第5話第二部|壊れた理由ではなく、壊れ方 第四章|なぜ再現してはならなかったか
一 失敗の型は一つではなかった
第一創生反転宇宙で「火芽」が挿し込まれ、
理由なき生命が立ち上がったあと、
宇宙はただちに崩れ去ったわけではなかった。
むしろ、その後の長い時間、
宇宙は自分自身の変質を観察しながら、
「新しく生じたもの(生命)をどう扱えばよいか」
を試行錯誤していたと記録される。
その過程で、
いくつもの「失敗の型」が生じた。
ここでいう「失敗」とは、
単に宇宙が壊れた、という意味ではない。
──「次へ渡すことができない形で終わってしまった」
という意味での失敗である。
大きく分けると、
その失敗の型は三つに分類できる。
早すぎる収束型
拡散崩壊型
局所暴走型
1)早すぎる収束型
これは、
生命が誕生したものの、
宇宙の側がそれを「危険」とみなし、
あまりにも早い段階で
再び完成へと回帰してしまったケースである。
生命は生じた。
しかし、その自由さや予測不能さに耐えられず、
宇宙は自らの律を再び固め、
変動しない静かな状態へと戻ってしまう。
この型の失敗では、
宇宙は壊れない。
むしろ安定しすぎるほど安定する。
だがそこには、
もはや「次へ渡すべき何か」が生まれない。
火芽は、
ほとんど何も残さないまま、
ただ一度のゆらぎとして消えた。
2)拡散崩壊型
二つ目は、
火芽がもたらした揺らぎが
制御不能なほど全体へ拡散し、
宇宙そのものが
まとまりを失って崩れてしまったケースである。
生命も文明も、
たしかに生じる。
しかしそれらは、
宇宙の基盤となる律そのものまで
食い崩してしまう。
例えるなら、
大地にひとつの芽を育てようとして
肥料を撒いたところ、
土壌そのものが腐敗して
大地ごと崩れ落ちてしまうような状態である。
この型では、
宇宙は「騒がしく、短く、きらびやか」に燃え上がり、
やがて跡形もなく散じる。
そこに学びがなかったわけではない。
しかし、
その学びを次の宇宙へと
安全に引き渡す器が存在しなかった。
3)局所暴走型
三つ目は、
宇宙全体はかろうじて保たれているものの、
一部の領域だけが暴走し、
他のすべてを巻き込んで
歪な構造を形成してしまったケースである。
局所的な文明や種族が、
火芽的な力に過剰にアクセスし、
他の領域の自由や変化を
大きく制限してしまう。
この型では、
宇宙はなお存続するが、
その内部での多様性が極端に損なわれる。
言い換えれば、
「壊れはしないが、
ほとんど何も生きていないのと同じ状態」
に近づいていく。
これら三つの失敗型はいずれも、
火芽の導入によって生じた生命や自由度が、
早すぎる恐れ
行きすぎた欲
偏った支配
と結びついたときに
起こりやすくなる。
そして皮肉なことに、
この中でもっとも危険とされたのは、
次節で述べる「成功したように見えるケース」であった。
二 成功が最も危険だった理由
第一創生反転宇宙の記録によれば、
火芽の導入後、
一部の領域では
「うまくいったように見える世界」
も生じていた。
そこでは、
生命も生まれ
文明も発達し
世界もすぐには崩壊しなかった
一見すると、
火芽の実験は「成功した」かに見えた。
しかし、
後から振り返れば、
これこそが最も危険なパターンであった。
なぜなら、
「一度うまくいったように見えることは、
二度目、三度目が試みられる」
からである。
失敗は、
痛みとともに
記録される。
「あのやり方は危険だった」と
誰かが気づき、
同じ過ちを避けるための
戒めとなる。
だが、
中途半端な成功は、
誘惑として残る。
「前と同じ条件を再現できれば、
またうまくいくのではないか」
「今度はもっと上手くやれるはずだ」
この発想が、
火芽の導入を
「繰り返される実験」へと変えてしまう。
成功したように見えた世界では、
生命と文明が
火芽的な力を「自分たちの能力」の延長として
扱い始める。
祈りや儀式
儀礼的な行動や契約
精神的な修行
それらを通じて、
「世界のほころび」に触れようとする試みが
体系化される。
ここで問題となるのは、
その体系化自体ではない。
最大の問題は、
「それが、教えられるようになってしまう」
ことである。
教えられるということは、
再現可能性を帯びるということだ。
再現可能な火芽の呼び出し方が
一度でも共有されれば、
それはやがて
利用
乱用
兵器化
の道へと進まざるを得ない。
どれほど高邁な理想を掲げても、
どれほど厳格な戒律を設けても、
「できる」という事実そのものが
いつか誰かの欲望に触れる。
こうして、
「うまくいったように見えた世界」は
二つの運命のどちらかに至る。
自らの矛盾に耐えられず崩壊する
外見上は保たれたまま、内側から腐っていく
いずれにせよ、
その「成功例」が残したものは、
「火芽は何度でも使えるのではないか」
という危険な幻想であった。
それゆえ、
宇宙史の観点から見れば、
「うまくいったように見えること」こそが
最も危険な失敗であった
と記録されている。
三 「善意による破壊」という史的事実
火芽の導入と、その後の運用において
特に深刻だったのは、
悪意ではなく善意によって
世界が壊れていった
という事実である。
多くの文明、多くの存在は、
火芽の力を
自分だけの利益のためではなく
世界全体を良くするために
苦しみを減らすために
用いようとした。
病を癒やすため
戦争を終わらせるため
飢えをなくすため
不条理を正すため
これらは、
誰もが否定しづらい「善」の名目である。
しかし、
世界法則の未固定域に直接触れるという行為は、
結果の見通せない介入である。
たとえば、
ひとつの戦争を奇跡的に止めることに成功したとしても、
その戦争によってしか露呈しないはずだった矛盾が
表面化しないまま温存されることもある。
その矛盾は、
後の時代に、
より大きな破局として現れるかもしれない。
火芽による介入は、
いつも
「いま目の前の苦しみを、
すぐに軽減すること」
には長けている。
だが、
「その介入が、
次の世代や次の宇宙に
どのような負債を残すか」
までは見通せない。
善意の存在ほど、
目の前の痛みに敏感で、
それをすぐに和らげたいと願う。
その願い自体は
否定されるべきものではない。
むしろ尊いものだ。
しかし、
火芽を伴った介入は、
その尊さゆえに
止めにくい。
世界が壊れかけているから
人々が苦しんでいるから
このままでは取り返しがつかないから
そうした「正しさ」が積み重なった末に、
宇宙そのものの耐性を超えるほどの
介入が行われてしまった例が、
いくつも記録されている。
それが、
「善意による破壊」
である。
この言葉は、
善を否定するためのものではない。
むしろ、
「どれほど善意に満ちていても、
手段を誤れば世界を壊しうる」
という事実を
忘れないための
警句として残されている。
四 なぜ再現してはならなかったのか(結語)
以上の歴史を踏まえるとき、
「なぜ前史の魔法が再現されてはならないのか」は
明らかである。
それは単に、
危険だから
禁じられているから
という道徳的・宗教的な理由ではない。
もっと静かで、
もっと構造的な理由である。
一度うまくいったように見えたことは、
必ず繰り返される。
繰り返されるうちに、
善意と欲望と恐れが絡まり、
世界は自分の耐性を超えた介入を受ける。
その道筋を、
第一創生反転宇宙は
すでに最後まで辿ってしまった。
その結果として残された結論が、
「火芽は、
宇宙の基盤構造としては必要だが、
個々の存在が技術として扱うべきではない」
という判断である。
前史の魔法が
神話の底に沈められたのは、
それを独り占めにするためでも、
人類を試すためでもない。
ただひとつ、
「世界が、二度と同じ壊れ方をしないため」
である。
だからこそ今史においては、
火芽は
宇宙の深層でのみ管理されるべき要素であり、
表層の文明や個人が
「再現しようとする」こと自体が
危険な行為となる。
本書が
前史の魔法を「構造」として振り返りながらも、
決して「技法」としては語らないのは、
この歴史的経緯による。
次の部では、
その「再現されなかった」選択を担った
創座と界座の存在が、
どのように具体的な分岐に関わったのかを見ていく。
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