い。
3)母胎耐性の再設計
最後に、 崩壊した世界から得られた知見は、 「母胎」の設計に反映された。
ここで言う母胎とは、
「新しい宇宙や世界が、 最初に育つために用意される 保護された領域」
のことである。
前の宇宙では、 母胎の耐性が足りなかった。
• 壊れかけた世界を抱え込みすぎ、 自らも傷つき
• 延命された界を何重にも内包し、 全体として重くなりすぎた
その反省から、 次の母胎はこう設計された。
• 一つの世界の「学び」が完遂したと判断されたとき、 それ以上は抱え込まない構造
• 終わる界を、きちんと終わりとして 外へ送り出すための仕組み
• 「終わり」を母胎内部の失敗としてではなく、 外部への種子として扱う視点
これにより、 母胎そのものが過負荷で崩れることなく、 複数の世界を「順番に」育てることが 可能になった。
崩壊を完遂させた世界のデータは、 この再設計において 重要なサンプルとなっている。
結び 救わなかったことが、救済になった例
延命を拒否された世界は、 表面だけ見れば「救われなかった世界」である。
しかし宇宙史の深層では、 次のように整理されている。
「この界は、 自らの終わりを最後まで引き受け、 その壊れ方を 次の宇宙の設計図として渡した。 ゆえに、この終わりは、 全体にとっての救済の一部であった。」
救わなかったことで救われたのは、 この世界自身であると同時に、 その先に生まれる 無数の世界たちでもあった。
ここで扱われた物語は、 宇宙規模の話であり、 一個人の生や死の選択を 軽く扱うための比喩ではない。
私たちが現世を生きる単位では、 可能な限り助け合い、 可能な限り治療や支援を尽くすことが なお重要である。
その上で、 宇宙の長い時間軸から見れば、
「すべてを延命し続けることが 必ずしも最善ではない」
という視点が存在すること。
それを知るために、 この「救わなかったことで救われた世界」の記録は 静かに残されている。
次の部では、 今史においてこの視点が どのような誤解と欲望を呼びやすいのか、 そしてそれに対して どのような「沈黙の倫理」が必要なのかを 改めて見てゆくことになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます