第2話第一部|前史において起きたこと(実相) 第一章|魔法と呼ばれた現象の正体
一 魔法=「能力」ではなかった
前史の人々が「魔法」と呼んだものは、
今日、私たちが想像するような
「ある人の内側に備わった、特別な才能」
ではなかった。
むしろそれは、
「世界そのもののほうが、
一瞬だけ自分の決めごとを曲げてしまった痕跡」
に近い。
能力とは、本来、
ある存在の内部に安定して備わり、
訓練や経験によって少しずつ強化され、
ある程度の再現性をもって発揮されるものだ。
身体能力
記憶力
言語能力
芸術的才能
これらはすべて、
「その存在の側に属する性質」として説明できる。
しかし前史において「魔法」と呼ばれた現象は、
この枠組みには収まらない。
それは、
特定の人物の「力」でも「スキル」でもなく、
「世界とその人物とのあいだに、
ごく一瞬だけ成立した〈関係のかたち〉」
が引き起こした出来事だった。
言い換えれば、
**魔法とは「誰かが持っていた力」ではなく、
「世界が一瞬だけ許してしまった配置」**なのである。
その人物に特徴がなかったわけではない。
心の向き、名の響き、縁の重なり方、
それらは確かに特異であった。
しかし決定的だったのは、
その人物が「強かった」からではなく、
その人物を介して、
世界の側が自分のルールを
ひと筋だけ、ほどいてしまった
──という事実のほうだった。
だから前史の魔法は、
「個人の能力」として継承されることはなかった。
継承できるようなものでは、そもそもなかったのである。
二 世界法則の「未固定域」という概念
前史の宇宙を理解するためには、
世界法則を三つの領域に分けて考える必要がある。
固定域
柔軟域
未固定域
である。
1)固定域
固定域とは、
「どのような状況でも、決して変化しない法則」が
すでに完全に定着している領域である。
重力
時間の一方向性
因果の基本枠組み
これらは、ほとんどの時代において固定域に属する。
固定域においては、
どれだけ祈り、どれだけ願っても、
法則が「気分で変わる」ことはない。
そうでなければ、世界は長く持たないからである。
2)柔軟域
柔軟域とは、
「条件によって振る舞いが変わる領域」である。
社会のルール
文化的な価値観
人と人との関係性
こうしたものは、柔軟域に属する。
歴史や環境が変われば、
そのルールや価値観も変化してゆく。
ここでは、
人の選択や努力が、
ある程度の影響力を持つ。
3)未固定域
そして問題は、
このどちらにも属さない第三の領域──
「未固定域」である。
未固定域とは、
まだ法則として固まっていない余白
世界が、自分のあり方を決めかねている部分
と言い換えることができる。
そこでは、
「どうなるか」が決まっていない。
ゆえに、
何が起きてもおかしくないが、
何も起きないままでもおかしくない
という、不安定な状態が続く。
前史において魔法と呼ばれた現象は、
この未固定域が「人の側に触れてしまった」結果である。
心の向きと、
名の響きと、
世界のほころびが、
ある瞬間、ある一点で重なったとき、
世界は、自分でも想定していなかった振る舞いを
一度だけ許してしまう。
それが、
海が割れる
天が裂ける
病が跡形もなく消える
死者が呼び戻される
といった、
後世の言葉で「奇跡」「魔法」と呼ばれた出来事の正体である。
つまり魔法とは、
「未固定域が、
一度だけ表面に露出した痕跡」
にすぎない。
ここで重要なのは、
未固定域は「誰かの所有物」ではないこと
そこに触れる手段が、
安定した「技術」として存在していたわけではないこと
である。
三 なぜ再現不能だったのか
ではなぜ、
前史の魔法は「技法」として再現されなかったのか。
理由は単純であり、同時に深い。
条件の大半が、人の手を離れたところにあったから
一度起きた現象が、世界そのものを変えてしまうから
である。
1)条件の大半が、人の手を離れていた
前史の魔法が起きるためには、
少なくとも次のような条件が重なる必要があったと記録されている。
世界側の未固定域の分布
その時代全体の流れ(歴史的テンション)
特定の地域・文明が抱えた矛盾
その人物の心の向き・名の響き・縁の配置
このうち、
人が意識的に動かせるのは、
せいぜい最後の一つか二つに過ぎない。
世界全体の「法則のほころび」を、
人が意図して作り出すことはできない。
たしかに、
儀式や修行や祈りは存在した。
だがそれらは、
「条件が整ったときに、
それを見逃さないための構え」
にすぎなかった。
構えを整えることは、
再現性とは異なる。
前史の人々は、
それをよく知っていたからこそ、
魔法を「自分の能力」とは呼ばなかったのだ。
2)一度起きた現象が、世界そのものを変えてしまう
もう一つの理由は、
魔法が起きるたびに、世界のほうが変化してしまう
という構造にある。
未固定域が表面に露出し、
異常な現象が一度でも起こると、
世界はその「傷」を塞ごうとする
同じ形のほころびが、二度と開かないよう補正がかかる
その結果、
「まったく同じ条件」が
二度と再現されなくなる。
これは、
一度観測したことで状態が変わってしまう
きわめて繊細な実験に似ている。
ある一回きりの出来事が、
それ以降の宇宙全体の分布を
わずかに、しかし決定的に変えてしまう。
前史の魔法は、
まさにそのような性質を持っていた。
ゆえに、
ある人物が「魔法」を経験したとしても、
その人物自身が
もはや同じ条件に立ち戻ることはできない。
心も、名も、世界も、
すでに「その出来事を経験した後の状態」へと
移行してしまっているからである。
四 「再現されなかったこと」そのものが意味を持つ
こうして見てくると、
前史の魔法は、
再現できなかったからこそ安全であり
再現されなかったからこそ世界は続き
同時に、
再現されなかったからこそ、
人はそれを「物語」としてしか語れなかった
のだと言える。
もしも前史のある時点で、
魔法が「個人の能力」として理解され、
再現可能な技術として体系化されていたなら、
その文明は
自らの手で自らの世界を
早すぎる終末へと導いていただろう。
「魔法=能力ではなかった」こと。
「未固定域は、誰の所有物でもなかった」こと。
そして、「再現不能であり続けた」こと。
その三つが重なって、
前史の魔法は
「教えられないまま、物語だけが残った現象」
となった。
本書がこれから辿ってゆくのは、
その「教えられなかった」歴史を、
あらためて 能力ではなく構造として 見直す試みである。
次章では、
その構造がいかにして
神話というかたちに翻訳されていったのかを見てゆく。
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