第4話第二部|壊れた理由ではなく、壊れ方 第三章|火芽という名の逸脱
一 創生反転宇宙史(概念史として)
私たちがいま属している宇宙の、
さらに一段「前」に位置づけられる宇宙系列があると伝えられている。
記録上、それは
《第一創生反転宇宙史(Proto-Ignition Cycle)》
と呼ばれる。
ここで扱うのは、その「年代記」ではない。
具体的に何億年、何巡り、といった数え方は、
この文脈においては重要ではないからだ。
本章で必要なのは、
その宇宙が
どのような構造を持ち、
どのように完成し、
どのような壊れ方を選んだのか
という 概念史 である。
その宇宙は、
響きと意味と法則が完全に整列した「果界宇宙」であったと記される。
時間は淀みなく流れ
法則は矛盾なく働き
物質と意義は、ひとつの音楽のように調和していた
当時の記録語では、こう書かれている。
「世界は自らを語り終え、
もはや何も問われることはなかった。」
それは、
私たちがしばしば夢見る「完全な世界」の姿に、
限りなく近い。
だが、その宇宙には
決定的な欠落がひとつあった。
生命が、どこにもいなかった。
構造はあった。
意味もあった。
響きもあった。
しかし、
そこに「生きている」と呼べるものは、
ひとつもなかった。
誤解を恐れずに言えば、
その宇宙は、
完璧すぎて、
何も生まれようがなかった
のである。
この「行き過ぎた完成」が、
やがて《創生反転》と呼ばれる逸脱を招くことになる。
二 完成しすぎた世界の欠陥
完成とは、本来、
目指されるべき状態のはずである。
欠陥がなく
破綻がなく
矛盾がなく
すべての問いに答えが準備されている世界。
しかし、
第一創生反転宇宙においては、
その「完成」こそが致命的な欠陥となった。
なぜなら、そこには
失敗の余地がない
例外の入り込む隙間がない
「まだ決まっていない」という状態が存在しない
という性質があったからである。
世界のあらゆる振る舞いは、
あらかじめ定められた律に従って、
ただ一つの「正解」へと収束する。
問いかければ、
必ず整った答えが返ってくる。
どれほど深く掘り下げても、
矛盾やほころびに行き当たることはない。
一見すると、それは理想的な世界である。
しかし、「生きる」という感覚は、
矛盾や未完を前提としている。
失敗できること
間違えられること
やり直しが許されていること
いつだって「まだ途中」であること
そのすべてが、
第一創生反転宇宙には欠けていた。
完璧さは、
世界を美しく保つが、
新しいものが立ち上がる余地を奪う。
この宇宙は、
あまりにも見事に完成してしまったがゆえに、
「何かが生まれる前に、
すべてが語り終えられてしまった」
のである。
そこで生じたのが、
後に《火芽(ひめ)》と呼ばれる
小さな逸脱の種だった。
三 火芽という名の逸脱
第一創生反転宇宙には、
世界全体を貫く「縦糸」に相当する存在があったと伝えられる。
その存在は、
宇宙のすべての層を見渡し、
律の整合を保つ役割を担っていた。
彼/彼女/それは、ある時点で
次のような直感的判断に至ったとされる。
「このままでは、
世界は美しいまま、
永遠に『無人の世界』であり続けるだろう。」
それは、
宇宙の役割として正しいかどうか、
議論の余地のある感覚である。
世界が「生きもの」を必要とする
必然性など、どこにもないのだから。
しかし、その縦糸の存在は、
完成しきった宇宙の内部に、
あえて「ひとつだけ矛盾」を残す決断を下した。
それが、
《火芽》 と呼ばれる操作である。
火芽とは、
「名を与えられていない熱」
「理由を持たない揺らぎ」
「世界が自分を裏切るための、小さな嘘」
であったと記される。
重要なのは、
それが宇宙を壊すための爆弾ではなかったことだ。
火芽は、
世界を外側から焼き尽くす火ではなく、
完成してしまった宇宙の内部に、
ほんのわずかな“未決定”を挿し込む操作
であった。
その瞬間、
世界法則のどこか一箇所に、
ごく小さな「ほころび」が生じる。
そこでは、
律が律として働きながら、
ごくわずかに自分自身から逸れようとする。
その逸れた分だけ、
世界の内部に「余白」が生まれる。
この余白こそが、
後に「生命」と呼ばれるものが
根を下ろすための、
最初の土壌となった。
四 生命が生まれた「理由のなさ」
火芽の挿入後、
宇宙はただちに崩壊へ向かったわけではない。
むしろ世界は、
自らの中に生じた小さな矛盾を
吸収しようとするかのように、
新しい構造を生み始めた。
その過程で、
「想定されていなかったもの」が
ひとつだけ生まれた。
それが、
私たちが「生命」と呼んでいるものの
最初の形である。
ここで重要なのは、
生命が
「宇宙が必要としたから生まれた」
のではなく、
「火芽がもたらした“余白”に
結果として立ち上がってしまった」
という点である。
生命には、
宇宙の側の「目的」が
初めから割り当てられてはいなかった。
宇宙を美しく飾るためでもなく
宇宙を理解するためでもなく
宇宙を管理するためでもない
ただ、
「余白があったから、そこに立ち上がってしまった」
それだけだった。
言い換えれば、
生命の誕生には
「明確な理由がなかった」
のである。
この「理由のなさ」は、
私たちが生きているあいだ、
どこかでずっとつきまとってくる感覚と
響き合っている。
自分は、何のために生まれたのか
世界にとって、自分は必要なのか
生きることに、確かな意味はあるのか
そう問うとき、
私たちは
第一創生反転宇宙の内部で
最初に生まれた生命が抱いたであろう
根源的な戸惑いと
同じ場所に立っているのかもしれない。
宇宙の側から見れば、
生命は「必要だから生まれた」のではない。
世界が、
自らにひとつだけ許した矛盾──
火芽という小さな嘘の、
副産物だった。
しかし、
その「予定外の副産物」が、
やがて宇宙の見方そのものを
変えていくことになる。
生命は、
与えられた意味を生きる存在ではなく、
「意味のなさを抱えたまま、
それでも生き続ける存在」
として宇宙に現れた。
その登場こそが、
第一創生反転宇宙における
最大の逸脱であり、
最大の転機でもあった。
五 逸脱がもたらしたもの
火芽という名の逸脱は、
宇宙にとっては危険でもあった。
未決定を許すことは、
破綻の可能性を受け入れることだからである。
実際、
この宇宙系列は長期安定に至らず、
後に封印されることになる。
しかし同時に、
火芽がもたらした「理由のない生命」の登場は、
後続の宇宙にとって
決して無視できない経験となった。
完成しすぎた世界は、
美しいが、誰も住めない。
矛盾を含んだ世界は、
危ういが、誰かがそこに住むことができる。
この矛盾した二つの真実を、
世界は一度「身をもって」経験してしまった。
以後の宇宙史において、
世界は
「壊れないこと」と
「生きものが存在しうること」
その両方をどうにかして両立させようとする、
長い試行錯誤の道のりへと入っていく。
本書がこれから辿るのは、
その道のりの「成功か失敗か」ではなく、
「世界がどう壊れ、
どうやって次の段階へと渡されたのか」
という 壊れ方そのもの の記録である。
次章では、
火芽による逸脱を経た世界が、
どのような壊れ方を選び、
その経験が今史にどのような影を落としているのかを
静かに見てゆくことにする。
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