第2話

志木原しきはらは、美しい国だった。


室町時代後期。

天下を巡る争いが絶えず、数多の命が消えていった時代にあって、

志木原は、異様なほど穏やかな国だった。


大国に囲まれた小国であったが、

山という自然の要塞に守られ、

さらには当主らの巧みな交渉によって

周辺諸国と堅い同盟を結んでいた。


城下で「最近起こった一番の事件」といえば、

数年前に山立やまだての頭の息子が家を出ていったこと――

それほどに、志木原の平和は当たり前のものだった。



その日もまた、城は穏やかな賑わいに包まれていた。


「此度はこのような所までよく来てくださった!」


出迎えた家臣が、満面の笑みで深々と頭を下げる。


「突然の文を差し上げたにもかかわらず、

ここまでのもてなし……

志木原の懐の深さには、頭が下がりますな。」


使者達はそう言って目を細めた。

眼下には穀物がたわわに実る田畑と、春を待つ山の稜線。

穏やかで豊かな景色が広がっている。


為春ためはる殿も、お元気でいらっしゃるとか。」


「はい。殿も、皆さまのお力添えあってこそでございます。」


柔らかな挨拶が交わされ、

客人をもてなすための席がにぎやかに整えられていく。

庭にある桃の枝が風に揺れ、

座敷では侍女たちが器を並べ、香の煙がほのかに立ち上る。



──その喧騒から少し離れた裏御殿の一室。


志木原家当主の家族が暮らす静かな場所で、

幼姫君、春花はるかは小さな眉をぎゅっと寄せていた。


「ははうえ、わたしは、にでられないの……?」


唇を尖らせた春花の声は、どこか涙を含んでいる。


隣では、年頃の姉姫、千春ちはるが鮮やかな衣を整えながら、

困ったように、しかし優しく笑った。


、あなたはまだ小さいのだから、

宴に出るのは、来年になってから。

私もそうだったのよ?」


その言葉に合わせるように、

母の桔梗ききょうも静かに微笑み、

春花の肩を抱く。


「ええ。今年は無理でも、すぐ来年。

立派に皆の前に出られる日は、

あっという間に来ますよ。」


七つ前は神の子とされることから、

志木原家の子は七つになるまで、

同盟国含め、他国には知られぬように育てられていた。


「……ほんとう?」


うるんだ瞳で母を見上げる春花。

桔梗はその頬をそっと優しく撫でる。


「姉上!準備は終わりましたか!?」


騒がしく襖が開き、甲高い声が飛び込んでくる。


現れたのは、まだ早めの元服を済ませたばかりの少年、志木原家次男──春政はるまさである。


、声が大きいわよ。」


千春が苦笑しながら注意する。


「す、すみません姉上……!

でも、父上が呼んでおります。

客人が着座なさったから、と。」


「わかりました。すぐ行きます。」


そう言って立ち上がる千春の袖を、

春花がきゅっと掴んだ。


「あねうえ……」


千春はしゃがみ込み、妹の小さな手を包み込む。


「ねえ花。この宴は今日中に終わると伺っているから、

明日、父上もお誘いして、

小さな宴をするのはどうかしら?」


春花は言葉の意味をゆっくり飲み込むと、

嬉しそうにこくこくと頷いた。


「花のおかげで、美味しいものが明日も食べれるな!」


春政が嬉しそうに春花の頭を撫でる。


桔梗も愛おしそうに子供たちを抱き寄せ、

静かな御殿に、柔らかな笑い声が広がった。

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