第3話 『操り人形は、聖夜に愛を囁く』


 十二月二十四日、午後七時。

 私立秀知館高校の大ホールは過剰な照明と生徒たちの熱気で蒸れ返っていた。

 吹奏楽部が演奏するジャズ・アレンジの『きよしこの夜』が安っぽい高揚感を煽っている。男子生徒は整髪料ワックスで髪を固め、女子生徒はドレスの露出度を競い合う。

 誰もが「主役」になろうと必死な欲望の展示場だ。


 その光景を俺は頭上から冷ややかに見下ろしていた。

 場所はホール二階にある放送室。今日のイベントの音響管理を任された放送部員を買収し、俺だけの『司令室コントロール・ルーム』として確保している。

 目の前には会場内を映し出す複数のモニターと、音声調整用のミキシングコンソール。そして手元には、俺の声を入力する指向性マイク。


『……聞こえるか、御子柴』


 俺はヘッドセットのマイクに向かって囁いた。

 モニターの中、会場の中心でグラスを持つ御子柴が微かに顎を引いたのが見えた。

 御子柴の右耳には超小型の骨伝導イヤホンが装着されている。髪に隠れて外からは絶対に見えない。俺の声は鼓膜を震わせず、彼の頭蓋骨を通して直接脳内に響く仕組みだ。


感度良好クリア。いいか、忘れるな。お前はただの出力装置だ。思考するな。俺の言葉を俺の指定したリズムでそのまま口に乗せろ』


 御子柴は緊張した面持ちで、周囲に悟られないよう小さく頷いた。

 さあ、開演ショータイムだ。


 俺はモニターを切り替えターゲットを捕捉する。

 有栖川セナ。

 彼女はホールの隅、壁際という最も「暗い」場所にいた。

 漆黒のドレスは周囲のきらびやかな色彩を拒絶しているようだった。何人もの男子生徒が声をかけようとして、その氷点下の視線に射抜かれUターンしていく。

 誰も寄せ付けない絶対領域。


『行け。ターゲットは三時の方向だ』


 俺の指令を受け御子柴が人波をかき分ける。

 いつもの彼なら、大げさなジェスチャーで「よう、ハニー」とでも言うところだ。だが今、彼の自我は俺がロックしている。

 御子柴は無言のまま、幽霊のような足取りでセナの前に立った。


 セナが顔を上げる。その瞳は侮蔑の色を帯びていた。

「……御子柴さん。また来たの?悪いけど、あなたの退屈な自慢話を聞く気分じゃ――」


『被せろ』

 俺は即座に指示を飛ばした。

『(……眩しすぎるな、ここは)』


 御子柴の唇が動く。

「……眩しすぎるな、ここは」


 セナの言葉が止まった。

 御子柴の声色はいつものチャラついたハイトーンではない。俺が指示した通り、腹の底から絞り出すような低く湿った音色だ。


『(僕たちが求めているのは、こんな照明ライトじゃない)』


 俺はキーボードを叩くように次々とフレーズを送り込む。御子柴はそれを完璧にトレースする。

「僕たちが求めているのはこんな照明ライトじゃない。……もっと静かな、暗闇でも足元が見えるような小さな光だ」


 セナがグラスを置いた。

 眉がわずかに動く。違和感。いつもと違う周波数。

 彼女は初めてまともに御子柴の目を見た。

「……あなた、何を言ってるの?」


『視線を外すな。瞬きを三秒我慢しろ』


 俺はモニター越しに御子柴の表情筋すら制御する。

 今の御子柴の瞳には一切の「下心」がない。なぜなら彼の中身は今、空っぽだからだ。その空虚な瞳こそが、今のセナには最も誠実に映る。


『(君が氷の女王なんじゃない。周りが勝手に凍えてるだけだ)』


 俺の本音を御子柴の声帯が震わせる。

「君が氷の女王なんじゃない。周りが勝手に凍えてるだけだ。……君はただ、誰かがその氷を溶かしてくれるのを防寒着を着込んで震えながら待っている」


 セナの肩がびくりと跳ねた。

 図星だ。彼女が必死に隠してきた弱さを的確に言語化した。

 彼女の鉄壁のガードが崩れ落ちていく。その表情は令嬢の仮面を被った怪物ではなく、雨の図書室で見かけた迷子の少女のものだった。


「どうして……」

 セナの声が震えている。

「どうして、あなたがそれを知っているの?私の周りには家柄や見た目を褒める人間しかいなかったのに。……誰も、私の中身なんて見てくれなかったのに」


 勝った。

 俺は確信した。彼女の孤独の波長と、俺の脚本スクリプトが完全に同調シンクロした。

 あとは最後の一押し。

 『ここから抜け出そう』と手を差し伸べれば、彼女はその手を取る。完璧な論理的帰結だ。


 だが。

 計算式コードには常に未知の不具合バグが潜む。


 セナは涙ぐんだ目で御子柴を見つめ――そしてふと目を細めた。

 感動の余韻の中で、彼女の天才的な分析能力(プロセッサ)が小さなノイズを拾ったのだ。


「……変ね」


 彼女は一歩近づき御子柴の顔を覗き込んだ。

 それは恋する乙女の距離感ではない。検視官が死体を検分するような鋭利な眼差しだった。


「あなたのその言葉。……まるで、詩集を切り取ったみたいに綺麗すぎる」


 放送室の室温が一気に下がった気がした。

 俺は背筋が粟立つ感覚を覚える。

 気づかれたか?いや、まだだ。彼女はまだ「疑念」の段階だ。

 ここで怯んではいけない。堂々と肯定すれば彼女の疑念は感動に上書きされる。


 だが、セナは次に俺の予想もしなかった「問い」を口にした。


「ねえ、御子柴さん。今のその美しい言葉……


 時が止まった。

 会場の騒音も、BGMも、すべてが遠のいた。

 モニター越しに見る彼女の目は、御子柴を通り越してはるか遠く――二階の放送室にいる「誰か」を見据えているようだった。


 これは質問クエスチョンではない。

 本人確認だ。


「…………」


 御子柴は無言で立ち尽くしている。

 当然だ。俺が指示を出していないからだ。

 だが、この沈黙こそが致命傷になる。


『(肯定しろ!!)』


 俺はマイクに向かって叫んだ。冷静さをかなぐり捨てて。

『(「ああ、そうだ」と即答しろ!一秒も遅れるな!)』


 だが、物理法則は無慈悲だ。

 俺の声がデバイスを通じて御子柴の脳に届き、彼がそれを認識し、声帯を震わせるまで。

 どうしても消せない、コンマ数秒の遅延ラグが発生する。


 ――操り人形の糸が、絡まり始めた。

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