第3話第二章|なぜ神話に沈んだのか
一 実相 → 象徴 → 禁忌 という三段階
前史の魔法は、
最初から「物語」だったわけではない。
そこには、おおよそ次のような
三段階の変化があったと記録されている。
実相期──「本当に起きた出来事」として目撃される段階
象徴期──「何かの比喩」として語り直される段階
禁忌期──「触れてはならない領域」として封じられる段階
この三段階をたどる過程そのものが、
世界が自らを守ろうとする「防衛反応」であった。
1)実相期:言葉の追いつかない出来事
実相期において、
魔法と呼ばれた出来事は、
まだ「神話」ではなかった。
それは、
誰かが確かに見て、
誰かが確かに巻き込まれ、
多くの者にとっては
「信じがたいが否定しきれない現実」として
そこにあった。
海が割れたとき、
その場にいた人々は
それを「比喩」とは思わない。
ただただ、
言葉を失い、
その出来事をやっとのことで
断片的な証言として語り合うしかなかった。
この段階では、
出来事の意味づけはまだ行われない。
「何が起きたのか」も分からないまま、
「起きてしまった」という事実だけが残る。
この「意味の欠如」が、
やがて次の段階を呼び込むことになる。
2)象徴期:意味を与えようとする衝動
人は、「分からないまま」に
出来事を放置しておくことが苦手である。
理解できない出来事は、
恐怖にも、畏敬にも、混乱にもつながる。
そこで、
共同体はその出来事に
意味
を与え始める。
神の怒りの表れ
選ばれた者への祝福
世界の罪を洗い流すための大いなる浄化
実相としては、「ただ起きてしまった」だけの現象が、
人々の口を介して
すこしずつ「物語」に変換されてゆく。
物語は、
恐怖を整理し、
不条理を包み、
理解不能なものを
「分かったような気にさせてくれる」。
こうして出来事は、
象徴へと変質していく。
この段階では、まだ
魔法は「語ってよいもの」として扱われていた。
むしろ積極的に語り継がれ、
祭りや儀礼の中心に据えられることさえあった。
だが、
同時に問題も芽生え始める。
「あの奇跡は、どうすれば再び起こるのか」
「あの力を、私たちも扱えないだろうか」
という問いが
静かに生まれ始めたのである。
3)禁忌期:再現の試みと、世界の反応
象徴として語られる物語が増えるにつれ、
一部の者たちは
その背後にある「実相」を
再び呼び戻そうと試みた。
儀式
呪文
犠牲
苦行
さまざまな方法が試みられたが、
その多くは失敗し、
ごく一部だけが「似て非なるもの」を起こした。
成功と見えた一部の現象も、
世界にとっては
危険な「前史の繰り返し」の兆しであった。
未固定域が、
再び無闇にこじ開けられようとしている──
その試みがある閾値を超えたとき、
世界は静かに方針を変える。
「これは、人の手に委ねてはならない領域である」
という判断が、
界そのものの側で
確定したのである。
こうして、
かつて語られた物語の一部は
次のような扱いを受けるようになる。
口にしてはならない
書き記してはならない
真似してはならない
すなわち「禁忌」である。
それは単なるタブーではなく、
「再現の試みが世界を壊す」
ことを、
世界自身が理解した結果としての
自己防衛の布告だった。
こうして、
実相は象徴となり、
象徴は禁忌へと押し込められ、
魔法は「神話の底」に沈んだ。
二 世界が自衛した記録としての神話
神話はしばしば、
「古代人の想像力の産物」とみなされる。
しかし、本書が扱う文脈において、
神話はそれ以上のものである。
それは、
「世界が、自らを守るために
人間の言葉を借りて残した、
自衛の記録である」
という側面を持つ。
1)「わざと曖昧にする」という防衛策
神話の多くは、
肝心な部分になるほど
曖昧になり、
矛盾し、
複数の解釈が可能な形で語り継がれる。
場所が特定できない
時期があいまいである
誰が何をしたのかが重層的である
こうした「不明瞭さ」は、
単なる伝承の劣化ではなく、
「完全な形で伝わってしまうと
世界にとって危険な部分ほど、
意図的にぼかされている」
という可能性を示唆している。
世界は、
人間の記憶力や
口伝の不確かささえも利用して、
**「再現不能な記録」**を
わざと作り上げているようにも見える。
2)「信仰」として残すという選択
また、魔法の実相を
「技術」ではなく「信仰」の枠組みで残した点も、
世界の自衛構造の一つである。
信仰は、
信じる/信じないの問題にとどまり、
「真似できるかどうか」の領域には入らない。
奇跡を呼び起こすのは
儀式そのものではなく、
神の意志だとされる。
そこでは、
「人間の側から
意図的に世界を変更することはできない」
という前提が
強く打ち出されている。
これは、
魔法を「自由に扱いうる技術」として
人間に明け渡してしまわないための、
世界側の安全装置でもある。
三 各文明に残る共通痕跡(比較史)
文化や宗教体系は異なっていても、
各地の神話・聖譚の中には
共通した「痕跡」が見いだされる。
本書ではそれを、
以下の三つのパターンとして整理する。
境界の事件
火と水の事件
言葉の事件
1)境界の事件
多くの神話には、
「こちらの世界」と「あちらの世界」とを隔てる
境界が登場する。
天と地
この世とあの世
神々の領域と人の領域
そして、
その境界を一度だけ越えてしまった者たちの
物語が語られる。
一晩のあいだだけ、神々の宴に招かれる
黄泉の国へ行ってはならないと言われた者が、
それでも愛する者を追って降りてゆく
こうした物語はすべて、
「未固定域への一時的な侵入」
の象徴であると読むことができる。
境界が厳格に描かれるのは、
そこが「本来は越えてはならない場所」であることを
世界が強調しているからだ。
境界の物語は、
「一度は越えられたが、
二度と同じことをしてはならない」
という警告を含んでいる。
2)火と水の事件
第二のパターンは、
火と水をめぐる物語である。
天から火が降る
海が割れる
洪水が世界を洗い流す
大地から泉が湧き出す
火と水は、
未固定域が表面に現れたときに
とりわけ顕著な「運び手」となる。
火は形を与え、
水は形を解かす。
その両方が
通常とは異なるふるまいを見せたとき、
世界は大きく姿を変える。
各文明の神話に散見される
火と水の事件は、
「一度だけ世界が自分の律をゆるめた痕跡」
として、
ほぼ共通の構造を持っている。
そして多くの場合、
その直後に
「新しい秩序」の物語が語られる。
これは、
世界が自らの傷口を閉じ、
律を再び固めたことの
象徴でもある。
3)言葉の事件
第三のパターンは、
言葉に関する神話である。
世界が「言葉」によって創られた話
言葉が乱れたことで人々が分断された話
名を呼ぶことで存在が現れる話
これらはすべて、
言葉が未固定域への「細い導線」となっていた時代の
遠い記憶の反映だと考えられる。
名を与えること
名を呼ぶこと
それは本来、
世界の側から見れば
非常に危険な行為である。
だからこそ、
名の扱いに関するタブーや戒めが
多くの文化に存在している。
この「名に関する慎重さ」は、
「言葉を通じて
世界に直接触れてしまった時代が
確かにあった」
という薄い記憶を示す
共通の痕跡と言えるだろう。
四 神話に沈んだということの意味
前史の魔法が
神話に沈んだというのは、
単に「忘れられた」という意味ではない。
それはむしろ、
世界が自らの歴史のうち
「触れてはならない部分」だけを
慎重に深層へ沈めた
ということである。
表層に残されたのは、
断片的な物語、
象徴化された出来事、
矛盾を抱えた伝承だけだ。
そこから実相を
完全に再構成することはできない。
それでよい、と
世界は判断したのだろう。
神話とは、
人のための物語であると同時に、
世界自身のための「保護膜」でもある。
本書が行おうとしているのは、
その保護膜を破ることではなく、
「なぜ世界がそのような膜を
必要としたのか」を
そっと照らし直すこと
に他ならない。
次章では、
前史における「火芽」の誕生と、
それがいかにして
世界の壊れ方と結びついていったのかを
静かにたどってゆく。
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