第2話

 白衣の背について、その若者は回廊を歩いていた。足取りそのものはしっかりしているが、時折身体の平衡を崩してふらつくことがある。前に立って歩く白衣の女性が頻繁に後ろを振り返って様子を伺おうとするが、若者は気にしなくていいとばかりに立ち止まって、また歩き始める。

 彼は腕を失ってみるまで、腕がそれほどに重いものだとは思っていなかった。腕の肘から先の重量は全体重比で3%ほどであり、彼の場合は2.5kg程度である。それは両手剣を片手で保持しているようなもので、突然失われた重量のために彼の歩みは不安定になっているのだった。

 回廊の途中で立ち止まり、壁に寄り掛かった彼は、回廊を行き交う白衣の男女をふと眺める。汚れひとつ見当たらない白い布地で作られた白衣が目立ち、男女ともほとんど服装に差異が無い。彼らは医師なのかと彼は思ったが、実際には看護師という診療の補助や傷病者の世話をする専門職だ。彼の田舎には看護師を伴わない医者が単独で診療を行っており、馴染みが無かったのである。


「大丈夫ですか? 歩けないようなら椅子をご用意します――」

「いや、いいよ。目的地に着いてから休むから」


 心配そうに話しかけてきた看護師の声で、彼は壁から肩を離した。慣れない左右の重量差のために疲れているのもそうだが、腕を失った際の切傷によって大量に出血しており、戦地で多少の処置はされているものの未だ貧血気味だ。かといって傭兵としてこの国に雇われた手前、無様なところは見せられないという彼の若い矜持が、担架で運ばれたくないという気持ちにさせていたのだった。

 しばらくして彼が看護師に案内されたのは、回廊の途中でもちらほらと見えていた大部屋のひとつだ。一部屋で30人は収容出来る宿舎のような部屋だが、ほとんどぴったり隣とくっついていた戦地の宿舎と比べ、多少なりとも隣との隙間があり、間仕切りが用意されているところもある。何より寝袋でなく、清潔なベッドだというのが一番の救いだった。

 若者は自分の荷物を案内された自分専用のベッドへ荷物を置きつつ、周りを見渡す。部屋の奥には大きな窓があり、それは採光用でありつつ、部屋の中に風を採り入れていた。今は自然光が部屋の中を照らしているが、壁に掛かったオイル式ランタンを見る限り、夜でもある程度は明るくなるのだろう。木目調の床、漆喰塗りの白い壁、そしてベッドの白いシーツと、いるだけで気分が晴れるような部屋だ。


「さて、こちらのベッドがあなたのベッドになります。ベッドの下に収納がありまして、鍵が掛けられますので部屋から離れる際は荷物などをそこへ入れるようにしてください」

「ああ、これか。鎧やも楽に入りそうだな」

「それから、院内では色々と注意点があります。文字は読めますか?」

「……正直言って得意じゃないな」

「では私から説明しますね。基本的に我が国の法で禁じられている行為をした場合は即退院です。荒っぽい方も多いですから、博打、喧嘩、飲酒などは行き過ぎなければ目をつぶっています」


 確かに部屋の患者を見れば、枕元に空の酒瓶を置いてある者、カード遊びに興じるもの、いびきをかいて寝ているものなど様々に過ごしているのが見られる。彼はベッド下の収納にとりあえず剣を入れ、看護師からもらった鍵で施錠しようとしたが、看護師に止められる。


「鎧も入れてしまいましょう。おひとりでは外しづらいでしょうから、私がお手伝いしますよ」


 若者は一瞬嫌な顔をしたが、確かに片腕ではどうにもならないことを思い出した彼は、渋々ながら看護師に鎧を外してもらう。皮鎧とはいえそれなりの重量があるそれらをテキパキと外しては収納へ仕舞い込んでいく看護師を見下ろしながら、彼は口を開いた。


「そもそもここはなんなんだ?」

「ああ、ご存じありませんでしたか? ここは国立の療養院のひとつです。戦士の方々、特に欠損や重傷の方のための病院ですよ」

「俺は傭兵なんだが、それでも使えるのか?」

「ええ、もちろんです。正規兵も傭兵も同じ待遇でお使いになれますよ」


 装備品をすっかり仕舞い込んで鍵を掛けた看護師は、収納を施錠したあと鍵を若者に手渡す。そして鍵には麻紐が通され、首に掛けられるようになっていた。また鍵にはふたつの数字が刻印されていて、それが部屋番号とベッドの番号と対応しているようだ。荒くれ者には文字に関する記憶能力が怪しい者もいるため、こういう配慮はよく考えられているのかもしれない。

 看護師は若者が鍵を首にかけるのを見ると、次の目的地への案内を始める。2人は先ほど通ってきた回廊を戻り、今度は別の回廊へと歩いて行った。その回廊は大部屋へ向かう回廊よりも一段と広く、床材も木目ではなく石畳になっている。また看護師が向かう方向の人の流れは回廊の左側、戻る方向の流れは右側と交通整理されていて、彼のように足元が覚束ない者のために壁際には手すりまで配置されている。

 あちこちに目配りして院内の配慮に感心しつつ歩いていた若者は、急に立ち止まった看護師の背に危うく追突するところであった。目的地には大開きの扉が待ち構えており、頻繁に人が出入りしている。その扉の上には何やら文字が掛かれた看板が掲げられていたが、彼には読めなかった。


「こちらが処方室です。日に最低2回は通うことになりますから、場所は覚えておくようにお願いしますね。忘れてしまっても我々看護師に聞いてくださればお教えしますので大丈夫です」

「ここでは何をするんだ?」

「医師に処方箋を渡されましたね。手のひらくらいの大きさの木札です。そこに書かれた内容の処方をするための部屋なんです。まあ、行けば分かりますよ。部屋に入って道なりに進み、正面の受付に処方箋を渡してくださいね」


 そう言うと、看護師は若者の背に手を軽く添えて歩くように促す。彼についていた看護師は立ち止まって微笑むばかりで彼についていこうとしないが、部屋の奥にも別の看護師が待機している。どうやら扉の前後で管轄が異なるようだった。

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2025年12月25日 22:28

戦士の国の医療事情 青王我 @seiouga

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