第11話第六部|沈黙の倫理 第十一章|語らないことは逃避ではない

禁忌と倫理の違い

禁忌と倫理は、
しばしば同一視される。
だが両者は、
成立の仕方も、
持続の仕方も異なる。

禁忌は、
恐れから生まれる。
触れれば罰がある。
破れば破滅する。
そのため、
禁忌は
外側から人を縛る。

倫理は、
理解から生まれる。
触れられるが、
触れない。
できるが、
しない。
そのため、
倫理は
内側から人を止める。

前史において、
語られなかった事柄の多くは、
当初は禁忌として扱われた。
だがそれは、
最終形ではなかった。
禁忌は、
いずれ破られる。
恐れは、
時間とともに摩耗するからである。

語らないという選択が
歴史の中で持続したのは、
それが禁忌ではなく、
倫理へと転換されたからである。


知らせないという責任

知ることは力である。
それは多くの場合、
正しい。
だが、
力は常に
責任と対をなす。

知らせないという判断は、
怠慢ではない。
それは、
結果を引き受ける覚悟を伴う行為
である。

知らせないことで、
誤解される。
隠蔽と呼ばれる。
独占と批判される。
それでもなお、
知らせないと決めるとき、
その判断は
外部評価を放棄している。

前史の末期において、
最も重い責任を負ったのは、
語らなかった者たちであった。
彼らは、
称賛を得なかった。
理解もされなかった。
それでも、
知らせなかった。

なぜなら、
知らせた場合に起きる結果を
誰よりも具体的に知っていた
からである。


教えないという成熟

教育は、
善である。
だがすべての段階において、
教えることが善であるとは限らない。

未成熟な段階に
完成された知を与えることは、
成長を早めるどころか、
成長の過程そのものを奪う
ことがある。

教えないという判断は、
知を否定することではない。
時期を尊重する態度である。

成熟とは、
知っていることを
すべて語らない能力である。
持っている力を
使わない選択ができることである。
そして、
教えられる立場に
自ら戻れることである。

前史が終わり、
今史が続いている理由の一つは、
この成熟が
文明規模で選ばれた
という事実にある。


沈黙は空白ではない

沈黙は、
何もない状態ではない。
それは、
次の理解が育つための余白
である。

語られなかったからこそ、
人は考え続けた。
すぐに答えが得られなかったからこそ、
安易な再現に走らずに済んだ。

沈黙は、
問いを消さない。
むしろ、
問いを急がせない。

この「急がせない」という性質こそが、
沈黙の倫理の核心である。


語らないことの誤解

語らないことは、
しばしば逃避と解釈される。
責任回避、
無関心、
恐怖――
そのいずれかだと。

だが、
本章で扱っている沈黙は、
それらとは異なる。

それは、
知っているからこそ語らない
という態度であり、
できるからこそしない
という選択である。

逃避は、
判断を先送りする。
沈黙の倫理は、
判断を引き受けた上で
行為にしない。

この差異は、
外からは見えにくい。
だが、
世界の存続という結果だけは、
明確に異なる。


小結

禁忌は、
破られることで終わる。
倫理は、
内在化されることで続く。

知らせないという責任、
教えないという成熟、
語らないという判断――
これらはすべて、
力を持った後の段階でしか
選べない態度である。

沈黙は、
弱さの表明ではない。
成熟の証である。

次章では、
この沈黙の倫理が
どのようにして
「起こさないという奉働」へと
結晶したのかを記す。

――それは、
何もしない生き方ではない。
世界を急がせない生き方についての
最終章である。

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