ep.2 彼の事情
「ヴィー! レイ! 飯行こうぜ!」
声がしたと思ったら、背後から寮の仲間のアトラが飛びついてきた。彼も同じ高等部一年で、ずうずうしいくらいに人懐っこい。そのおかげで三人はすぐ打ち解けたのだが――レイはさりげなくアトラの腕を外す。
「こういうの、やめてって言ったじゃん」
「悪いって! でも聞けよ、今晩はステーキが出るらしいぜ!」
「……え、ほんと?」
レイが反応すると、アトラはにやっと笑った。
レイはその顔に気づいて頬を赤くする。
村では見たこともなかったような豪華な食事も、寮での共同生活も、次から次に来る授業や演習も、――まだ慣れないことばかりだった。
「そういえば、もうすぐあれがあるだろ」
食堂の喧騒の中、肉を頬張りながらアトラが言う。
「あれ?」
「月例演習だよ!」
高等部では月に一度、寮ごとに集まって実戦に近い訓練を行うことが決まっていた。
アトラは初めての月例演習を前に、目を輝かせていた。
「俺、高等部でこれが楽しみだったんだ」
その横で、ヴィーが表情を曇らせていた。
「ヴィー、大丈夫?」
レイがそっと声をかけると、ヴィーは笑って頷いた。けれど、その笑みはほんの少し引きつっていた。
先日のことを気にしているのかもしれない。
「心配いらないよ。ただ……ちょっと、緊張してるだけ」
「おいおい、任せとけって!」
アトラが胸を叩く。
「何かあったら俺が守るからさ!」
その言葉に、ヴィーは小さく微笑んだ。
安心したのか、それとも──レイには判別がつかなかった。
◇◆◇
「全員、来ているな」
寮の談話室には七人の生徒が揃い、ほどよい緊張が漂っていた。場を仕切るのは、三年生のノルデンだ。
本来、寮は各学年二人ずつ、六人が基本だ。けれど、この寮には七人の生徒が暮らしている。
「お前がいるなんて珍しいじゃん」
茶化すように言ったのは、二年生のジャックだった。
というのも、ギルバートは授業外の“任務”で留守にすることが多く、寮の集まりに顔を出す方が珍しいからだ。
ジャックの言葉に、ギルバートは苦笑する。
その目を伏せたかすかな笑みでさえ、レイには絵になって見えた。
「なんだよ。スカしてていけ好かねえな」
「ちょっと」
レイはアトラを肘で小突く。
「だってあいつ、不良だって」
「不良?」
レイは思わず聞き返す。
成績優秀で、教師にも頼られるギルバートが、不良なわけがない。
「そこ。何してるの? ノルデンの説明、ちゃんと聞いてた?」
三年生のシャーロットの視線が、レイとアトラに突き刺さった。
怒られている二人を見て、ジャックが楽しそうに笑う。
「ジャック、笑わないで。こういうのは二年生が――」
「俺から説明します」
シャーロットが言い終わる前に口を開いたのはギルバートだった。視線が集まっても、彼はいつもの調子で静かに話し始めた。
彼の説明によると、今回の演習内容は、学園の管理区域での模擬魔獣討伐任務ということだった。魔獣は殺さずに制圧すること、特性を記録し持ち帰ること、という条件付きだ。
「ていうか今回の演習、お前がいるなら楽勝じゃん」
ジャックがギルバートに囁く声が聞こえた。
◇◆◇
演習は、ジャックの言っていた通り楽勝――とはならなかった。
「こんなの、一年生もいる演習に出してきていい魔獣じゃない!」
シャーロットが叫ぶ。
視界の先で、巨体の魔獣が低く唸った。岩のように硬い外殻に覆われた四足獣だ。足を踏み鳴らすたび、地面が鈍く震える。
「怒ってるんじゃない。怖いんだ」
ヴィーの声は震えていた。
「このままにしておけないよ」
「ヴィー!」
レイは思わず彼の腕を掴んだ。
――また、あの時みたいになる。胸をよぎった不安に、指先に力がこもる。
「お願い。僕にやらせて」
小さな声だったが、迷いはなかった。
レイは一瞬言葉を失い、それから唇を噛む。
今は先輩たちがいる。何より――ギルバートがいる。
そう自分に言い聞かせ、レイはゆっくりと頷いた。
ヴィーが魔獣の前に進み出ると、前衛を張っていたノルデンとアトラが思わず声を上げた。だがヴィーは気に留めず、ただ魔獣に意識を向けている。
「大丈夫。落ち着いて。傷付けないから」
彼がそっと手をかざす。すると、魔獣の動きがわずかに鈍った。
「……効いてるのか?」
ノルデンが目を見開く。
だが次の瞬間、別方向から魔獣の尾が大きく振り払われた。
「ヴィー!」
「下がれ」
低い声が飛ぶと同時に、地面が沈んだ。
尾が振り抜かれる寸前、魔獣の足元だけが異様な重さに縛られる。動きが止まった。
ギルバートだった。
「続けて」
ヴィーは一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに頷く。
「この子は……怒ってるんじゃない。ただ、逃げ場がないだけだ」
言葉に応えるように、魔獣が低く唸る。
「後退経路、確保!」
ノルデンの声に、シャーロットが即座に結界を展開する。他の仲間たちも詠唱を重ねた。
ギルバートが重力の拘束を緩めた。逃げ道だけを残す、正確な調整だった。
魔獣は一瞬こちらを睨みつけ――次の瞬間、地面を蹴って後退する。
結界の外へと消えていく巨体を、誰も追いかけなかった。
「……これ、制圧、だよな?」
ジャックが呆然と呟く。
ヴィーが大きく息を吐き、膝をつきかけた、そのときだった。
黒い影が、彼の背後を横切った。
「危ない!」
瞬間、轟音とともに森の空気が震えた。レイには一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ただ、ヴィーの背後に巨体が崩れ落ちるのを見て、ようやく理解する。ヴィーを襲おうとした魔獣を、ギルバートが撃ち抜いたのだ。
空気が、凍り付いた。
彼が放ったのは、魔力を魔力のまま、高密度の“塊”として放つ魔法――いや、それを魔法と呼んでいいのかすらわからない。
本来、魔法とは言葉を媒介に、自然の形を借りて魔力を具現化するもののはずだからだ。
「怪我はないか」
ギルバートは表情一つ変えず、ヴィーに視線を移した。
彼の“特別な事情”――それは、規格外の魔力量を持つことだった。
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